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花の百名山35

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:利尻山  シコタンハコベ(ナデシコ科) 利尻富士は多分私には無理とあきらめていた山である。二十年前に立山から槍ヶ岳まで縦
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利尻山  シコタンハコベ(ナデシコ科)  
 
 利尻富士は多分私には無理とあきらめていた山である。
二十年前に立山から槍ヶ岳まで縦走したあとで、大腿骨を複雑骨折している。十五年前に再手術して、それでなくても弱い脚力が、なお衰えてしまった。再手術してから、百を越える山に登ったのは、ただひたすらに山の中にあることが好きだったから。しかし、からだの状態を考えれば、高く険しい山はいくら好きでも、ほどほどということがある。
利尻は海面から一七一九メートル。足の丈夫な頃は一時間に三、四百の高度をかせげたが、今はせいぜい二百から二百五十メートル。利尻は登りに八時間と見なければならない。山道によっては、下りもその位かかることがある。
稚内から飛行機で礼文島に着き、礼文岳に登って翌日、鴛泊に着いて一泊。早暁の午前二時に宿を出た。稚内にもどる船は午後三時に出帆である。十二時間だけの許された時間で、利尻の中腹にある長官山までゆければよいと考えた。かつて一人の北海道長官が、部下たちと利尻に登山し、長官山まで達して引返したという。大変ふとっていたひとのようで、その志は称賛に値すると「利尻礼文国立公園昇格記念アルバム」に書かれている。いつか加賀白山に登った時、某県知事某氏が、ヘリコプターで室堂の前の草地に到着したのに出あったことを思えば、肥満体を、この千二百メートルの地点まで持ち上げたことはたしかにえらい。私も七十キロ近い肥満体である。ここまで六時間と見て、あとはお花畑を散策し、健脚組が頂上から下山してくるのを待とうと思っていた。
登りはじめたのは三時。足の弱いひとは四四七メートルのポン山と、利尻火山の一噴火口のあとである姫沼湖畔一周のコースをえらび、私もまだ明けやらぬトドマツ、エゾマツの原生林の道を、懐中電灯の光を頼りに歩きながら、とつおいつ迷っていた。今度の山旅では、いつもの女ばかりの山仲間と、ニセコの目国内、樽前、夕張岳と登って来て、風邪薬を乱用したせいか、脚力はなはだ覚つかない。午前五時、夜も明けて、姫沼との分岐点も過ぎ、原生林の闇から脱けた頃は、とにかく長官山までを目標として、意外に歩きよい山道を歩きすすめた。
午前七時、長官山に辿りつく。だんだん道も急になって息あえがせながら、朝陽にかがやく長官山の頂きが樹間に見えかくれするのを、あそこまで、あの場所までと重い足を引きずりながら来て、いつかその頂きを背後にすると、忽然と眼の前に頂きから麓までの雄大な斜面をもつ利尻本峰があらわれ、その山腹一ぱいに、黄にいろどられた花々が遠望され、一ぺんに疲れが消えてしまった。
何の花だろう。シナノキンバイであろうか。ミヤマダイコンソウであろうか。黄のいろが一つの花毎にかたまっているので、細かい花のあつまったキンレイカではあるまい。黄のいろが濃いのでセンダイハギでもない。アキノキリンソウはもっと南に位置する目国内でも蕾であった。北の利尻ではまだ咲かないだろう。同じ黄でもミヤマキンポウゲはもっと花のいろが薄いのではないか。などなど眼はひたすらに、その黄の花の大群に吸いよせられて雪渓を横切り、視線はその黄のお花畑に縫いつけられたまま、足許のオダマキやエゾシオガマやエゾツツジの、濃く鮮明な色彩におどろかされているうちに、九時、頂上の真下の最後の悪路にさしかかった。
利尻富士は、那須火山系の北端に占める火山で、礼文島から海上に浮ぶその富士山に似た成層型の山容のすばらしさに眼を見張らされたが、頂上近くは爆裂火口の名残りを示していて、一歩進んでは半歩ずり落ちるような砂礫の道である。草つきの南の斜面には、ここまで咲きのぼって来た黄の花が点々と咲き、利尻の特産であるというボタンキンバイのようであった。
あと十分で待望の頂上にと一息入れた時、岩かげに純白の一群れの花を見た。ハコベに似て花も葉も大きくたくましい。
あ、シコタンハコベと気づいた。敗戦後、千島列島はソ連の占拠するところとなったが、日本人にとって、どうしてもとり還さなければならない島の名を負って、この一群れの花は、この荒々しい山肌にしがみついていると思ったとき、ふと、いとしさに涙がにじんだ。
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