草間は欠伸《あくび》をした。
週刊誌の編集部には、クリスマスも正月も関係ない。
むしろ、タレント同士のカップルが、このイヴと年末の休みをどこでどう過すか、あちこちに網を張らなきゃならない。
馬鹿げた記事だとは思う。
草間も思い、編集長もそう思っている。読者だって、一人一人に、
「こういう記事を載せるのを、どう思いますか?」
と、訊《き》けば、十人中八人は、
「低俗ですね」
とか、
「覗《のぞ》き趣味でいやね」
と、答えるに違いないのだ。
しかし、それでも、やめられない。
「よそがやるからにはうちもやる」
こっちの責任ではない、と……。まあ、お互い、そう言い合っているわけである。
——編集部には、草間一人しか残っていなかった。
みんな取材に出ているか、でなければ……。若い社員には、さっさと、
「彼女と待ち合せてるんで」
と言って帰ったのもいる。
さすがにそれはほんのわずかだが、草間など、それを見て、羨《うらや》ましいと思う。堂々と、ああ言えなかったものだ、昔は。
もっとも、そういう若い連中も、編集長から、
「どこへしけ込んでも、誰か有名人がいないか、目を光らせとけよ!」
と条件をつけられていた。
草間一人、残っているのは、週刊誌の編集部には、時として「たれ込み」があるからだ。
「今、女優のOと歌手のTをどこそこで見かけた」
とか、
「アイドルタレントのSが、夫のいる女優NとホテルKに入って行った」
とか……。
物好きな、とも思うが、教えてくれれば、放ってはおけない。
話を聞いて、いたずらでないと判断したら、外を回っている誰かをポケットベルで呼び出し、そこへ行かせる。
この雪の中で、か。——草間は、こうして一人で残っていられて、気楽だった。
紙コップで、まずいコーヒーを飲む。
正直なところ、何か特ダネ的なスクープがないか、と草間は期待していた。
水島雄太の妻と、川北竜一の情事を記事にしたくなかったのである。
川北の方は、いくら書かれてもどうってことはあるまい。もとから噂《うわさ》の多い男だ。
しかし水島の妻は……。いくら元女優といっても、ほとんど無名で終ったわけだし、今は普通の主婦である。川北の誘いに、一時的に迷ったとしても、長くは続くまい。
草間は、水島雄太が好きだった。今どき、ああいう役者は少ない。有名になることだけを考えていない、「役者バカ」と、親しみをこめて呼ばれるような男である。
その水島の家庭を、たぶんこの記事は破壊することになるだろう。
トップ記事というわけではないが、子供の幼稚園で、近所のスーパーで、話題になるのは避けられない。
草間は、何かとんでもない大ネタが出て、水島久仁子と川北のことなど、どこかへふっとんでしまわないか、と思っていたのだ。
しかし、そううまくはいかないだろう……。
電話が鳴った。——誰かな。
デスク直通の電話で、その番号は、業界の人間しか知らない。
「はい、〈週刊××〉」
と、草間は言った。「もしもし?」
「お知らせしたいんですがね」
低く、こもった、奇妙な声だった。いたずらか?
しかし、この番号を知っているというのは……。
「何ですか?」
「川北竜一のことですよ」
と、その「声」は言った。
やれやれ、またか!
「川北竜一がどうしたんです?」
「今夜、川北はホテルSで〈ミステリー・ナイト〉に出ています」
「ああ、そんな話でしたね」
「ところが——泊り客の未成年の女の子と寝てるんですよ」
草間は、耳を疑った。
「ちょっと——今、何といいました? 未成年の女の子?」
「一四歳。中学二年生の子です」
「——まさか」
中学生? とんでもない話だ!
「行ってごらんなさい。ホテルSの〈2511〉ですよ……。では」
「もしもし! あなたは——」
もう切れていた。
草間は、無意識に、〈2511〉という数字をメモしていた。
川北が、一四歳の女の子を抱いた……。もし、これがばれたら、大変なことになるだろう。
ホテルSにいることは、事実だ。——本当かもしれない。
草間は誰かを呼び出そうとして、思い直した。
自分で行こう。これが事実なら、大変なスクープになる。
草間は、全自動のコンパクトカメラをひっつかむと、編集部を飛び出した。外が雪だということなど、頭になかった……。
犯人は退屈していた。
水島雄太のことである。
犯人は、予《あらかじ》め決められたいくつかのポイントを、時間を区切って動くことになっていた。
どこの時点で、客が死体を見付け、謎《なぞ》をといて、探偵に知らせるか。——その時点で、水島はどこかのポイントにいる。
今は、まだ本番といっても、「発見」されるには少し早い。
水島はバーに入って、コーラを飲んでいた。
あの佐々木という男が、水島に気をつかってくれて、〈飲みもの券〉を何枚もくれていたのである。水島は、佐々木のことが気に入っていた。
水島に、役者として敬意を払ってくれていることが、伝わって来る。
水島は、面白い仕事ではないながらも、楽しんでいた。
あのロケ現場で声をかけてくれた、女子大生らしい娘のことを、思い出した。——どこで、どんな人間が水島を見ているか分らないのだ。
しかし——帰った後のことを考えると、水島の気持は重くなる。
久仁子と、どう話せばいいのか。
久仁子が悪いとは思っていない。川北の方が悪いのだ。それは分っている。
しかし、久仁子が、
「もう川北と会わない」
と、誓ったとして、それを百パーセント信用できるだろうか?
