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女の長風呂38

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:男は色情狂まこと性の大海を汲み干すことのむずかしさは、いわばシジミ貝で井戸替えするにひとしく、気の遠くなるように深遠宏大
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男は色情狂

まこと性の大海を汲み干すことのむずかしさは、いわばシジミ貝で井戸替えするにひとしく、気の遠くなるように深遠宏大な作業である。
私ごとき一知半解の女にその一端も悟りうるはずはないが、そんな蒙昧な私から見てさえ、どうかなあと思う誤りが多い。
ことに男性に多い。男ほど知ったかぶりして、まちがいをまちがいとも知らずに思いこんでいるものはない。
私のウチの近所の銭湯《ふろや》、しばらく前から工事していたと思ったら新装成って「気泡温泉」なる看板を掲げた。気泡というからには、湯に仕掛けがあって、アブクがブクブクと噴出し、湯を清浄に保つのでもあろうか、しかるにカモカのおっちゃんはいやらしく想像し、
「気泡を肌にうけて何となくくすぐったいような感じ、女にはことにコタエるのんちゃいまっか、こら女の客がふえまっせ」
風呂のアブクぐらいで女の官能がどうのこうのと、したり顔にいうのが片腹いたい。べつに象皮やサメ肌ではないけれど、女はいそがしいのだ、泡やアブクにいちいちとりあっていられるもんか。
さらに私のウチのずっと南には度量衡の計量器具一式をあきなう店がある。その看板には「さし・ます・はかり」とあり、またもやカモカのおっちゃん、
「あら罪な看板ですな、女は見て目ェ廻すのんちゃいまッか」
「どうしてですか」と私。
「そうでっしゃないか、ことにオールドミスなんか見たら、心悸とみに昂進して卒中おこすやわからへん」などという。
「さし・ます・はかり」がどうしたというのだ、私にはとんとわからぬ。
さらにはまた、テレビでかろやかに美女が踊っているのを見つつ、おっちゃんは、
「あれあれ、ま、あれ、よいしょ、どっこいせ、どっこいまかせの、よッこらしょ」などとかけ声する。うるさくてならぬ。
「静かに見ないんならほり出しますよ」
「いやしかし、よう、あない足を拡げたり上げたりできるもんや思うて。ちっと、口つむったらええのに」
「口はつむって踊ってはるやないの」
「いや、あない足あげたら、口はあきっぱなしですがな。見てられまへん」
「口はつむってはる、いうのに」
「その口ちがう」
これも何の話かわからないが、男のドタマの中って何が詰まってるんでしょうか。
「所詮、この世は色ばかり、ですわ」とおっちゃんはいうが、色気でのぼせて何を想像してるのやら、私は世界中の男という男、あげて色情狂の気が九十三パーセントはあるのではなかろうかと思うものだ。
全く、よくもああ、好色的な物の見かた、考えかたをするもんだと思われる。男たちの定義によれば、女とはひたすら閨房のことに憂身をやつし、あけてもくれても考えるのはソノコトばかり、男と見ればしなだれかかり、女房という女房は、亭主たちをあけくれ間断なく責めはたいて、最後の一滴まで絞りつくそうとし、亭主連はいまや、おそれおののいて、ひたすら女房の苛斂誅求《かれんちゆうきゆう》にオタオタと逃げまどう、というものである。
誰のことですか、いったい。
女と男を並べてご覧じろ、カモカのおっちゃんをひっぱってくるまでもなく、SUKEBE度はどっちがまさるか。女房族と亭主族で決戦いたしたいくらいだ。
この際、私は声を大にしていいたい。声が嗄れてもかまわない。
いつもいつも女が男にかつえ、求めてると思《おも》たら、エラいまちがいでっせ。
だいたい女房だっていそがしいのだ。婦人雑誌だって取っていても型紙つき簡単服の縫い方やら今晩のお惣菜に先に目を通す。男のほうが奪いとって「愛のナントカ」という色刷りのページに読みふけってるのだ。さらに女房は食後の片づけ、子供の入浴、明朝の食事の支度をすませ、ゴミをダストシュートヘ落しにゆき、玄関のドアの旋錠をたしかめ、窓を点検し、子供が蒲団をはいでないか、腹巻ははずれてないか、見廻ってやる、ガス電気を消し、やっと自分の寝床へくるころには、もうクタクタであるのだ。
しかるに何だ、サトウさんもスズキさんもヤマダさんも、亭主という亭主は婦人雑誌の附録「愛のナントカ」などを読みつつ、目をランランと光らせて待ちかまえていたりして、ライオンにねらわれる子ウサギのような、あわれ人妻たち、〈やれやれ朝が早いのに〉なんて思いつつ、しょうことなしに亭主の意を迎えねばならない、浮世の義理は辛いものであるのだ。
さもないときは、できるッたけ男の劣情を挑発しないように、体に蒲団を巻きつけて寝たりして、敷蒲団もなるったけ離れて敷く、たまに男が先に眠っていたりするとホッとするということがあるのです。
朝も朝とて、朝に劣情を起しやすい輩《てあい》がいて、これまた難儀、子供を幼稚園、学校へ押し出すのに妻は手いっぱいだ。それをいつまでもグズグズしていたりして、寝床から、
「オイ、オイ」なんてよび、オイという名じゃありませんよと妻は思いつつ、何ですか、と立ちはだかると床へひきこもうとする。
「何やってんです。時計見なさい、時計を!」と妻は叫んで目ざましをつきつけねばならぬ。
中にひどいのは、いっぺん家を出ていながらバスストップで待つうち、新聞の連載小説を読んでると、たまたまそれが、瀬戸内晴美女史とか川上宗薫センセイの小説だったりして、ついフラフラと淫心きざし、またもや家へとって返して、後手にキイをさし、
「あら忘れもの?」とけげんそうな女房を押し倒したりするバカもいるのだ。
ほんとにもう、男って、亭主族って、どうしようもないではございませんか。
「水より清いおん身をば
わたくし故に、濁《にご》らせます」
というのは種彦の「偐紫《にせむらさき》田舎《いなか》源氏《げんじ》」にある、光氏《みつうじ》が藤の方をくどく、くどき文句であるが、オール男性とオール女性との関係は、まさにそうですね。
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