土方歳三と近藤が、入洛《じゆらく》後まず熱中した|しご《ヽヽ》と《ヽ》は清河斬りであった。
むろん|暗殺《ヽヽ》である。
だれが殺したか、ということがもし洩れれば、あとの計画である近藤・芹沢両派の密盟による新党の結成がむずかしくなる。
近藤派八人は、毎日、ぶらぶら壬生界隈を散歩しては、清河の動静をうかがった。
芹沢派五人もこれに大いに協力したが、なにぶん、領袖の芹沢鴨は粗豪で、こういうきめのこまかい探索仕事にはむかない。
「近藤君」
と、芹沢は毎日のように近藤の部屋にどかどかと入ってきては、
「面倒ですな、こんなしごとは」
といった。気がみじかい。
いつも、酒気を帯びている。
話しながら、大鉄扇で、ばしばしと膝をたたくのが癖であった。鉄扇には、
——尽忠報国
ときざんである。水戸ではやりはじめた言葉だ。
「いっそどうだろう」
と、芹沢はせきこんだ。
「闇夜、清河八郎めの宿所に駈け入って有無《うむ》をいわせずたたっ斬ってしまえば」
「さすがに」
「妙案だろう」
「英雄ですな、先生は」
近藤は、必死の努力で、巧言をいった。このさい芹沢鴨に軽挙妄動されてはなにもかもぶちこわしになる。
「しかし、自重していただきます。ところで御令兄からのお返事がおそいようですな」
「ああ、守護職に|わた《ヽヽ》り《ヽ》をつける一件か」
「そうです」
「昨日も行ってきた。兄も、もうお返事があるはずだと申しておった。あの返事さえあれば近藤君、|京洛《けいらく》は君とおれの天下だな」
「私は、朴念仁《ぼくねんじん》でしかありませぬ」
近藤は、苦しい顔つきでお世辞をいった。
「しかし先生は、京洛第一の国士になられましょう」
「おだててもだめだ」
「私が、人に巧言令色を用いる男だとお思いになりますか」
「それもそうだな」
芹沢は、顔がほぐれた。
近藤は苦しくとも精一ぱいの世辞はいわねばならぬ。これが黒幕の歳三のひいた図式なのである。事を成すまでは、どうしても芹沢鴨という男が必要だった。
——もしも、近藤さん。
と、歳三は近藤に念をおしてある。
——芹沢がそうしろというなら、足の裏でもあんたは舐《な》めねばならぬ。ここは、専一にあの男の機嫌をとっておくことだ。
前章でのべたとおり、芹沢の肉親縁者は筋目がよく、実兄が水戸徳川家の家臣で、しかも好都合なことに、藩の京都における公用方(京都駐留の外交官)をつとめている。その兄から、京都守護職|会津《あいづ》中将松平容保の公用方に渡りをつけてもらって、
——清河八郎を誅戮《ちゆうりく》してもよい。
という密旨を得たい。それが、いまの時期の近藤系の正念場《しようねんば》なのだ。
歳三の観測では、清河の奇怪な寝返りには、幕閣もおそらくふんがいしているだろう(これはあたっていた。歳三の見こんだとおり、老中板倉周防守は、幕臣で講武所教授方の佐々木唯三郎をしてひそかに清河暗殺を命じていた)。だから京都における幕府の探題である京都守護職は当然、清河をよろこばない。これは、万《ばん》、まちがいはない。
(密旨は、かならずくだる)
とみて、歳三は、芹沢に運動させる一方、清河暗殺の計画をすすめていた。
果然、図にあたった。
その翌日である。
京都守護職松平容保の公用方|外島機兵衛《とじまきへえ》という利《き》け者《もの》から、
——ぜひ会いたい。
という使いが、芹沢のもとにきた。ただし人目もあることゆえ御内密にという念の行きとどいた言葉もついていた。
「これで事が成ったも同然だ」
と、歳三は近藤にいった。無名の浪人剣客が、江戸の幕閣以上の権威をもつ京都守護職に|わた《ヽヽ》り《ヽ》がつく、というだけでも、たいそうな収穫ではないか。
「そうだな」
近藤も、頬に血がのぼっていた。よほどうれしかったのか、
「歳、こいつは国もとに報《し》らせるべきだ。ぜひ、そうすべえ」
