壬生郷《みぶごう》、というのは京の西郊で、古寺と郷士屋敷と農家の一集落だが、王朝のころは朱雀大路《すざくおおじ》の中心街であっただけに、どこか、古雅なにおいをのこしている郊《まち》である。
歳三たち天然理心流系の八人の壮士は、壬生郷八木源之丞方に宿営せしめられた。
「立派な屋敷だ」
と、近藤は大よろこびだった。
なるほど、歳三が知っている武州のいかなる豪家よりも、普請がいい。柱といい、床《とこ》といい、一本えらびの銘木がふんだんにつかってあり、前栽《せんざい》、中庭などは、数寄者《すきしや》がみればふるえの来そうな雅致がある。
「歳《とし》、みろ、これは名庭だ」
無骨者の近藤が、縁側まで出て、飽かずにながめている。名庭どころか、この程度の庭なら、京には掃いてすてるほどあるということはあとになって知り、近藤も、
「京はおそろしい」
と複雑な表情をするのだが、このときはただ目をみはっている。
「なあ、歳」
と、近藤はふりむいた。歳三は、立って庭をながめながら、
「その歳、てのは、もうよそうじゃないか」
といった。京にきてみると、どうも、近藤は土くさい。土臭いうえに、意外に人間が小さくみえる。
「では、どう呼ぶ」
「土方君、とよんでいただこう。そのかわり、私はあんたのことを、近藤さんとか、近藤先生、とかとよぶ。はじめはすこし照れくさいが、ものは形がかんじんだ。われわれはもはや武州の芋の子ではない。私はわれわれの八人の仲間も、年齢と器量を尺度《しやくど》にして、整然とした秩序をつくってゆきたい、と考えている」
「いいことだ」
「むろん、あなたが首領です」
「そうか」
当然だ、という顔をした。近藤は餓鬼大将のころから、一度も二の次についたことがない。
「そのかわり、首領らしくどっしりと構えてもらわねばならない」
「しかし歳、わしは平隊士だよ」
現実には、そうである。江戸を発《た》つときに清河八郎が、幕府から目付役《めつけやく》として来ている山岡鉄太郎らと相談して隊の制度をきめ、それぞれ浪士のなかから、組頭《くみがしら》、監査役などという幹部を任命したが、近藤一派は、近藤以下全員が平隊士であった。
無名のかなしさである。
幹部のなかには、もっとも愚劣な例として祐天《ゆうてん》仙之助がいる。前身は博徒である。平素自分の飼っている用心棒や子分を多勢ひきつれて入隊したから、自然、五番隊の伍長(組頭)になった。
そのほか、根岸友山、黒田|桃★[#王+民]《とうみん》、新見錦《にいみにしき》、石坂周造など、江戸の攘夷浪人のあいだで虚名を売っている浮薄な(と歳三は思っていた)連中ばかりが幹部につき、天下をとったような顔で先生面《せんせいづら》をしている。国士気どりの議論は達者だが、いざ剣をぬけば腰をぬかすのがおちだろう。
(馬鹿なはなしさ)
歳三は、京へのぼる道中でも、ほとんどこういう連中と口をきかず、ときどき白眼をもってにらみすえ、かれらから気味わるがられた。
(こういう烏合《うごう》の衆だ。いずれは|たが《ヽヽ》がはずれてばらばらになるにちがいない)
そのときを待つ。
歳三の闘争は、すでにはじまっていた。武州の天然理心流系をもって、この集団の権力をうばわねばならぬ。
(それにはどうすればよいか)
歳三は、終日不機嫌な顔で考えていた。
浪士組は、分宿している。
壬生郷の屋敷は徴発されており、本部は、新徳寺。
あとは、寺侍の田辺家、郷士の中村、井出、南部、八木、浜崎、前川の諸屋敷、それに大百姓の家まで占拠し、狭い壬生一郷は、東国なまりの浪士であふれるようであった。
その夕。
つまり、到着した二十三日の翌夕、本部の新徳寺から使番《つかいばん》が歳三らの宿所八木屋敷へとんできて、
「新徳寺本堂にて清河先生のおはなしがあります。すぐお集まりねがいます」
とよばわって駈け去った。
「土方さん、なんでしょう」
沖田が、箸をとめた。