たとえそれが事実だとしても、川北に何度も抱かれた久仁子を、この腕の中に抱くことができるか……。
考えてみれば、馬鹿げた話である。
あんな男のために、家庭を壊され、引越しまでしなくてはならないなんて……。
しかし、久仁子だけでなく、牧子のことも考えなければならない。
今の子供は、TVを見、親の噂話を、ちゃんと聞いているのだ。牧子の耳にも、それは入らずにいるまい。
牧子が、それでいじめられでもしたら……。やはり、久仁子も辛《つら》いだろうし、水島も、そのことで久仁子を責めないという自信はなかった。
やはり、まず引越して、新しくやり直すことだ。その上で、久仁子とどうするか、よく考えて決めよう……。
水島は、腕時計を見た。
そろそろ行くか。——これから二十分ほどの間、水島はこのホテルの地下にあるドラッグストアで雑誌を見ていることになっているのだ。
バーを出て、エレベーターの方へ歩きかけたが、そう、この一つ下だ。確かエスカレーターが……。
引き返そうとして——ふと目が、一人の女を捕えていた。
久仁子?——久仁子だ!
どうしてこんな所に……。呆《ぼう》然《ぜん》としている間に、久仁子の姿はエレベーターの中へと消えた。
「待ってくれ!」
水島が駆けつけたとき、もうエレベーターの扉は閉まり、上り始めていた。
「こちらが参ります」
案内嬢の声が、どこか遠くから聞こえて来た。
久仁子……。何か思いつめた表情だったが——。
何か……馬鹿なことを考えてなきゃいいのだが。
上りのエレベーターに乗ると、水島は、
「二五階を」
と、言っていた。
「ここだわ! 〈2521〉!」
と、由美は、ほとんど子供のようにはしゃいでいた。「ねえねえ、ノックして! ほら!」
「分ったよ」
塚田は、〈2521〉のドアを叩《たた》いた。「——どうする? 死体でも転がってたら?」
「面白いじゃない! 大好き、そういうのって」
と、由美が言った。
ドアが開いて、
「あら、どうぞ」
と、一人の少女が顔を出した。
「あ! 庄子ユリアさん?」
由美が目を丸くして、「信じられない!」
「一番のりですよ。どうぞ」
と、庄子ユリアは、仕事用の笑顔で、二人を中へ入れた。
「わあ、感激だわ!」
と、由美は飛びはねんばかりだ。
「それで……どうすればいいんですか?」
塚田の方は、庄子ユリアをよく知らないので、そう感激もないらしい。
「ここに封筒が五つあるんです」
ユリアは、テーブルに並んだ白い封筒を示して、「この中の一つを選んで下さい」
「へえ……。じゃ、この中に手がかりが?」
と、由美が訊《き》く。
「そうです。でも、ものによって、凄《すご》くむずかしかったり、易しかったり。それは運ですからね」
「ね、あなた選んで」
と、由美が塚田に言った。「凄くいい勘してるじゃない」
「まぐれだよ、さっきは」
「いいから!」
塚田は肩をすくめて、封筒を見下ろした。
そこへ、ドアがノックされた。
「あ、また誰か——。待って下さいね」
ユリアがドアを開けに行った。「あ、佐々木さん。もう今、最初の方が」
「そりゃ凄い。有望ですね」
と、部屋へ入って来たのは——。
塚田は、そこに啓子が立っているのを見て、目を疑った。
啓子の方も、唖《あ》然《ぜん》としている様子だったが、すぐに佐々木の後ろに退った。
佐々木……。そうか。
塚田は、啓子が電話で、
「佐々木さん?」
と、呼びかけたのを、思い出した。
「ねえ、早く選んでよ」
と、由美がつつく。「他の人が来ちゃうかもしれないわ」
「うん……」
塚田は、五つの封筒を見下ろした。
——啓子。啓子。
僕を見捨てないでくれ。啓子……。
塚田は、封筒の一つを、選び出した。
〈2511〉のドアが開くと、川北は一瞬、戸惑った。
ハッと息をのむほど可《か》愛《わい》い女の子が、立っている。
「川北さん! 嬉《うれ》しいわ、来て下さって!」
少女は頬《ほお》を紅潮させて、「入って下さい」
と、言った。
「うん……」
川北は、ツインルームの中へ入ったが——。
「友だちは?」
少女は後ろ手にドアを閉めて、
「ごめんなさい。パーティって嘘《うそ》なの」
「嘘?」
「私一人。——ボーイフレンドに振られちゃって」
川北は、ちょっと大人びたワンピースの少女を、少し離れて眺めた。
「君……いくつ?」
「一八。——そう見えないでしょ?」
「いや……。可愛いからさ。でも、一八歳だね、やっぱり」
「そう?」
「大人の雰囲気があるよ」
「嬉しいわ。——怒ってない?」
「怒るもんか」
川北は、ゆっくりとソファにかけた。「何か飲んで、話さないか?」
その目は、すでに服の下の少女の肌に、届くようだった……。