と、いった。たがいの盟友である日野宿名主佐藤彦五郎がよろこぶだろう。京都についてからも、彦五郎は、「入用が多かろう」といって金飛脚《かねびきやく》を差し立ててくれている。よき友はもつべきものだ。
翌日、出かけた。隊には、表むき、「市中見物のため」ととどけ出た。
一行は壬生から東にむかった。同勢は、
近藤勇、土方歳三。
芹沢鴨、新見錦。
の四人であった。
この四人が、数カ月後に京を戦慄させる男になろうとは、当の四人も気づいていまい。
黒谷《くろだに》の会津本陣に到着したときは、陽も午後にややかたむくころであった。
「ほう」
と近藤は見あげた。
鉄鋲《てつびよう》を打った城門のような門がそびえていた。会津本陣とはいえ、ありようは、浄土宗別格本山|金戒光明寺《こんかいこうみようじ》である。が、寺院建築というよりも、丘陵を背負い城郭に似ている。似ているどころか、これには|わけ《ヽヽ》がある。
江戸初期、徳川家は、万一京都に反乱のある場合を予想し、正式の城である二条城のほかに、二つの擬装城をつくった。それが、華頂山にある知恩院と、この黒谷の金戒光明寺である。当節、幕府にとって「万一のとき」がきている。そのため、会津松平藩を京に駐屯させた。本陣は擬装城である金戒光明寺である。徳川氏の先祖の智恵は、二百余年をへて、役立ったといえる。
「芹沢先生、りっぱな御本陣ですな」
「まあ、そうだな」
芹沢は、建物などに興味はない。
大方丈《だいほうじよう》に通された。
待つほどもなく、中年の眼光するどい武士があらわれて、下座で一礼した。
「わざわざの御来駕、痛み入りまする。それがしが、公用方を相つとめまする外島機兵衛でござる。以後、お見知りおきくだされまするように」
と、いかにも会津藩士らしい古格な作法であいさつをした。
あとは、酒になった。外島機兵衛は、顔に似あわぬ粋人らしく、他愛もない戯《ざ》れごとをいったり、酔って会津の俚謡《りよう》を、案外かわいい|のど《ヽヽ》で披露したりして、ひとり座もちをした。しかし近藤はこういう座ははじめてのことで、すっかり緊張して固くなっている。
歳三も、眼ばかりぎょろぎょろさせて、にこりともしない。
辞去するときになって、外島機兵衛は例の門のところまで送ってきて、
「本夕《ほんせき》は、愉快でしたな」
と、ゆっくり顔をなで、急に声を落し、
「近藤先生」
といった。
「はっ?」
「|き《ヽ》文字の一件、よろしく」
それだけをいった。き《ヽ》文字とは、清河のかくしことばである。これで、京都守護職が、清河暗殺を密命したことになる。
清河八郎は、毎日、外出する。御所の方角に出かけるのだ。
御所には、
「学習院」
という新設の役所がある。公卿のなかから頭のいいのを選んで詰めさせ、対幕府政策を研究、議事させる役所である。といっても公卿などは、源平以来七百年政権をとりあげられていたからなんの政治訓練もなく、自分自身の判断力などはまるでない。要するにその役所に出入りする「尊攘浪士」の議論におどらされているだけの役所である。
清河も、その傀儡師《かいらいし》のひとりである。
歳三は、清河の道筋を研究させた。
(さすがに、剣の清河だな)
と感心したのは、毎日、清河の往復の道すじがちがうことである。刺客の待ちぶせに用心しているのだろう。
探索の結果、毎日そこだけはかならず通過するという場所をみつけた。
九条関白家の南、丸太町通(東西)と交叉する高倉通(南北)の角である。
角は町家で、空家《あきや》になっている。
(これは都合がいい)
歳三は近藤と芹沢に説き、そこに人数を隠しておくことにきめた。
「暗殺は、かならず夜であること」
と、歳三は芹沢にいった。
「それも一撃で決していただきます。ぐずぐずしておれば、こっちの顔を知られてしまいます」
「心得た。君は軍師だな」
「人数も、小人数に」
「わかっている。君に指図されるまでもない」
