鳥海山には、チョウカイフスマが咲くという。私はそのことを、何人かの山形のひとから聞いた。どのひとも、なつかしそうにその名をあげた。
北海道の利尻富士に登ったとき、針葉樹林帯の木かげに、純白の五輪の小さい花が群れ咲いていて、ハコベに似て、もっと花が密集していて美しかった。図鑑にはオオヤマフスマとあり、ヒメタガソデソウとも書かれていて、その花のかれんさが、そのようにやさしい名を与えられたのかと思った。帰って、山形生まれの友人に写真を見せると、チョウカイフスマは葉も花ももっと美しいと言う。武田久吉さんの『日本高山植物図鑑』には、チョウカイフスマと、メアカンフスマは同じと書かれている。鳥海の主とよばれている畠中善弥氏の『影鳥海』によれば、メアカンフスマは、一八八五年、藤田九三郎氏が採集して、一八八六年、ロシアの植物学者、マキシモウィッチ氏がメアカンフスマと命名。一八八七年、矢田部良吉氏が鳥海山で採集したものが、メアカンフスマと比較して別種であるとの見解から、一九一九年、チョウカイフスマとして発表。両者が同一種か別種かはいまだに議論のあるところであるという。学者の見解はともかくとして、私は、山形の人たちが、チョウカイフスマを、鳥海山の花として、誇りやかに語る気持ちをうれしいと思う。
地方によっては、お国自慢の第一に、首相を何人出したと数えあげたりするひとが多いのに、飽海郡遊佐町にいった時も、教育長の菅原伝作氏がわが子をほめるように、チョウカイフスマの美しさを語るのを聞き、いつか必ず見に来ますと約束した。そして、二年たって夏の七月のはじめに、羽黒山、月山の帰りに、いつもの山仲間四十人と吹浦に一泊して五時に出発した。
必ず来ると言っても来ないひとが多いのに、よく来てくれたと菅原さんはよろこび、畠中さんをはじめ、教育委員会の皆さんが同行してくれた。
当日は小雨まじりの曇天で、まだ雪の多い山は道に迷い易く危険だということである。東京をその前日の夜行バスで来て暁方の羽黒山にゆき、月山にゆき、冷雨降りしきる中を、西側の急斜面の悪路を下りて、いささか皆疲れていた。月山でゆきあった中年の男のひとは、私たちのスケジュールを聞くといきなり、東京から来て、一泊で出羽三山と、鳥海山に登るなどとはおこがましいと不機嫌であった。そのおこがましいと言う言葉に、私は、土地のひとらしい登山者の、出羽三山や鳥海山によせる尊崇の思いを知らされたような気がした。
四合目の国民宿舎大平山荘でみそ汁の振舞を受け、つた石坂から見晴し台までの急坂を登って午前六時。ブナ、ミズナラ、ダケカンバの樹林帯を抜けて、小さな流れに沿って進む。チシマザサに被われた斜面には、まだつぼみの固いニッコウキスゲがいっぱいある。ツマトリソウ、タニギキョウ、ヒナザクラも咲いている。シラネアオイはまだ|蕾《つぼみ》。登るにつれて両側の雪が深くなり、幾度か雪渓を横切ってあたご坂の急坂を越えると、雪が少くなって、這松の密生があらわれ、中に、伯耆大山で見たキャラボクもまじっていた。
七合目の御浜神社までの道の両側で、チョウカイアザミ、ウゴアザミ、オクキタアザミに見参。殊にチョウカイアザミの花のうつむいた姿がおもしろい。花のかたちに特徴のあるチングルマも咲いていた。
七合目、千七百メートルの地点にある御浜神社で一休みして、神社のうしろから九合目の千蛇谷のほとりまでゆく。晴れていれば真下に鳥海湖を、西に日本海、東に新山と大物忌神社を望んで、雄大な景観をほしいままにするところだけれど、とにかく視界五十メートルの霧の中である。鳥海湖になだれ落ちる斜面の一面のハクサンイチゲの大群落を見ただけでもう満足と、帰ろうとする足許の砂礫地に点々とチョウカイフスマが咲き、案内の菅原氏たちが、「あった」「あった」と声をかけ合ってうれしそうに見入っている姿に感動した。
