十二時のチャイムが鳴る。
「——では、今日はこれまで」
先生の言葉なんか耳には入らない。
立ち上るのに椅《い》子《す》を動かしたり、教科書をしまったりする音で、かき消されてしまうのである。
「——起立! 礼!」
と、必死で叫ぶクラス委員の声が、辛うじて聞こえて来た。
私も忙しい。今日は金曜日。
十二時十五分から、〈今、学校を考える〉という二回目の集会。水曜日の一回目は予想をはるかに越える百人もの生徒が集まった。
色々、妨害も障害もあったが、ともかく、予告した以上はちゃんとやろう、ということで、私も竹沢千恵も、意見が一致したのである。
十五分から開くということは、当然、私や千恵はお昼抜き、ということだ。私は、すぐに、今日の資料とか、メモ用紙などをかかえて、教室を出た。
「——奈々子」
と、追いかけて来たのは、山中久枝だ。
「どうしたの?」
「手伝おうか」
「いいわよ」
と、私は笑って、「矢神さんがうるさいんじゃないの」
「大丈夫よ。——友だちは友だち。それ、持つわ」
「サンキュー」
私たちは一緒に歩き出した。
千恵の所は大変だ。父親の方にも、色々圧力がかかったりして、当人は悩んでいると思うが、学校ではいつもの通り、カラッと明るい笑顔を見せてくれている。
しかし、前回のアンケートの結果は、「今の学校の雰囲気が良くない」と思っている生徒が、意外に多いことを示していた。
〈その理由〉という項目では、ごくあいまいに、「何となく」とか「人間関係の点で」とか書いている子が多かったが、中には、はっきりと、「一人の人がいつもリーダーになって好きなようにするのは良くない」と、矢神貴子のことを、正面切って批判している子もいた。
私は、ここではまだ新入生である。以前から、この学校にいる子にとっては、色々と、積り積った不満もあるのだろう。
ともかく、今度の選挙は、矢神貴子の、「女王」の地位を揺るがすことになるかもしれない、と私は思った。
たとえ勝てなくても、私と竹沢千恵に入った票の数が多ければ多いほど、矢神貴子にとっては、ショックなはずである。
やれるだけやるのだ。——私は、心を決めていた。
「明日は、演説会ね」
と、久枝が言った。
「そうね。矢神さんは準備してる?」
「と思うわ。私なんか、そばにいるだけ。何もさせてくれないし、教えてもくれないんだから」
と、久枝は肩をすくめた。「奈々子は、原稿、作ったの?」
「今夜やるわ。考え過ぎると、却《かえ》ってだめだと思うから」
と、私は言った。「あら、竹沢さん」
竹沢千恵が、集会の会場になっている、生徒会ホールの前に立っている。来た人にお茶を出すための、紙コップの入った段ボールをかかえていた。
「どうしたの?」
と、声をかけると、
「あ、芝さん」
と、歩いて来て、「ホールが——」
「どうしたの?」
「使ってるんです、ダンス部が」
「何ですって?」
私はびっくりした。「でも——何て言ってるの?」
「さあ。まだ話は——」
「分ったわ。じゃ、私が話して来る。これ、持ってて」
「はい」
荷物を千恵に渡して、私はホールの戸を開けた。
ダンス部の部員たちが、十人ほど、音楽をかけて踊っている。
「——ちょっと」
と、三年生の部員が、私の方へやって来た。
「文化祭の練習なんだから、入らないで。戸に紙が貼《は》ってあるでしょ」
「ここはお昼休み、集会で使うんです」
と、私は言った。
「何言ってんの。今、私たちが使ってんのよ。見りゃ分るでしょ」
「片付けて、出て下さい」
と、私が言うと、相手は真赤な顔になった。
「ちょっと! それが先輩に対する口のきき方なの!」
しかし、私は一向に怖くなかった。
「お使いになるのなら、ちゃんと届を出して下さい。私の方は先週から届を出してあるんですから」
