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花の百名山113

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:北八甲田山《きたはつこうださん》   サンカヨウ・サワラン 八甲田山には二度いって、二度目にようやく酸ケ湯から、大岳の一
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北八甲田山《きたはつこうださん》
   サンカヨウ・サワラン
 
 八甲田山には二度いって、二度目にようやく酸ケ湯から、大岳の一五八五メートル、井戸岳を経て|田茂萢《たもやち》岳の一三二四メートルまで縦走することができた。はじめての時は酸ケ湯から下毛無岱、上毛無岱を通って井戸岳の一五五〇メートルから大岳へと向かったのだが、雨中登山となり、笹藪の中の急坂から、木道の整備されたナナカマドやアオモリトドマツやダケカンバの樹林帯から、下毛無岱へと進んだ。小さな沢を何本も横切り、樹々がだんだん背が小さくなってゆく。明治三十五年一月末の八甲田山では、青森第八師団第五聯隊の将兵二百十人が、田代平に向かって雪中行軍をした時、風雪の中で二十四日、二十五日と露営、二十六日に、各自が四散して十一名をのぞく全員が雪の谷間に死んだのだが、この複雑な小さな沢、高度を増すにつれて風当たりが強いためか、背が低くなってゆく樹々を見ると、これらがすべて雪に埋もれたとき、道に迷うのも無理ないと思われた。
私は昭和三十年ごろ、青森にはじめていった時、その事件をこれもはじめて聞かされ、その痛ましさに胸をつかれた。軍の不名誉として、戦前は、地許のひと以外には知らされなかったのであろう。
ところで、その日、木道の急坂を登り、井戸岳のヒュッテに辿り着こうとした時、仲間の一人が急に顔面蒼白となり、道ばたの草の中に倒れてしまった。タンカを待つ間、一人介護したが、急変を案じて、胸がどきどきした。リーダーの三木慶介さんが下毛無岱まで負って下ろし、先に酸ケ湯に知らせたものがタンカを持ってきて、酸ケ湯につれて来たのが強風と横なぐりの雨の中である。救急車で私がついて青森の病院へゆく途中、消防署のひとに聞いてみた。八甲田山に今なお、死んだ将兵の怨霊があらわれるのですか。消防署のひとはわらって、「そんなことはないが、自殺者はよくあり、低い木の下に入られると、遺体がなかなかあらわれません」。
さて、二度目の八甲田山ゆきは、三木氏の知人の田代平にある別荘に、八戸の久本清子さんと泊めてもらって実現したのである。酸ケ湯に車をまわす途中の馬立平で、雪中に一人銃をかまえて立ちつづけ、悲劇を救援隊に告げた後藤伍長の銅像が建っていた。この痛ましい事件は、上官が、地許のひとを案内にたのまなかったのが原因だったと言われている。
酸ケ湯から大岳への道は、これも急坂の地獄谷という大きな崩壊地形や渓流をわたったりするが、天候が前回とまったく同じに、強風と霧で、この日本列島の北の山が、太平洋と日本海を両方に控え、いかに気象の変化が多いかを知った。ことに六月や七月の梅雨どき。前回は七月であった。今度は九月の寒冷前線通過とかで、地獄谷のナナカマドやウラジロヨウラクは紅葉し、マイヅルソウやサンカヨウは実となっている。火山灰地の泥濘の中や、すべりやすい露岩の上を這うようにして進んでいった。ベニバナイチゴの赤い実は一つもない。この辺はクマが出るのかもしれない。クマの好物の根曲がり竹も多いようだと思ったが、この寒さではクマも出まいと気持ちだけはゆったりとして大岳直下の仙人岱に着く。チングルマもミツバオウレンも皆花がらばかり、清子夫人の夫君の欽也氏が前夜に、エゾエンゴサクやサワランもあると言われたが、この枯れ草の湿地の中ではまず姿は見られないとあきらめ、「八甲田清水」という湧水を飲んで急坂を登る。風はいよいよ吹きまくり、そうそうに井戸岳との鞍部のヒュッテに逃げこんで昼食。赤倉山への道は嵐がおさまって濃霧となって視界一〇メートル。時々の霧の晴れ間に崩壊地形の谷が見える。ミヤマハンショウヅルもミヤマオダマキも花がらとなっている。田茂藪に向かう根曲がり竹の藪の中でやっとうす陽がさして、湿原の中に入ってサワラン、モウセンゴケなどをさがしたかったが、ロープウエイを眼の前にすると、早く冷えきったからだを温泉に入れたくて駆け出してしまった。
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