北海道の利尻富士に登ったとき、針葉樹林帯の木かげに、純白の五輪の小さい花が群れ咲いていて、ハコベに似て、もっと花が密集していて美しかった。図鑑にはオオヤマフスマとあり、ヒメタガソデソウとも書かれていて、その花のかれんさが、そのようにやさしい名を与えられたのかと思った。帰って、山形生まれの友人に写真を見せると、チョウカイフスマは葉も花ももっと美しいと言う。武田久吉さんの『日本高山植物図鑑』には、チョウカイフスマと、メアカンフスマは同じと書かれている。鳥海の主とよばれている畠中善弥氏の『影鳥海』によれば、メアカンフスマは、一八八五年、藤田九三郎氏が採集して、一八八六年、ロシアの植物学者、マキシモウィッチ氏がメアカンフスマと命名。一八八七年、矢田部良吉氏が鳥海山で採集したものが、メアカンフスマと比較して別種であるとの見解から、一九一九年、チョウカイフスマとして発表。両者が同一種か別種かはいまだに議論のあるところであるという。学者の見解はともかくとして、私は、山形の人たちが、チョウカイフスマを、鳥海山の花として、誇りやかに語る気持ちをうれしいと思う。
地方によっては、お国自慢の第一に、首相を何人出したと数えあげたりするひとが多いのに、飽海郡遊佐町にいった時も、教育長の菅原伝作氏がわが子をほめるように、チョウカイフスマの美しさを語るのを聞き、いつか必ず見に来ますと約束した。そして、二年たって夏の七月のはじめに、羽黒山、月山の帰りに、いつもの山仲間四十人と吹浦に一泊して五時に出発した。
必ず来ると言っても来ないひとが多いのに、よく来てくれたと菅原さんはよろこび、畠中さんをはじめ、教育委員会の皆さんが同行してくれた。
当日は小雨まじりの曇天で、まだ雪の多い山は道に迷い易く危険だということである。東京をその前日の夜行バスで来て暁方の羽黒山にゆき、月山にゆき、冷雨降りしきる中を、西側の急斜面の悪路を下りて、いささか皆疲れていた。月山でゆきあった中年の男のひとは、私たちのスケジュールを聞くといきなり、東京から来て、一泊で出羽三山と、鳥海山に登るなどとはおこがましいと不機嫌であった。そのおこがましいと言う言葉に、私は、土地のひとらしい登山者の、出羽三山や鳥海山によせる尊崇の思いを知らされたような気がした。
四合目の国民宿舎大平山荘でみそ汁の振舞を受け、つた石坂から見晴し台までの急坂を登って午前六時。ブナ、ミズナラ、ダケカンバの樹林帯を抜けて、小さな流れに沿って進む。チシマザサに被われた斜面には、まだつぼみの固いニッコウキスゲがいっぱいある。ツマトリソウ、タニギキョウ、ヒナザクラも咲いている。シラネアオイはまだ|蕾《つぼみ》。登るにつれて両側の雪が深くなり、幾度か雪渓を横切ってあたご坂の急坂を越えると、雪が少くなって、這松の密生があらわれ、中に、伯耆大山で見たキャラボクもまじっていた。
七合目の御浜神社までの道の両側で、チョウカイアザミ、ウゴアザミ、オクキタアザミに見参。殊にチョウカイアザミの花のうつむいた姿がおもしろい。花のかたちに特徴のあるチングルマも咲いていた。
七合目、千七百メートルの地点にある御浜神社で一休みして、神社のうしろから九合目の千蛇谷のほとりまでゆく。晴れていれば真下に鳥海湖を、西に日本海、東に新山と大物忌神社を望んで、雄大な景観をほしいままにするところだけれど、とにかく視界五十メートルの霧の中である。鳥海湖になだれ落ちる斜面の一面のハクサンイチゲの大群落を見ただけでもう満足と、帰ろうとする足許の砂礫地に点々とチョウカイフスマが咲き、案内の菅原氏たちが、「あった」「あった」と声をかけ合ってうれしそうに見入っている姿に感動した。