あの事件はあっても、学校はいつもの通りに始まり(当り前か)、火曜日の朝のことだった。
私と竹沢千恵の作った、〈今、学校を考える!〉というビラは、月曜日に早々と貼《は》り出されていた。
水曜日と金曜日の二回、昼休みに、生徒会の小さなホールへ集まってもらって、意見を聞きたい、ということなのである。
もちろん、何人ぐらいの生徒が集まるものか、もしかしたら、私と竹沢千恵の二人だけ、なんてことになるかもしれないが、それならそれでもいい。
ともかく、何《ヽ》か《ヽ》やることが大切だ、ということで、私と千恵の意見は一致した。
そして火曜日——。
私は学校へ着いて、廊下を歩いて行くと、何だか三年生らしい子が五、六人、固まっているのに目を止めた。
有恵が乱暴されたのを見て以来、こういう光景に敏感になっているので、私は足を止めた。
やはり、誰かが囲まれているのだ。
私は、わざと、咳《せき》払《ばら》いをした。三年生たちが振り向いて、ギクリとする。
そしてパッと散って行って……後には、竹沢千恵が立っていたのだ。
「竹沢さん! 大丈夫?」
と、私は駆け寄った。
竹沢千恵は、青ざめていた。しかし、やっと笑顔になって、
「大丈夫です。——助かりました」
「どうしたの?」
「囲まれて、どういうつもりだ、って締め上げられたんです」
「締め上げるって——本当に?」
「ええ」
と、千恵は首をそっと手で触って、「怖かった! 首をギュッとつかまれて。両手両足、押えつけられて」
「ひどいことするのね!」
私は怒りで声が震えた。「矢神さんがやらせたのかしら」
「そうだと思います」
と、千恵は肯《うなず》いて、「でも、もちろん、矢神さんは、否定するでしょうね」
「卑《ひ》怯《きよう》だわ! 私にやればいいのに」
「私、本当に大丈夫ですから」
と、千恵は息をついて、「自分が言い出したことですもの」
私は、この千恵という子の強さに、ほとほと感心してしまった。
「でも——」
と、千恵は、ちょっと眉《まゆ》をくもらせて、
「明日、誰も集まらないかもしれませんね」
「いいわよ。こっちは、ちゃんと準備して待ちましょう」
「そうですね」
と、千恵はしっかりと肯いた。「あ、もう始業! それじゃ、失礼します」
千恵が歩いて行く。——私は、何とも言えない不安が、胸に広がって来るのを、感じていた。
お昼休み。私は、明日の話し合いの進行を考えていた。
むだかもしれないが、ともかく、やるだけはやっておかなくては、と思ったのだ。
教室の中は、いつもの通り、おしゃべりでにぎやかだ。
すると——何だかスーッと話し声が消えてしまった。
顔を上げると、矢神貴子が入って来たのが目に入る。
そして彼女の後ろには、千恵をおどしていた三年生が五人……。
私を連れ出しに来たのかしら、と思った。
やれるもんなら、やってみろ、と私は思った。自慢じゃないが、ケンカには強い方なのだ。
矢神貴子は、真《まつ》直《す》ぐ私の机の所へ来た。
「こんにちは」
「こんにちは」
と、私は座ったまま、言った。「何か?」
「明日の話し合い、楽しみね」
と、矢神貴子は言った。「どんどん新しいことはやってみるべきだわ」
「ありがとう」
「それから——」
と、後ろの三年生を見て、「今朝、この人たちが、あなたの副会長を、おどしたらしいわね。ごめんなさい。私は知らなかったんだけど、この人たち、私のために、と思ってやったらしいの。——とんでもないことだわ。二度としないと約束させたから、勘弁してあげて」
私は、三年生たちが、うなだれて口を尖《とが》らしているのを見た。
「私に言われても」
と、私は言った。「竹沢千恵さんに謝って下さい」
「分ってるわ」
と、矢神貴子は言った。「でも、あの人は一年生。三年生としては、やっぱり謝りにくいのよ」
「分りました」
と、私は言った。「二度としないで下さい」
「——良かったわ、分ってくれて」
矢神貴子は、ニッコリ笑った。
三年生を引き連れて、彼女が出て行ってからも、しばらく教室の中は静まり返っていた……。