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花の百名山115

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:種山高原《たねやまこうげん》   ムシカリ 大船渡の教会からクリスマスの集まりによばれたとき、近くに山はありませんかと聞
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種山高原《たねやまこうげん》
   ムシカリ
 
 大船渡の教会からクリスマスの集まりによばれたとき、近くに山はありませんかと聞くと、いつか登った五葉山と同じ北上山地の種山高原がよいという。五葉山の北には、蛇紋岩やカンラン岩の花の名所の早池峰山があり、五葉山にも花は多かったが、種山高原も同じ岩石である。
何よりも宮沢賢治の「風の又三郎」の舞台になっているというので心魅かれた。
「風の又三郎」は、北海道から転入して来た生徒が、新鮮なおどろきを同級生に与え、風のように又去ってゆく。
私は昔、「セロ弾きのゴーシュ」をアニメ映画にする台本を書いたことがあり、宮沢賢治作品の中にひそむ幻想的な詩魂を尊敬している。
宮沢賢治は岩手県の花巻のひとだが、盛岡の高等農林学校を出て、地質を研究し、農学校の教師となっていれば、多分馬に乗ってでも、春や秋の晴れた日には四十キロの道を、種山高原まで、馬のたてがみを風になびかせながらやって来たことがあるであろう。
種山高原は南北約十五キロ、東西約六キロ。車道が出来ていて、高さ七百メートルのところまで車でゆける。あとは百メートル、百五十メートルのゆるやかな丘を登るだけと現地のひとに聞かされて、十二月も末の晴れた昼間、大船渡から車を走らせたが、積雪三十センチ。谷々は深い雪に埋もれていた。
しかし見渡す限りのゆるやかな丘の連なりは、スイスの牧場さながらである。この高原は五月中旬から十ケ町村の三百頭あまりの乳牛や肉牛や乗用馬の放牧場になるのだという。
それならば今度は五月はじめの、まだ家畜の来ないときの緑の丘々の眺めをたのしみたいと、種山高原から早池峰の神楽を見る旅を計画して、二十名程がバスをチャーターして東京を出発した。夜は花巻温泉。午前中に花巻にある高村光太郎の旧屋を見て、町のひとにたのんだ鹿踊りを見せてもらった。種山高原には宮沢賢治の詩碑があり、次の詩が彫られていると、種山牧場事務所のひとにもらったコピーは次の通りである。
種山ヶ原の 雲の中で刈った草は
どごさが置いだが 忘れだ 雨ぁふる
種山ヶ原の せ高の芒あざみ
刈ってで置ぎ わすれで雨ふる 雨ふる
種山ヶ原の 霧の中で刈った草さ(足拍子)
わすれ草も入ったが 忘れだ 雨ふる
種山ヶ原の置ぎわすれの草のたばは
どごがの長根で ぬれでる ぬれでる
この詩は方言をそのままつかっていて、足拍子とあるのは、この歌を歌いながらおどり、ここでドドッと足拍子をふんだのであろう。
これは賢治がつくった劇の中で歌われたものというけれど、私は、優雅な中にも勇ましい鹿踊りを一つの体育館の中で見ながら、これが種山高原のあの草の上であったらと想像した。むせぶような草の香の中に、鹿踊りのひとの紅を基調にした衣裳が跳んではねる。太鼓が鳴る。背景はどこまでも高い北国の空。浮かぶ白い綿雲。その足許に咲く野の花たちは、春はスミレにタンポポを主体にしてニワゼキショウやネジバナも咲くであろう。
そして五月は。
私たちのバスは種山高原の中で一番高い物見山の下までいった。そのあたりはレンゲツツジが群落をつくっているがまだ蕾がふくらんでいるだけ。東北の初夏は五月にレンゲツツジの咲く赤城山よりおそいのである。しかし途中の林の中にはタニウツギ、キササゲ、ミヤマガマズミ、ミズキ、クサギの花盛りでムシカリ、ホオの白い花も目立った。
賢治の碑の前はひろい草原になっていて、うす紅のアズマギクが咲いていた。このひろい丘の上の夜空の星はどんなに美しいでしょうと十二月に来たときいうと、同行の大船渡のお医者さんの菊池洋先生が、夏の夜はスターウォッチングがあるのだと教えてくれ、私が冬の種山高原をわたる風の音が聞きたいというと、録音して送ってくださった。
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