ガンコウラン
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川木のふるさとの渋民村は、盛岡市の真北にあり、東に、一一二五メートルの姫神山、西に、二〇四一メートルの岩手山がある。渋民村からの距離は、姫神山の方が、岩手山の三分の一。木がこの歌の前においているのは次の歌である。
今日ひよいと山が恋しくて
山に来ぬ。
去年腰かけし石をさがすかな。
私は、この歌から考えて、「ふるさとの山に向ひて」の山は姫神山ではないかと思う。岩手山では、ひょいと恋しくて山に来て、腰かけることはできない。
私が岩手山に登ったのは、雨の日でもあったが、山麓の網張温泉からの道は途中までリフトがあったのにかかわらず、悪路で、険路で、夏というのにガタガタしながら泥濘に難渋した。ここに両側から茂りあっていたのは、北海道の大千軒岳の知内川沿いの道とよく似ていて、ヨブスマソウやオニシモツケなど、まことに荒々しい風情である。遠くから見た姿も、姫神山は、早池峰山と同じ北上山地に属して、花崗岩の残丘なのだが、成層火山に似た秀麗な感じで、山麓一体はスズランの名所である。岩手山は成層火山だが、山頂のカルデラ地形の中にいくつかの火山が噴出していて、いかつい印象を受ける。
姫神山は、岩手山に登った翌年の秋に、盛岡と遠野のスイス外国宣教会の神父さんたちと玉山村から登って、まずブナの黄葉の美林の中を歩き、道のまん中に泉が噴き出して溢れた水が谷川のように走り下るのを見た。樹林帯の中に、枯れたツリガネニンジンやオヤマボクチがあり、スズランの葉の一枚もと思ったが、登山道のもっと奥にあるとのこと。カシワやブナやホオの落ち葉の中の急坂の急登をつづけ、頂上の巨岩の重なりあうところまで二時間半。岩の間にガンコウランやコケモモなどの小低木がはりついていて、クマが食べたのか実はなかった。
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川木のふるさとの渋民村は、盛岡市の真北にあり、東に、一一二五メートルの姫神山、西に、二〇四一メートルの岩手山がある。渋民村からの距離は、姫神山の方が、岩手山の三分の一。木がこの歌の前においているのは次の歌である。
今日ひよいと山が恋しくて
山に来ぬ。
去年腰かけし石をさがすかな。
私は、この歌から考えて、「ふるさとの山に向ひて」の山は姫神山ではないかと思う。岩手山では、ひょいと恋しくて山に来て、腰かけることはできない。
私が岩手山に登ったのは、雨の日でもあったが、山麓の網張温泉からの道は途中までリフトがあったのにかかわらず、悪路で、険路で、夏というのにガタガタしながら泥濘に難渋した。ここに両側から茂りあっていたのは、北海道の大千軒岳の知内川沿いの道とよく似ていて、ヨブスマソウやオニシモツケなど、まことに荒々しい風情である。遠くから見た姿も、姫神山は、早池峰山と同じ北上山地に属して、花崗岩の残丘なのだが、成層火山に似た秀麗な感じで、山麓一体はスズランの名所である。岩手山は成層火山だが、山頂のカルデラ地形の中にいくつかの火山が噴出していて、いかつい印象を受ける。
姫神山は、岩手山に登った翌年の秋に、盛岡と遠野のスイス外国宣教会の神父さんたちと玉山村から登って、まずブナの黄葉の美林の中を歩き、道のまん中に泉が噴き出して溢れた水が谷川のように走り下るのを見た。樹林帯の中に、枯れたツリガネニンジンやオヤマボクチがあり、スズランの葉の一枚もと思ったが、登山道のもっと奥にあるとのこと。カシワやブナやホオの落ち葉の中の急坂の急登をつづけ、頂上の巨岩の重なりあうところまで二時間半。岩の間にガンコウランやコケモモなどの小低木がはりついていて、クマが食べたのか実はなかった。