返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

花の百名山37

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:余市岳  エゾカンゾウ(ユリ科) その夏、いつもの女ばかりの山仲間と富良野岳やアポイ岳に登って札幌にもどり、「サッポロビ
(单词翻译:双击或拖选)
余市岳  エゾカンゾウ(ユリ科)  
 
 その夏、いつもの女ばかりの山仲間と富良野岳やアポイ岳に登って札幌にもどり、「サッポロビール」でジンギスカンをたのしんでいると、今回の山旅のプランナーである滝本幸夫氏から電話があり、小樽山岳会会長西信博氏が、明日|余市《よいち》岳に登りませんかと言われているとのことであった。
西氏の亡き父君は、私の亡兄と北大医学部での同級生であり、且つ、山仲間であった。東京の私の実家にも度々見えて、亡兄と共に北海道の高山植物の美しさをよく語っていた。北大|恵迪《けいてき》寮の寮歌に歌いこまれた手稲山の原生林の下草に、春の雪どけを待って、エゾカンゾウがびっしりと咲く。山麓には野を埋めて、ノハナショウブの群落がある。
野にも山にも、スズランだけが咲いているように思っていた私の北海道への夢は、おかげで朱赤に、紫に、いろも美しく染めあげられることとなった。兄も、西父君も亡くなり、その遺児から山に誘われる。うれしくて明日に備え、ジンギスカンのお代りをした。
余市岳は定山渓を流れる白井川の谷の最奥に聳え、札幌小樽周辺での最高峰である。朝里岳、白井岳をしたがえた山容は雄大で、久しく南面の沢をさかのぼる以外の道を許さなかった。数年前に北側の、赤井川沿いの道が拓かれ、孤高の山もその懐深く入りこめるようになったと言う。
あくる日は快晴で午前十時、登山口に集合。一かかえも二かかえもありそうなダケカンバの巨木が茂りあう急勾配の林を抜け、切拓かれた笹藪の道をひた登りに登った。一時間ほどすると、左手に朝里岳の台地状のなだらかな山頂が見え、飛行機が発着できるほどに広い笹の原で、池塘もいっぱいあり、熊の運動場になっているとのことであった。
定山渓にはよく熊が出るそうだけれど、あのあたりからくるのかと眺め入りながら、ふと気づくと、自分の歩いている道は、朝里岳、定山渓間の距離の五分の一もない近さで、熊の運動場と連なりつづいている。急におそろしくなって来て、足も小走りになり、自分を取りまく笹藪のすべてが熊の|棲《す》み|処《か》に見えて来て、早くここを抜けて這松地帯にとひたむきに急いだ。丁字型に道の交叉する峠の一端に辿り着くと、谷側の這松の丘の上に、忽然と乳房状の円やかな峰が、空に大きく濃緑の弧を描いて浮び上った。余市岳の主峰一四八八メートルである。光悦寺のある京都の鷹峰に似て、まことに優雅で端正な姿だ。
眼の下に白井川につづく左股川、右股川の谷々が深い緑に沈み、遠く定山渓あたりの建物が見える。西氏の父君も私の兄も定山渓からの谷を詰めてこの峠に立ったことがあったろうか。昭和初年に一〇二四メートルの手稲山にスキーで登るのは、今のヒマラヤ登山ほどの壮挙であったと、滝本幸夫氏の『北の山』に書いてある。
たった一人おくれて、這松の中をえぐりとったような道をゆきながら、西父君や亡兄の、私をはげます声が胸に聞えた。そんなに無理して急いだりしたら心臓に悪いよ。ほら、這松の根が出ている。つまずいてころんでいつかのように骨を折らないように、ゆっくりゆっくり、あわてないで。二人はこもごもに声をかけてくれる。私はもう六十歳を過ぎているのに、西父君も亡兄も二十代の青年の声なのはどういうことだろう。西さん、お兄さん、私も二十代の時に、一緒に山にくればよかった。バカな妹はやっと今頃になって、どう呼んでも引きもどせないところにあなたがたがいってしまったあとになって、一人で花をさがしに来ているの。口につぶやくと涙が溢れて来て、這松の緑がとけて眼にしみるようであった。
それにしても四十何年も前だったら、もっともっと花がいっぱいあったにちがいない。余市岳はあんまり花がないみたい。半ばあきらめて、這松の中から頂き近い斜面に出て来て息をのんだ。まだ雪渓のあるそのあたりは、一面のみごとなお花畑で、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、タカネオミナエシ、タカネナデシコ、エゾマツムシソウ、エゾキンバイソウがいろとりどりに咲き、一きわ目立つのがエゾカンゾウの鮮やかな朱赤の群落であった。手稲山にもまだカンゾウがあるかしら。はるかな北東にその山の稜線を見やりながら、今すぐにもいってたしかめたくなった。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%