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花の百名山30

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:月山  ウズラバハクサンチドリ(ラン科) 私は、昔から、大ぜいのひとが登ったという山に惹かれる。何故、そんなにも多くのひ
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月山  ウズラバハクサンチドリ(ラン科)  
 
 私は、昔から、大ぜいのひとが登ったという山に惹かれる。何故、そんなにも多くのひとの心をとらえたのか。
出羽三山はその北の鳥海山と共に、久しく心の底にその姿をひそませていた。鳥海山は青森、秋田、山形、それらの土地にゆく度に、成層火山の特徴を見せるその秀麗な山容が遠望され、駿河の富士山が、その山容を仰ぎ見るひとびとの心に、さまざまの影を落したように、鳥海山もまた、東北西部のひとびとの心に大きな力を投げかけているにちがいない。
出羽三山にはこの三つの山を一体の神とする修験道の信仰があり、崇峻天皇の皇子が開山したということになっている。まだ国が若くて、天皇家に対立する豪族として蘇我氏の力が強大な頃であり、天皇はひそかに馬子の命を受けた|東 漢《やまとのあや》の駒に殺された。その皇子が大和からはるばると月山に着いたという事実はともあれ、その開山を六世紀という古さに据え、非運の皇子を持って来たことがおもしろい。
八世紀の延暦四年には、熊野権現を勧請したと山形県史に書かれている。あるいは、出羽三山を一体とする発想は、熊野三山から来たのかもしれないが、熊野に、修験者の、海に流されての死を期す|補陀洛《ふだらく》渡海の風習があったように、ここには、穴の中に生身を埋められての成仏があった。骸骨が僧衣をまとっての姿は、写真で見ただけでも恐しく、信仰の極致が、何故そのようなすさまじい自己虐待を生むのか、ほとんど理解に苦しむところだけれど、出羽三山の姿には、そのような苦しみへの陶酔を誘う妖気が漂っているのかもしれなかった。
羽黒山からバスで月山の八合目の弥陀ヶ原まで。午後からくずれるという空は雲が重なりあっているが、視界は東西二・五キロ、南北三キロという青草の野の果てまで見通すことができて、ゆるやかな斜面を登りながら、そのすばらしさを山友だちとよろこびあった。月山火山の熔岩台地でもあろうか。霧ヶ峰にも似たひろやかな眺めである。木道の両側には、ひらきはじめたニッコウキスゲの黄、ヨツバシオガマの紅が美しく、紫のハクサンチドリも点々と咲いている。チシマザサのかげにはシラネアオイも咲きはじめ、ウサギギクもあざやかな黄に映えている。月山という山が、こんなに花のある山とは知らなかった。大小の|池塘《ちとう》もあって、ワタスゲの白い花穂がゆれ、イワイチョウやミツガシワの白い花も見える。ぎっしりとモウセンゴケも生えている。キンコウカの黄、トキソウの薄紅も美しい。ミヤマニガナもタテヤマリンドウもネバリノギランも多い。
熔岩流の波が幾重にも重なっておしよせたような、急坂の岩石地帯を幾つか越えてゆるやかな草地に入ると、栗駒山で見たヒナザクラの群落がつづき、ハクサンチドリの葉に、暗紫色の斑点のあるのが目立って来た。はじめて見る種類である。写生して、鳥海山に同行してくれた植物通の畠中善弥さんに聞くと、ウズラバハクサンチドリであった。
ハクサンチドリはずい分方々で見たけれど、この斑点のあるのははじめて見た。八合目から十合目の月山神社まで五キロ。だらだら登りのせいか意外に時間がかかって、夜行バスで来た身はぐったりとして足が重い。天候も急変して雨となり、小屋のうしろのクロユリの大群落もそこそこに眺めて湯殿山口へと七キロの道を下る。雨は風を伴って冷たく、急坂に次ぐ急坂の道は、雪渓を幾度か横切り、霧がたちこめて視界二、三十メートルほどになり、登って来た道が天上の楽園とすれば、この世の地獄ともなって来た。ニッコウキスゲもつぼみばかりとなって、一つの山でありながら、東側にくらべて西側の気温がずっと低いことを示しているようであった。
下へゆくほど、雪渓の雪がゆるんで来ていて、ミズバショウなども咲き出しているが小さい。芭蕉が『奥の細道』に「息絶身こゝえて」という思いをして「雲霧山気の中に氷雪を|踏《ふみ》てのほる事八里」と書いたのは、やはり、こんなお天気の日であったのだろうか。地獄の道の最後は、爆裂火口の壁面とも見える仙人沢に下りるための梯子や鎖の連続で、降りしきる氷雨に、下着の中まで水が通り、足を踏み外すまいと必死に桟をつかむ手も凍えたが、岩かげにベニバナのダイモンジソウを見出し、わずかになぐさめられた。月山はやはりおそろしい山であった。
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