近藤、芹沢の両派とも、前記四人のほかはこの密謀を知らないのである。だから、暗殺も、四人でやるほかなかった。
四人を二組にわけた。
近藤勇、新見錦。
芹沢鴨、土方歳三。
この二組が交替で、空家にひそむ。組みあわせをわざと仲間同士にしなかったのは、もし清河の首級をあげたばあい、両派のどちらかの一方的な手柄になってしまうからである。歳三はそこまで周到であった。
計画は、実施された。
しかし、清河もぬけ目がない。出かけるときには、かならず数人の腹心の猛者《もさ》を左右に従えていた。
それに、日没後は、歩かない。
「まったく隙がない男だ」
近藤までが、音《ね》をあげてしまった。毎日、待ちぶせるのだが、あたりが明るすぎるのである。
芹沢などは、歯ぎしりした。
板塀のふし穴からのぞいていて、芹沢はいまにも飛び出そうとするのだが、歳三は懸命におさえた。
ついに好機がきた。
芹沢、歳三の組のときである。日没になっても、清河は、学習院からもどらない。
「どうやら、今夜は首尾《しゆび》がよさそうだな」
芹沢は、板塀の根にふとぶととした尿《ゆばり》を放ちながら、いった。そのしぶきが、容赦なく歳三の|すそ《ヽヽ》にかかってくるのだが、芹沢は意にもとめない。
歳三は、顔をしかめた。
(いやなやつだ)
避けようとしたとき、板塀の隙間からみえる路上の風景が変わった。
提灯の群れがきた。
談笑している。
「清河です」
と、歳三がいった。
「どれどれ、おれにもみせろ」
と、芹沢はのぞいた。のぞきながら、
「四人だな」
と笑った。腹心の連中は、石坂周造、池田徳太郎、松野健次。いずれも、剣で十分町道場ぐらいはひらける男どもである。
「土方君、おれに清河を斬らせろ」
「では、私は雑輩をひきうけます。ただし一撃ですぞ。掛け声をおかけなさらぬように」
「くどいの」
芹沢は、悠々《ゆうゆう》と用意の覆面をした。歳三も黒布で顔を覆い眼だけを出した。
「土方君、行くぞ」
ぱっと板塀から出た。
芹沢は、抜刀のまま駈け出した。歳三も走りながら、和泉守兼定を抜いた。
——なんだ。
と、提灯の群れは、とまった。前方から、真黒の影が二つ、駈けてくる。
影の一つは、ばかに足音がおおきい。まるで地ひびきをたてるような派手な足音だった。
(芹沢め。……)
走りながら、歳三はその不用意さが腹だたしかった。
が、清河方は、かえってこのあまりにもあけっぴろげな走り方に安堵し、
「どこか、火事でもあるのかね」
と、石坂周造がのんきなことをいったほどであった。しかしさすがに領袖の清河八郎はただごとでないとみた。
「諸君、提灯を集めて地上に置きたまえ。そう、二、三歩後へ。そこで待つ」
といった。
清河の処置はあやまっていない。刺客は提灯の灯をめざしてとびこむものだ。
まず、芹沢が駈けこんできた。
地面の上の提灯の群れを飛びこえた。
飛びこえながら剣を豪快な上段に舞いあげ、地に足がつくやいなや、清河にむかって、一太刀ふりおろした。
清河は、二歩さがった。
「何者だ」
といった。動じない。
芹沢は派手に名乗りたいところだろうが、だまった。沈黙のまま、二歩三歩と踏みこみ、さらに一太刀ふりおろした。
清河は、受けとめている。
歳三のいう「一撃」はしくじった。
(芹沢め、口ほどもない)
歳三は、そこここに跳びちがえながら、石坂、池田、松野にめまぐるしく斬りこんでいたが、これ以上、時はすごせない、いずれは人《にん》を勘づかれてしまう。
石坂周造の太刀をはずすや、それを機《しお》に駈けだした。
芹沢も駈けだした。
高倉通を南下して夷川《えびすがわ》通を西走し、さらに間之町をぬけ、二条通を東走し、川越藩の京都屋敷のそばまできたとき、やっと敵を撒《ま》いた。
「芹沢先生、しくじりましたな」
「ふむ」
芹沢は、大息をついている。歳三は喧嘩なれているから、言語動作、平常とちっともかわらない。