みな、近藤の部屋でめしを食っている。どの膳部にも、壬生菜《みぶな》のつけものがついていた。
関東には、ない野菜である。
京菜(水菜)の変種で、色が濃緑のうえに葉も茎も粗《あら》っぽいが、噛めば微妙な歯ごたえがしてやわらかい。
——うまい。
と何度もそれを八木家の下女に命じてお代りしたのは、山南敬助である。歳三はそういう山南を軽蔑した。
食いものだけでなく、山南は、京のものならなんでも、讃美した。
——さすが、王城の地だ。ここへきてしみじみ、われわれは東国の|あら《ヽヽ》えび《ヽヽ》す《ヽ》だとおもう。
と、何度もいった。歳三は、山南が礼讃している壬生菜は、自分の膳部から遠ざけて箸もつけなかった。
(|あら《ヽヽ》えび《ヽヽ》す《ヽ》で結構だ。こんな塩味のきかねえつけものが食えるか)
むろん、歳三の真底《しんぞこ》は、食いものへの嫌悪ではない。山南への嫌悪である。
「なに、清河先生が?」
と、山南は箸をとめた。この教養人は、自分が教養人であるがために、博識な弁口家清河八郎を尊敬している。
「諸君、行きましょう」
「まだ、われわれは飯を食っている」
と、歳三はいった。
「あわてることはないでしょう。山南さん、清河八郎はわれわれの主人ではない。世話役にすぎぬお人だ。待たせておけばよい」
「土方君」
と、山南は、無理に微笑をつくった。
「あなたもせっかく京へきたのだ。京の言葉は、人の心に刺さらない。そういう心づかいをまなぶほうがいい」
「私は私の流でいくさ」
と、歳三は、むっとこわい顔をして、干魚《ほしざかな》をむしった。沖田は横合いから、くすくす笑った。
「土方さん、それは私の干魚ですよ。あなたのはそこにあります」
「知っている」
と、歳三は負けおしみをいった。
「他人《ひと》の膳部の物はうまそうにみえるのさ。私も、京惚れの山南さんに真似てみたのだ」
近藤一派は、最後に一椀ずつ茶漬けを喫してから、ゆっくりと宿所の玄関を出た。八木家の下男が、門扉《もんぴ》をひらいた。扉には、大名屋敷のようにずしりとした八双《はつそう》金具を打ってある。門は武家風の長屋門だが、武州日野の無骨一点ばりの佐藤屋敷の長屋門とちがうところは、壁に紅殻《べんがら》がぬられ、窓に繊細な京格子《きようごうし》がはめられていて、妙に女性的な感じであった。
出たすぐが、坊城通である。歳三らは、通りを横切るだけでいい。新徳寺は、八木屋敷のすじむかいにあるからだ。
すでに狭い本堂には、浪士一同が群れあつまっていた。歳三らは、その末座をあけてもらって、かたまって着座した。
本堂|須弥壇《しゆみだん》の右手に、山岡ら幕臣がならび、その横に清河がいる。憮然《ぶぜん》として、あごをなでていた。まわりに、清河の腹心石坂周造、池田徳太郎、斎藤熊三郎(清河の実弟)らが、異様に緊張した顔ですわっている。それをみて、
(なにかあるな)
歳三はおもった。
三十畳敷の本堂に、燭台が五つばかりおかれているほか、灯りというものがない。その薄暗いなかで、清河党の石坂周造が立ちあがった。
「諸君、お静かにねがいたい。ただいま清河氏より、お話がある」
清河八郎が立ちあがった。背が高い。姿のいい男である。
ゆっくりと、須弥壇の前へゆく。
出羽人らしく色白のうえに、眼鼻だちがさわやかで、男でもほれぼれするような顔だちである。北辰一刀流の達人らしく眼がするどい。気力充溢し、態度は満堂をのんでおり、いかにも不敵な感じがした。なるほど世間がさわぐだけのことはあった。当代一流の人物とみていい。
「諸君」
といって、清河は大剣を左手にもちかえた。
「この話は心魂をもってきいていただきたい。われわれ一身のことである。われわれの碧血《へきけつ》を何のために流すべきかということだ。諸君はいずれも剽勇《ひようゆう》敢死の士である。血を流すことはもとより厭《いと》うまい。しかし道をあやまって流せば、後世ぬぐうべからざる乱臣賊子の汚名を着る。——そこでだ」
