「いつまでこうやって待ってなきゃいけないの!」
と、浅井由美が甲高い声を上げた。
塚田は、肩をすくめた。
「僕にも分らないよ」
「何とかしてよ! 男でしょ!」
由美はヒステリーで爆発寸前という様子だった。
塚田は疲れていた。——何もかもに。
どうしてこんな日に、こんな所へ来ちまったんだろう。——クリスマス・イヴか。
いつもと何の変わりもない日じゃないか。一日が二十五時間あるわけじゃないし、この日だけ、人間が変わるわけでもない。
クリスマス・イヴも、男は男で、女は女で……。
ただ、若者向けの雑誌やTVにのせられて、こっちは振り回されているだけじゃないのか。——結局は、大人が儲《もう》けるための口実の一つにすぎないのだ。
「何とか言ったらどう?」
と、由美は、部屋の中を、苛《いら》々《いら》と歩き回っていた。「どうしようっていうの? 私をこんなことに引張り込んで!」
部屋のドアが開いて、二人はギクリとして振り向いた。
塚田はホッとした。——啓子が入って来たのである。
啓子の後から、佐々木もやって来た。
「お待たせして、申し訳ありません」
と、佐々木は言った。「何分、警察の方も今夜は特別に忙しいようでしてね」
「どうしてくれるのよ、せっかくのクリスマス・イヴなのに!」
と、由美がかみつきそうな声を出した。
塚田と啓子が、そっと目を合せる。
「夜はまだ長いですから、落ちついて下さい」
佐々木は軽くいなして、由美は、ムッとした様子だったが、黙ってしまった。
「犯人は? 捕まったんですか」
と、塚田が訊《き》いた。
「いや、なかなか……」
と、佐々木は首を振って、「何といってもこういう場所です。人間が大勢出入りしていますからね。——今、担当の刑事さんがみえるので」
「分りました」
と、塚田は肯《うなず》いた。
「冗談じゃないわ!」
と、また由美が騒ぎ出した。「何で、私たちが、刑事なんかと——」
「やめろよ」
と、塚田が言った。
由美は、まるで宇宙人か何かと話をしたみたいに、ポカンとして、
「え?」
と、塚田の顔を見た。
「やめろ、って言ったんだよ」
と、塚田は穏やかに、しかしはっきりと言った。
「あなた……誰に向って言ってるのよ」
由美は真《まつ》赤《か》になって、塚田をにらみつけた。
「いいかい」
塚田は、由美の目を真《まつ》直《す》ぐに見返して、「人が死んだんだ。そしてホテルの人も、警察の人も、クリスマス・イヴの夜でも関係なく働いてるんだ。僕らはこうやって、ただ座ってるだけじゃないか。文句を言うことなんかない。そうだろう?」
由美は、青くなったり赤くなったりをくり返していたが、やがて腕組みをして、ムッと黙り込み、ソファにふてくされて座った……。
啓子は、そっと微《ほほ》笑《え》んだ。
塚田も「大人」になったのだ。——啓子はそっと彼の方へ肯いて見せた。塚田は見ていなかったかもしれないが。
ドアを叩《たた》く音がして、佐々木が急いでドアを開けた。
「あ、どうも」
「S署の者です。遅れまして」
厚ぼったいコートを脱いで、その刑事は息をついた。「いや、中は暖かくていい。外はすっかり雪景色ですよ」
半分髪の白くなった、その初老の男は、続けて、
「失礼。——S署の小田と申します。こんな夜に殺人に出くわすとは、運の悪い方たちですな」
「現場は〈2503〉のスイートルームです」
「手をつけずに、そのままになっていますか?」
「そのはずです」
「では、そちらの部屋で話をうかがいましょう」
「いやよ!」
と、由美が声を上げた。「私、あんな所、行かない!」
「死体には布をかけてありますから」
と、佐々木が言った。
塚田が立ち上ると、
「行きましょう」
と、肯いた。
啓子は、佐々木について、その部屋を出た。
