「じゃ、親分」
と、宍戸が知香の所へ来て、言った。「晩飯の買出しに行って参ります」
「目立たないようにしてね」
と、知香は言った。「あ、そうだ。ちょっと待って」
と、財布を出し、
「このお金、使って。笠間のとこの子分から巻き上げたの」
「へ?」
宍戸が目を丸くしている。
——ここはもちろんマンション「屋根裏荘」である。紀子がこう名付けたのだった。
「俺《おれ》たちも一緒に食べていいのかな」
と、和也が、ニヤニヤしながら言った。
「どうせ、その気だろ」
「うん。まあな」
和也と紀子も一緒である。——どうやら、紀子が宍戸にさらわれるという出来事以来、この二人、恋人同士というムードなのである。
何が幸いするか分らないものだ。
宍戸が子分を何人か引きつれて弁当の買出しに行っている間、知香は、レポートなどを書いて、しっかり学生していた。
「——そうだ」
ふと思い付いて、あののして来た二人からいただいた財布をあける。お金は宍戸に渡したが、他にも何か入っているらしい。
「——レンタルビデオの会員券。それから、クラブの割引券か。大したもん、入ってないわね」
「宝くじぐらい、ないの?」
と、紀子が覗《のぞ》きに来た。
「残念ながらね。——あら、女の写真」
と、知香は見て、すぐに投げ出そうとしたが……。
「どうかしたの?」
と、紀子が言った。
「これ……。ね、良二君!」
「何だい?」
「見て! あの財布に入ってたの」
良二はその写真を見て、
「どこかで会ったことあるな」
と言って——。「あ! これ、例の……」
と、目をみはった。
「どうしたんだ?」
と、和也もやって来た。「そんなにいい女?」
「違うよ! これは殺された平田千代子だぜ!」
「間違いないわ」
知香は肯いて、「でも、なぜこの写真が、こんな所に……」
「ファンだったんじゃないのか?」
「スターのブロマイドじゃねえぞ。——変だな。たまたま持ってたなんてこと……」
「待って」
と、知香は言った。「もし——この写真が、顔を確かめるためのものだったら」
「顔を?」
「そう。——殺す相手の」
良二は、目を丸くして、
「つまり、その笠間って奴のところで、あの平田千代子殺しを請け負ってた、ってわけか!」
「充分にあり得るわよ」
と、知香は言った。「もしそうなら、犯人は当然その時間、絶対に確実なアリバイを用意するわ。そのために、他の人間に頼むんだから」
「そりゃそうだな」
「たとえば——」
「たとえば、出張か」
「じゃ、平田先生が?」
と、紀子が言った。
「ね、紀子。平田千代子と金山先生って噂《うわさ》、どう?」
「全然。誰もそんな話、知らないわ」
紀子は、学内の情報には実によく通じているのだ。
「事務の人にもそれとなく訊いてみたけど、全然」
「すると、金山先生の線は、やっぱり平田先生から出たと見た方がいいわね」
「でも、平田先生がなぜ?」
知香は、それには答えず、写真を、ちょっと不安げに眺めている。
「——何か心配なのかい?」
と、良二は言った。
「え? ——うん。こんなことを頼むには、大変なお金がかかるのよ」
「そりゃそうだろうな、人殺しをやらせるんだから」
「つまり、誰が依頼したにしろ、その人にはその大金を払って、なお充分なメリットがあるってことよ。そんなに得をする人間……」
知香は、ゆっくりと首を振った。
「やっぱり平田先生しかいないよ」
と、和也が言った。「確か、あの奥さんの実家、相当の金持だぜ」
「でも、奥さん自身が財産を持ってなきゃ平田先生には何の利益もないわ」
と、知香は言って、「ね、紀子。その辺のこと、誰かに当ってみてよ」
「OK。任せて!」
と、紀子はウインクした。
「おい」
と、和也が紀子をつつく。
「何よ?」
「ウインクは俺以外の奴《やつ》にするなよ」
——一瞬、間を置いて、ドッと笑いが起こった……。
宍戸がどっさり弁当を買い込んで来たので、屋根裏は時ならぬ宴会気分。
もちろんアルコールは抜きだし、そう大騒ぎはできないが。
「——宍戸さん」
と、知香は、食事を終ると、言った。「子分を二人くらい貸して」
「何にお使いで?」
「ちょっと出かけて来たいの」
「じゃ、私がお供しますよ」
「悪いわね」
「とんでもねえ」
「おい、知香、どこに行くんだい?」
と、良二が声をかけた。
「金山先生の家よ。どうしても会って来なくちゃ」
「僕も行くよ」
「そう? でも……。危ないかもよ」
「僕は男だ!」
と、良二は胸を張った。
宍戸がニヤリと笑った。
「——この家よ」
と、知香は、足を止めた。「宍戸さん、刑事がいないか、見て来て」
「分りました」
宍戸の姿が、スッと暗がりの中へと消えて行く。
さすがに身のこなしは素早く、なめらかだ。
「——もし、笠間の子分が、この事件に絡《から》んでるとしたら、一挙に解決できるかもしれないわね」
「一挙におしまい、ってことにならなきゃいいけど」
「心配性ね」
と、知香がやさしく良二の肩に頭をのせて言ったが……。
人殺しだの、泥棒同士の殺し合いだの、ってやってるのに、心配しないでいられるか!
良二は、そう叫びたかった……。
「戻って来たわ」
と、知香は言ったが、良二の目には一向に見えない。
「どこに?」
キョロキョロしていると、いきなり目の前に、ヌッと宍戸が現われたので、良二は、飛び上りそうになった。
「親分、様子が変です」
「どうしたの?」
「刑事が二人、やられてます」
「やられてる?」
「殴られて。こりゃ、何かありますよ」
知香は、明りの点《つ》いた家の方へ、目をやった。
「——やばいですよ。戻りましょう」
「家の中を見て来なきゃ」
と、知香は言った。
「それじゃ、私が——」
「いえ、宍戸さんは表で見張っていて」
と、知香は言った。「私一人で行って来るから」
「僕もいるんだよ」
と、良二は主張したのだった……。
知香と良二は、金山教授宅の門から入ると、庭の方へ回った。
「——立派な家だな」
「でも、静かすぎるわ。人っ子一人、いないみたい」
「中へ入れる?」
「もちろん」
と、あっさり言って、知香は庭へ出るガラス戸の方へと近付いて行った。
「——開いてるわ」
「大丈夫かい?」
居間だった。明りが点いたままだ。
「何かあったんだ」
と、良二は言った。
居間の中は、ひどく荒らされていた。テーブルが引っくり返り、置物も砕《くだ》けている。
「いやな予感がする」
と、知香が言った時、
「その通りだ!」
と、声がした。
「——米田警部!」
知香と良二が仰天したのも当然だった。
米田が、入口の所で、拳《けん》銃《じゆう》を手に立っている。しかし——額からは血が流れ、今にも倒れそうなのだ。
「どうしたの?」
「寄るな! 逮捕する! 貴様らを現行犯……で逮捕……」
と、言いかけると、そのまま米田は倒れて気を失ってしまったようだった。