清河は、一座を見渡した。
みな、|かた《ヽヽ》ず《ヽ》をのんで清河を見まもっている。清河は、ついに意外なことをいった。
「われわれが、江戸伝通院で、結盟したのは、近く上洛する将軍《たいじゆ》(家茂)の護衛たらんとするところにあった。が、それはあくまでも表むきである。真実は、皇天皇基を護り、尊皇攘夷の先駈けたらんとするところにある」
(あっ)
と声をのんだのは、一同だけではない。清河と手を組んで浪士組結成のための幕閣工作をした幕府側の肝煎たちである。山岡鉄太郎などは、蒼白になった。清河は、山岡にさえ話していなかったのだ(山岡という人は、数年後には見ちがえるほどの人物に成長したが、このころはまだ若く、策士清河の弁才に踊らされるところが多かった)。
「われわれはなるほど、幕府の召しに応じて集まった。が、徳川家の禄は食《は》んでおらぬ。身の進退は自由である。ゆえに、われわれは天朝の兵となって働く。もし今後、幕府の有司にして(たとえば老中、京都所司代が)天朝にそむき、皇命を妨《さまた》げることがあらば、容赦なく斬りすてるつもりである」
維新史上、反幕行動の旗幟《きし》を鮮明にあげた最初の男は、この壬生新徳寺における清河八郎である。清河は、兵を持たぬ天皇のために押しつけ旗本になり、江戸幕府よりも上位の京都政権を一挙に確立しようとした。いわば維新史上最大の大芝居といっていい。
「ご異存あるまいな」
一座は、清河にのまれてしまっている。というより清河に反対するどころか、かれの弁舌を理解する教養をもった者も、ほとんどいない。
そこを、清河はなめている。頭脳は自分にまかせておけ、汝《うぬ》らは自分の爪牙《そうが》になっておればよい、という肚である。
一同、発言なく散会した。
清河はその夜から、京都の公卿工作を開始し、浪士団の意のあるところを天皇に上奏してもらえるよう運動した。公卿たちは、政治素養は幼児のようなものである。それに時の天子(孝明帝)は、異常なほどの白人恐怖症におわし、幕府の開港方針に反対しておられた。だから、
「天意を奉じ、攘夷断行の先鋒となる」という清河の建白は大いに禁裡《きんり》を動かし、「御感《ぎよかん》斜めならず」と叡慮《えいりよ》が清河らに、洩れ下達された。
清河は、狂喜した。
このままもし時流が清河に幸いすれば、出羽清川村の一介の郷士が、京都新政権の首班になることもありえたろう。
「歳、どうする」
と、その夜、自室に歳三をよんだのは、近藤である。近藤は、このころまだ時勢というものがわからず、いわゆる志士どもの論議の用語さえ、よく理解できなかった。
歳三にとっても、同然である。ついこのあいだまで、武州多摩の田舎で、八王子の甲源一刀流と田舎喧嘩ばかりをくりかえしていただけの男である。
しかし、歳三には、近藤にはない天賦のカンと、男くさい節義があった。
「あれは悪人だぜ」
と、歳三はいった。その一言が、近藤のこの問題についての疑団を氷解させた。
「歳、よくいった。清河めはずいぶんむずかしいことをいったようだが、一言でいえばあれは寝返りだろう。どれほど漢語をならべて着かざったところで、中身は男として腐《くさ》り肉《み》だ。どうすればいい」
「斬る以外にあるまい」
「殺《や》るか」
近藤は、単純である。しかし歳三は、清河を斃すだけでは問題はかたづかぬ、といい、
「新党をつくることだ」
といった。
「新党を?」
「ふむ。だがわれわれは八人にすぎぬ。この少人数では、たとい清河を斃したところで、多数から袋だたきにあって自滅するほかない。これには一工夫が要る」
「それにはどうする、歳。——」
「土方君とよんでもらおう」
「ああ、そうだったな」
近藤は、顔をひきしめた。
歳三は、隣室の気配にじっと耳を傾けていたが、やがて筆紙をとりだしてきて、
——芹沢鴨《せりざわかも》。
と書いた。
「これを引き入れねば、事が成らぬ」