「そりゃ妙ね」
と、その三年生は、ニヤッと笑った。「私たち、ここが空《あ》いてるから使うことにしたのよ」
「生徒会の方に訊《き》いて下さい」
「あんたが訊けば?」
私は、その三年生の態度に、ふと不安を覚えた。——もしかして……。
私は、ホールから出た。千恵が心配そうな顔で立っている。
「ここにいて」
と、私は言って、職員室へと急いだ。
教務主任の先生の机の上に、〈生徒会〉というファイルがあった。この中に、ホールの利用状況を記入したノートがあるのだ。
私はそのノートを取り出し、ページをめくった……。
ホールの方へと戻って行くと、入口の辺りには、もう二、三十人の生徒が集まっている。
「——芝さん! どうなったんですか」
と、千恵が言った。
「ホールは使えないわ」
と、私は言った。
「ええ?」
「私たちが届を出して、それが記入してあったんだけど、その上に白い紙が貼《は》ってあるの。そこに、ダンス部が使用、って書いてあった」
「そんな……」
千恵は呆《ぼう》然《ぜん》としている。
「誰かが、集会を開かせないためにやったんだわ」
と、私は言った。「——せっかく来てくれたのに、ごめんなさい」
集まった生徒たちは、何となく顔を見合せていた。
やがて、一人が、
「別にここでなくたって……」
と、言い出した。
「そうよ」
と、誰かが肯《うなず》く。「どこか他でやろうよ」
「校庭でやれば?」
また他の一人。「こんなにいいお天気なんだし」
「同感!」
「校庭なら、届出さなくてもいいし」
と、口々に声が上る。
私は胸が熱くなった。——そうだ。何もホールにこだわることはない。
「竹沢さん。紙に、会場を変更します、って書いて、ここに貼《は》っておきましょ」
「はい!」
千恵も、頬《ほお》を紅潮させていた。
急いで、白紙に赤のフェルトペンで、大きく、「〈今、学校を考える〉の会は、校庭で開くことになりました」と書いた。
すると、千恵が、「人数が多すぎるため」と書き足したので、私は笑ってしまった。
千恵は、戸に貼ってある、ダンス部の〈使用中〉の紙をはがした。
「——これでよし、と」
千恵が、今書いた紙を貼って肯《うなず》く。
すると、ガラッと戸が開いて、さっきの三年生が顔を出した。
「あんた、何してんのよ」
「別に」
「——どうして私たちが貼ったのを破ったの?」
「はがしただけです。破ってませんよ」
と、千恵が差し出す。「お返しします」
いきなり、その三年生が、平手で千恵の頬を打った。
私が進み出ると、千恵は、
「いいんです!」
びっくりするほど鋭い声だった。
千恵は、ホールの中へと入って行った。そして、ダンス部員が呆《あつ》気《け》に取られている前で、音楽を流していたラジカセを手に取ると、窓の所へ行き、ガラッと窓を開けて、外へ放り出してしまった。
「——あんた! 何すんのよ!」
と、頭に来た三年生の一人が、千恵につかみかかった。
すると——私は目を疑った。千恵がパッと身をかがめたと思うと、その三年生の体がクルッと一回転して、ドタッと床に投げつけられていたのだ。
さっさと出て来た千恵が、
「じゃ、行きましょう」
と、言った。
「待ちなさいよ!」
と、あの三年生が、千恵の肩をつかむ。
千恵がサッとその足を払うと、三年生は、みごとに仰向けに引っくり返ってしまった。
「転びやすいですから、ご用心」
と、千恵は言って、歩き出した。
「——ちょっと!」
私は焦って追いかけると、「あなた、今のは?」
「柔道です。中学生の時は、これでも地区のチャンピオンだったんです」
と、千恵は言った。「さ、校庭のどこがいいかしら」
私は、唖《あ》然《ぜん》として、声もなかった……。