ドアをノックすると、
「誰だ?」
と、面倒くさそうな口調で、返事が返って来た。
「ウイスキーをお持ちしました」
「頼んでないぞ」
と、川北は言った。
バスローブをはおって、どうやらシャワーを浴びたばかりらしい。
「ホテルからのサービスでございます」
と、村松は、澄まして言った。
「何だ、そうか。——じゃ、置いてってくれ」
「失礼いたします」
村松は、ドアを細く開けておいて、中へ入った。
ベッドには、やはりバスローブを着た女の子が寝そべって、週刊誌をめくっている。
村松は、盆をテーブルの上にのせた。
「こちらでよろしいでしょうか」
「ああ、いいよ」
川北は手を振った。
村松は、チラッとドアの方へ目をやった。隙《すき》間《ま》から、草間のカメラが覗《のぞ》いている。
しかし、川北がベッドから離れすぎていて、少女と一枚のカットに入らない。別々の写真では意味がないのだ。
「——他に何かご用はございませんでしょうか」
と、村松は言った。
「もういい。行ってくれ」
と、手を上げて見せ、川北がベッドの方へ近付いて行く。
「失礼いたします」
と、頭を下げた村松の耳に、カシャッとかすかな音が聞こえた。
廊下へ出て、ドアを閉めると、村松は息をついた。もう草間はドアから離れている。
「——どうです?」
と、村松は急いで歩いて行くと、言った。
「大丈夫。しっかり二人がうつってますよ」
と、草間は肯《うなず》いた。「カメラの性能を信じるだけだ」
「やれやれ。——行きましょうか」
村松はボーイの帽子を取って、汗を拭《ぬぐ》った。「ばれたらどうしようと思って、ドキドキしてましたよ」
「あなたのことは知ってるでしょう、川北も」
「ええ。でも、この格好だし、もう、少し酔ってたようですしね」
「スクープだ!——どうします、これから」
エレベーターに乗って、草間は言った。「ともかく、このフィルムを持って帰りますがね、私は。後で一杯?」
「いや、結構です」
と、村松は首を振って言った。「ちょっと約束ができまして」
「ほう。彼女と?」
「そんなとこです」
と、村松は言った。
「そりゃ羨《うらや》ましい。——ま、のんびりするんですな」
エレベーターがロビーのフロアに着くと、草間は、
「じゃ、これで。——メリー・クリスマス」
と、言って、歩いて行った。
ロビーは、この時間も、まだ若い人たちで混雑していた。その人ごみの中に、草間の姿が消える。
「やれやれ……」
村松は、ふっと肩の力を抜いた。
これで、川北の足もとをすくう手伝いをしたことになる。——もちろん、後悔はなかった。何と言っても、「身から出たさび」というやつである。
しかし、草間が後で知ったら……。村松の「彼女」が、五月麻美のことだと知ったら、仰天するだろう。
借りた制服を返しに、村松は地階へと下りて行った。
川北は、首をかしげていた。
「どうしたの?」
と、少女が言った。
「いや……。考えてみたら、ここは君の部屋だな」
「そうよ」
「どうしてウイスキーがサービスで来るんだ?」
川北は、そう言って、「それに——何だか見たことのある顔してたな、あのボーイ……」
「そう? どうでもいいでしょ、そんなこと!」
少女は素早くバスローブを脱ぎ捨てると、ベッドへ入った。
川北はちょっと笑って、
「全くだ。どうでもいい!」
と、声を上げ、自分もベッドへ潜り込んで行った……。
「そんなことがあったんですか」
と、啓子は言った。
「女房の姿を見たもんでね、つい……」
水島は、啓子の部屋のソファにかけて、言った。「役者失格かもしれないな。こんなことで現場を離れて」
啓子は首を振った。
「そうは思いませんわ。——プロでいるってことと、人間らしくあることと、矛盾しないでしょ?」
水島は、微《ほほ》笑《え》んで、
「ありがとう」
と、言ってから、すぐ真顔に戻った。「しかし——どうしてエリが」
「永田エリさんも、川北竜一と……。ずいぶんひどい男ですね」
「まあ……人の色恋ざたに、口を出してはいけないかもしれないが、あの男は、責任をとるってことがない。逃げてばかりいる男ですよ」
「永田さんを殺したのは、誰なのかしら」
「見当もつきませんね」
と、水島は言った。「あんなに人から恨まれる理由のない人もいなかった。本当です」
「恨みじゃないんですね、きっと」
「しかし……分らない」
水島は首を振った。
ドアをノックする音。——啓子は急いでドアを開けに行った。
「佐々木さん——」
「すまない。ともかく大変で……」
水島を見て、佐々木が目をみはる。
「いや、どうも……。こちらの娘さんが、連れて来てくれたんです」
「水島さん! 捜してたんですよ」
と、佐々木は言った。
「何か?」
「捕まったんです。二五階で、刃物を持ってうろついていた女性が」
「刃物?」
「あなたの奥さんですよ」
佐々木の言葉に、水島はサッと青ざめた。
川北は、まどろんでいた。
酔いも手伝って、少女を抱いたかどうかも、よく憶えていない。
しかし、ともかく……。同じベッドに入ってるんだ。ちゃんと、抱いてやったんだろう。
少女が、少し体を起こした。
「どうかしたのかい?」
と、川北は言った。
舌足らずな声になっていた。少女は、ドアの方へ目をやって、
「ちゃんと閉めなかったの?」
と、言った。
「何だって?」
「お客様みたい」
川北は頭を持ち上げて——唖《あ》然《ぜん》とした。
ユリアが、開いたドアからゆっくりと入って来た。
「ユリア……」
「呆《あき》れた」
と、ユリアは冷ややかに言った。「仕事はどうしたの?」
「仕事?」
川北は、目をパチクリさせて、「そうだった! 仕事か!」
「もう遅いわ」
と、ユリアは言った。「それどころじゃなくなったのよ」
「——何のことだ?」
「ともかく、ちゃんと部屋へ戻ったら?」
ユリアは少女の方を見て、「あなた、いくつ? まだ子供じゃないの」
「そう見えるだけさ。もう一八。——なあ」
と、川北が言うと、
「ごめんなさい」
と、少女が舌を出した。
「何が?」
「私、一四。——中学生なの」
一気に、酔いが醒《さ》めた。
「何だって!」
「早く出たら?」
と、ユリアが言った。「人に見られたら、大変よ」
「ああ……。おい、ユリア! 待ってくれ!」
川北はパンツとランニングシャツだけで、他の服をかかえると、ユリアの後を追って、少女の部屋から飛び出した。
——残った少女はクスクスと笑っていたが……。
少しして、電話が鳴った。
「はい。——もしもし。——うん、今出てった。凄《すご》くあわてて。——おかしかった!」
と、思い出して笑っている。「——え?——うん、そうね。じゃ、仕度してる。——川北さん? 全然、酔っ払っちゃって。何も分んなかったみたい」
少女は、伸びをすると、
「じゃあ、後でね。——はい」
電話を切ると、少女はベッドから出て、バスルームへ入って行った。
口笛が、最新のアイドル歌手の曲を吹いていたが、やがてシャワーの音に消されて、聞こえなくなる。
しばらく、シャワーの音が続いて、それが止まると、今度は少女の口ずさむ歌が、聞こえて来た。
ドアが——部屋のドアが、静かに開いた。
もちろん、バスルームの少女には、何も分らなかった。