芹沢鴨は、水戸脱藩浪士で、当人は天狗党《てんぐとう》の仲間だったと自称している。巨躯をもち、力は数人力はあるという。
神道無念流の免許皆伝者で、門弟も取りたてているほどの男だが、始末のわるいことに一種の異常人で、機嫌を損じるとどんな乱暴もしかねない。
「せりざわ、か」
と、近藤は低声《こごえ》でつぶやいた。この男には道中、不快な目に数度|遭《あ》っている。これを仲間にひき入れることは愉快ではなかった。
歳三も、愉快ではない。
近藤よりもむしろあの兇悪な男を憎むところが深いかもしれないが、この際は、一度は芹沢と手をにぎることがあとの飛躍のために必要だと、歳三は説いた。
「なぜだ」
「まず、あの男の人数だ」
芹沢系の人数はわずか五人だが、いずれも一騎当千といっていい剣客ぞろいで、すべて水戸人であり、流儀は神道無念流である。芹沢はそれらの親分株として浪士組に参加したが、近藤系とはちがい、一味のなかから二人の浪士組幹部を出している(芹沢鴨は取締り付、新見錦は三番隊伍長。あとは、平間重助、野口健司、平山五郎)。
「それに」
と、歳三は、墨書した「芹沢鴨」の名を指でたたき、
「この男の本名を知っているか」
「知らぬ」
「木村継次という。この男の実兄が木村伝左衛門という名で、水戸徳川家の京都屋敷に詰めている。役目は公用方。よろしいか。公用方とあれば、京都守護職松平中将様公用方と親しかろう」
「それで?」
「京都守護職松平中将(容保《かたもり》)様といえば」
歳三は、言葉を切って近藤を見た。近藤もわかっている。京都守護職といえば、京都における幕府の代表機関である。
「わかった」
近藤は、うれしそうな顔をした。
「つまりは、こうか。新党結成のねがいを、芹沢を通じて京都守護職さまに働きかけさせるのか」
「そうだ。芹沢は毒物のような男だが、このさいは妙薬になる。——そのうえ都合のいいことに」
歳三は紙をまるめながら、
「芹沢一味五人とは、同宿ときている」
といった。これは奇縁といっていい。偶然な宿割りでそうなったのだが、近藤系と芹沢系は、おなじ八木屋敷の一つ屋根の下に宿営していた。もしこういう偶然がなければ、新選組はできあがっていたか、どうか。
「芹沢先生、話があります」
と、近藤が、中庭一つへだてた芹沢鴨の部屋に入ったのは、そのあとすぐである。
「ほう珍客」
と、芹沢はいった。一つ屋根の下にいてもたがいに割拠して、首領同士がろくに話したこともなかった。
芹沢は、近藤の来訪をよろこんだ。すでに、したたかに酩酊していて、
「おい、近藤先生のための膳部を」
と、内弟子の平間重助に命じた上、自分の使っている朱塗りの大杯を洗って、近藤に差した。
「まず、一つ」
「頂戴します」
近藤は、酒はのめない。が、このさい芹沢と同盟できるならば、毒をも飲むべきであった。近藤は、飲みほした。
「お見事。ところで、御用は?」
「例《くだん》の寝返り者のことですが」
「寝返り者?」
「清河のことです」
近藤は、よびすてた。つい前日までは、清河先生、と敬称していた相手である。
「なんだ、あの小僧のことか」
芹沢は、清河など、もともと意にも介していないふうである。近藤の返杯をうけながら、
「あの小僧が、なぜ寝返り者です」
「これは芹沢先生にしてはしらじらしい。そうお思いになりませんか」
「ふむ」
芹沢はくびをひねった。なるほど、いわれてみると、清河は、尊王攘夷という当節の常識論でたくみに問題をすりかえているが、これは大公儀の信頼に対する、武士としての裏切り行為である。
「武士としての、でござる」
「ふむ」
そう説かれてみると、芹沢の頭の中の清河八郎の映像が、芝居にある明智光秀と似てきた。
「斬るか」
と、声をひそめた。
「それについては」
と、近藤は歳三の策を告げた。芹沢は横手をうってよろこんだ。
「おもしろい。ぜひやってみよう。これは京で存分にあばれられるぞ」