ヒナザクラ・キオン
カルデラ湖である田沢湖畔に美しい裸身の美少女の彫刻がある。この地には、自分の美貌を神に祈った娘が、満願の夜、そのまわりじゅうが水となり、ついには湖となり、娘は大蛇になったというたつ子姫の伝説がある。たつ子姫は水神に仕える|巫女《みこ》だったという話もあるが、この像は、東に向かって眼をあげている。その眼差しに入るのは、秋田駒の美しい成層火山的な端麗な姿である。私はふと想像してみる。娘は秋田駒のようにりりしい姿の青年に恋をして、報いられずに湖に身を投げたのではないか。秋田駒には、いつかの十月半ばの雪の日以来、二度登った。一度はやはり秋の十月の半ば。前夜は岩手山麓の網張温泉に一泊。五時に出発して、西側の水沢沿いの道を阿弥陀池の一五三八メートルに。|女《め》岳に登って北に下りて湯森山、|笊森《ざるもり》山の一五四一メートルとまた登り、|千沼《せんしよう》ケ原から東に向かって平ケ倉山と平ケ倉沼の間を通って|葛根田《かつこんだ》川渓谷に。三年おいて千沼ケ原から西に進んで乳頭山の一四七八メートルから乳頭温泉郷の黒湯に。前者は二〇キロ近く、後者は一八キロぐらい。前者の時は平ケ倉沼のほとりの道がまったくぬかるみで、十四時間かかり、後者の時は、山と渓谷社の神長さんと山岳写真家の新妻喜永さんが一緒で、花の写真をとりながらであったので、やはり十時間かかって、前者後者ともに真っ暗闇の中の下山となった。
さて、二度目も秋ではあったが、快晴でハイマツの緑にドウダンツツジの葉の紅のまじった秋田駒本峰、草紅葉に被われた笹森、笊森の山々の美しい眺めは、北海道の大雪山旭岳の山頂から、沼ノ平あたりを見下ろしたような広大さで歓声をあげた。
後者の旅は夏の八月であったから、まったく百花繚乱の趣そのもの。
いちいち出あった花を書き出そうとして、心配なのは、つい最近の初秋に登った鳳凰三山の観音岳でタカネビランジやホウオウシャジンの百本近くを盗掘してつかまった男の話である。
私たちが登ったのはその数日あとで、直接に犯人をつかまえる役にかかわった小屋主から話を聞くと、まず、山をたのしむひとというのではなくて、眼つきがちがっていたからすぐピンと来たとのことである。
秋田駒には乾性、湿性の花が、私が一つ一つ見ただけで百種以上咲いていた。山域もひろいが、花の種類も多い。よく見る花、だれも取っていきはしない花、山採りの高山植物などと言って売りに出されることはないと思う花の名をあげれば、ミヤマアキノキリンソウ、ゴマナ、オヤマボクチ、カメバヒキオコシ、モミジイチゴ、サワヒヨドリ、オトギリソウ、オトコエシ、イチヤクソウ、オカトラノオ、アキノタムラソウ、ヤマブキショウマ、ツルリンドウ、ショウジョウバカマ、ニッコウキスゲ、ネバリノギラン、イワオトギリ、オニアザミ、モリアザミ、サワアザミ、アマニュウ、シラネセンキュウ、ヤマハハコ、ヨツバムグラ、タカネトウウチソウ、ダイモンジソウ、ハンゴンソウ、ミヤマホツツジなど。これらはどこにもある。コウリンカもサワオグルマもエゾノシモツケソウもゴゼンタチバナ、マイヅルソウ、ハナニガナ、オオバユキザサ、コバイケイソウ、サラシナショウマもいくらでもある。ハナヒリノキは実になっているけれど、キンコウカもダイモンジソウもイワイチョウもイワカガミもある。ミズギボウシ、シギンカラマツ。以上の花々はあまり山草売りの売店で見たことはない。しかし、私は敢えて書いてとらないで下さいとおねがいしたいのは、千沼ケ原から左の乳頭山に向かう一つの谷であったヒナザクラの大群落である。
栗駒山の十倍くらいの面積に咲きさかっていた。こんなに咲いているから、一本ぐらいは自分で持ってゆくというひとが一人から二人になれば、たちまちなくなる。と本当は書きたくないのがほかにもある。キオンとイワヒゲである。どうか秋田駒を高山植物の宝庫として永遠に子孫に伝えて下さい。
さて、二度目も秋ではあったが、快晴でハイマツの緑にドウダンツツジの葉の紅のまじった秋田駒本峰、草紅葉に被われた笹森、笊森の山々の美しい眺めは、北海道の大雪山旭岳の山頂から、沼ノ平あたりを見下ろしたような広大さで歓声をあげた。
後者の旅は夏の八月であったから、まったく百花繚乱の趣そのもの。
いちいち出あった花を書き出そうとして、心配なのは、つい最近の初秋に登った鳳凰三山の観音岳でタカネビランジやホウオウシャジンの百本近くを盗掘してつかまった男の話である。
私たちが登ったのはその数日あとで、直接に犯人をつかまえる役にかかわった小屋主から話を聞くと、まず、山をたのしむひとというのではなくて、眼つきがちがっていたからすぐピンと来たとのことである。
秋田駒には乾性、湿性の花が、私が一つ一つ見ただけで百種以上咲いていた。山域もひろいが、花の種類も多い。よく見る花、だれも取っていきはしない花、山採りの高山植物などと言って売りに出されることはないと思う花の名をあげれば、ミヤマアキノキリンソウ、ゴマナ、オヤマボクチ、カメバヒキオコシ、モミジイチゴ、サワヒヨドリ、オトギリソウ、オトコエシ、イチヤクソウ、オカトラノオ、アキノタムラソウ、ヤマブキショウマ、ツルリンドウ、ショウジョウバカマ、ニッコウキスゲ、ネバリノギラン、イワオトギリ、オニアザミ、モリアザミ、サワアザミ、アマニュウ、シラネセンキュウ、ヤマハハコ、ヨツバムグラ、タカネトウウチソウ、ダイモンジソウ、ハンゴンソウ、ミヤマホツツジなど。これらはどこにもある。コウリンカもサワオグルマもエゾノシモツケソウもゴゼンタチバナ、マイヅルソウ、ハナニガナ、オオバユキザサ、コバイケイソウ、サラシナショウマもいくらでもある。ハナヒリノキは実になっているけれど、キンコウカもダイモンジソウもイワイチョウもイワカガミもある。ミズギボウシ、シギンカラマツ。以上の花々はあまり山草売りの売店で見たことはない。しかし、私は敢えて書いてとらないで下さいとおねがいしたいのは、千沼ケ原から左の乳頭山に向かう一つの谷であったヒナザクラの大群落である。
栗駒山の十倍くらいの面積に咲きさかっていた。こんなに咲いているから、一本ぐらいは自分で持ってゆくというひとが一人から二人になれば、たちまちなくなる。と本当は書きたくないのがほかにもある。キオンとイワヒゲである。どうか秋田駒を高山植物の宝庫として永遠に子孫に伝えて下さい。