(神道無念流の免許皆伝で門弟まで取りたてていたというが、大したことはないな)
歳三のそんな気持が伝わったのだろう、芹沢鴨は不機嫌になった。
「君がよくない」
といった。歳三は、むっとした。
「それはどういうことです」
「あのまま、もう二合もやっておれば、おれは清河を斬り伏せていた。が、君が逃げだしたのでみすみす大魚を逸した」
「それは御料簡がちがいます。最初からの軍略では、一撃で斃す、しからざれば去る、ということだったはずです」
「君は智者だ」
「私は無学な男ですよ」
「いや、智者である。軍略々々という。所詮は勇気がない証拠だ」
「なにッ」
川越藩邸の塀から、赤松の影がこぼれ落ちている。
「勇がないかどうか、芹沢先生、お試しねがいましょう。抜いていただきます」
「やるか」
芹沢も、抜刀した。
そのとき塀のむこうに人影が立った。
数人、ばたばたと駈けてきた。清河一派だろう、芹沢も歳三も見た。
(いかん)
どちらも肩をならべて逃げだした。
その翌日。——
清河は、壬生新徳寺に、ふたたび浪士隊一同の参集をもとめた。
「諸君、よろこんでいただく」
と、清河はいった。
「われわれの攘夷の素志は天聴に達し、勅諚《ちよくじよう》まで頂戴した。大挙京へのぼった甲斐があったということである。ところが例の生麦《なまむぎ》騒動が」
といった。生麦事件とは、先般、東海道生麦(神奈川と鶴見の間)で、薩摩の島津久光の行列を英人が馬上で横切ったため、藩士が一人を斬り、二人に深傷《ふかで》を負わせた事件で、このため幕府と英国とのあいだで外交問題がこじれている。
戦さになる、というので、横浜あたりでは家財を纏《まと》めて立ちのく町民もあった。
「こじれている。もしイギリスが戦端をひらいた場合、われわれはそれを撃ちはらう先鋒となる。その旨、公儀から通達があったため、急ぎ、江戸へ帰る」
それが、幕閣の手だった。
策士清河ほどの者がその手に乗った。この後、江戸にもどってから浪士隊は「新徴組」と命名され、肝煎《きもいり》清河は、赤羽橋で、佐々木唯三郎らのために暗殺された。
壬生新徳寺の会合で、
「われらは、ことわる」
と立ちあがったのは、近藤、芹沢、土方、新見ら八木源之丞屋敷を宿所とする一派である。すぐ、退場した。
清河の指揮する浪士隊が、京を発ってふたたび木曾路を江戸にむかったのは文久三年三月十三日のことで、京における滞在はわずか二十日間であった。
近藤勇一派八人。
芹沢鴨一派五人。
あわせて十三人だけが、宿所の八木屋敷に残留した。
分派した。
分派したといえば聞えがいいが、もはや幕府の給与も出ず、なんの身分保障もないただの浪人集団である。
「歳、どうするんだ」
と、近藤は、こまってしまった。食費もない。米だけは宿所の八木家に泣きついて借りたが、いつまでも|ただ《ヽヽ》めし《ヽヽ》は食わせてくれない。
「京都守護職だよ」
と、歳三はいった。歳三にとってはかねての思案どおりであった。芹沢の例の実兄をつかって、京都守護職に運動するのだ。「京都守護職会津中将様|御《お》預《あずかり》浪士」ということになれば、歴とした背景も出来、金もおりる。第一、壬生に駐屯している法的根拠が確立するのである。
「妙案だ」
と、芹沢はよろこんだ。
「ただし、近藤君、私が総帥だぞ」
「むろんそのつもりでいます」
当然なことだ。すべては芹沢の実兄あってこそ運動は可能なのだし、第一、水戸天狗党の芹沢鴨といえば、世間に名が通っている。このさい、芹沢を看板としてかつぎあげるしか仕方がなかった。
例の公用方外島機兵衛を通して働きかけると、意外にも即日、嘆願の旨が容れられ、隊名を「新選組」とすることも、公認となった。
「歳、夢のようだな」
近藤は、歳三の手をにぎった。歳三はそっとにぎりかえして、
「事は、これからですよ」
といった。脳裡に、芹沢の顔がある。