「あんなことになるなんて!」
と、その少女は、叫ぶように、言った。
「あんなことになるなんて思わなかったのよ!」
そして、激しく体を震わせると、大きく息を吸い込み——それからゆっくりと、大きな風船がしぼんで行くように息を吐き出した。
「畜生!」
と、彼は言った。「何てことだ!」
少女は死んだのだ。
そのひどい出血からみて、少しぐらい早く見付けていたとしても、とても助からなかっただろうが、だからといって、慰めにはならない。
もう少し早くパトロールに出ていたら。あの交差点の薄暗がりで抱き合っている恋人たちを、のんびり眺めたりしていなかったら……。この少女は助かったかもしれないのに。
犯人は? まだその辺に潜んでいるかもしれない。
若い警官は、その時になって、初めてそのことに気付いて、ゾッとした。もし犯人がその気になれば、いつでも背後から、襲いかかることができたのだ。
ゆっくりと立ち上り、周囲を見回す。
ただでさえ、月のない夜だ。しかも、街灯は、ポツリ、ポツリと、忘れられたように、暗《くら》闇《やみ》のところどころを照らしているだけ。
——この近くには、名門として知られる、M女子学院がある。静かで、落ちついた町であり、住宅地としても第一級という評価を得つつあるところだ。
しかし、町としての外観はともかく、内容の充実という点からは、ひどく立ち遅れているのが現実だった。それは、たった二人で、この広い町全域をパトロールして回らなくてはならない、この警官が一番良く知っている。
まだあちこちに残る雑《ぞう》木《き》林《ばやし》、宅地とはいっても、家がいつ建つのか、草の伸び放題になっている空き地……。道は寂しく、特にこの晩秋の時期ともなると、夕方五時を回れば暗くなってしまう。
街灯をふやして。信号の設置を。パトロールの強化……。
地元からの要望は、ここ数年、数こそふえても、内容は同じだった。それだけ対応がなされていないということである。
「その内何か起る」
という住民の声は、
「まだ起っていないじゃないか」
という役所の声で棚上げされるのだ。
起ってからでは遅い。——その正論も、日々の生活に要する予算ですら、不足しているという市の財政の前には、現実的な力を持たないのである。
正直、この若い警官も、気は重かった。パトロールの区域が徐々に広がるのは仕方のないことで、そう苦でもなかったが、目の届かない所で、何《ヽ》か《ヽ》起るかもしれないという不安は、この何か月か、募っていたのだ。
痴漢が出る、とか、怪しい男が近所をうろついている、といった電話が、この何か月か、目立ってふえていた。
その矢先……。
少女は、枯草の中から、白い足の先だけを見せて、倒れていた。自転車の光の中に、チラッと白い物が見えた時、警官は事態を察して青くなっていたのだ。
枯草は、それでも腰の辺りまで来ている。
犯人が、すぐ近く、ほんの二、三メートルの所に潜んでいても、気付かないだろう。
懐中電灯の光を、周囲へめぐらして行く。
ガサッ、と草が鳴った。警官は飛び上るほど驚いた。
「誰だ!」
と、発した声は、震えていた。
風か? それとも野良犬か猫か……。
そうであってほしい、と祈っている自分に気付いて、若い警官はショックだった。自分がそんなに臆《おく》病《びよう》だとは、思ってもいなかったのだ——。
ザザッ、と草の間を、はっきりと何かが動いて行った。犬や猫にしては大き過ぎる。
「待て!」
警官は、拳銃を抜いていた。もちろん、人を撃ったことなどない。
「止れ!」
そ《ヽ》れ《ヽ》は止らなかった。どんどん遠去かって行く。——このままでは逃げてしまう。
「撃つぞ! 止れ!」
どうしたらいいんだ? 追いかけるか。それとも、この少女の方が先か。——いや、もう救急車を呼んでも手遅れだろう。
だが俺は医者じゃないのだ。本当にこの子が死んだとどうして言える? 万一、まだ助かるとしたら——。
「逃げるな!」
畜生、止れ! 止ってくれ!
警官は枯草の奥に銃口を向けて、引金を引いた。その瞬間、一発目は警告として空へ向けて撃つべきだった、と気付いていた。
ガーン、という銃声が、警官の鼓膜を打った。