由美が、渋々という様子で、塚田について来る。ふくれっつらで、まるで別人のように見えた。
「もう……。パパに言ってやるから……」
と、由美がブツブツ言っても、誰も聞いてはいなかったのである。
「——ここです」
〈2503〉のドアを、佐々木が開ける。
「ほう、こりゃ凄《すご》い部屋だ」
と、小田という刑事は、死体よりも、部屋の豪華さに、まず感銘を受けた様子だった。
「このリビングが現場で」
と、佐々木が案内する。
死体は、佐々木が白いシーツで覆っていたが、その真中に赤黒く血がにじんで、死体は見えなくても、ゾッとさせるものがあった。
「なるほど」
小田が、布をめくってかがみ込んで、しばらく、あちこち見ていたが、やがて立ち上り、元の通りに布をかけた。
「一刺しか。即死でしょうな。——いや、検死官が忙しくて、なかなかこっちへ回って来られんので、申しわけありません」
と、小田刑事は頭をかいた。「——では、まず、こうなった事情をご説明いただきましょうか」
「私がご説明します」
と、佐々木が言った。「そもそもは、私どものホテルの企画したゲームだったのです」
「ほう。——いや、皆さん、適当に座って下さい」
何しろソファは沢山ある。しかし、なぜか塚田、由美、啓子の三人は、固まって同じソファに腰をおろした。
佐々木が話を始めると、すぐにポケットベルが鳴った。
「あ、こりゃすみません」
佐々木は、急いで、部屋の電話へと駆けて行った。
小田は、焦るでもなく、のんびりと窓の方へ歩いて行き、
「やあ、よく降りますな」
と、やっている。
「——もしもし、佐々木だ。——何だって? どこで?——そうか。酔ってるのか?——分った。それじゃ……。そうだな、〈2503〉へご案内してくれ。——うん、そうだ」
佐々木は電話を切ろうとして、「あ、そうそう。〈2521〉の庄子ユリアさんも一緒に。——うん。頼む」
「どうしたの?」
と、啓子は訊いた。
「いや、どうも……。例の川北竜一がね」
「どうかしたの?」
「廊下でのびてたそうだ。本人は何も言わずにムスッとしてるらしいが、どうやら五月麻美の部屋の前だったんだな。叩き出されたんだろう」
「まあ」
「顎《あご》が赤くあざになってたというから、男に殴られたのかもしれないな」
「ほう、川北竜一も出とったんですか」
と、小田刑事が言った。
「そうなんです」
佐々木が、入口の方へ行って、間もなく、庄子ユリアと、そして浅井由美と同様のふくれっつらをしている、川北竜一を連れて戻って来た。
「これはどうも」
と、小田刑事は専ら庄子ユリアの方へ頭を下げている。
「——さて、話のつづきですが」
佐々木は、ゲームのあらましと、そのリハーサル、そして夕方から、この部屋での準備に至るまで、順序立てて説明した。
「なるほど。よく分ります」
と、小田刑事は肯く。
「そこで、死体発見のときの状況ということになるんですが」
佐々木は、塚田たちが、部屋のヒントを解いてここへやって来たこと。〈死体〉の役の、永田エリが、本当に刺し殺されていたことを説明した。
「ふむ……」
小田刑事は顎をさすりながら、布に覆われた死体を見下ろして、「ま、どう考えても、物《もの》盗《と》りや、通り魔的犯行ではない。となると、個人的な恨みから来たもの、ということになりますな」
小田刑事は、ふと思い出したように、
「そういえば刃物を持っていて、捕まった女性がいるとか? ここへ呼んでいただけますか」
「分りました」
——数分後に、制服の警官にともなわれて、水島久仁子が入って来た。
そして、でっぷりと太った男——劇団のマネージャー、原もついて来た。
「やあ」
原が、川北を見て声をかけたが、川北は顔をしかめているだけだった。
久仁子は、緊張した表情で、川北の方へは目を向けなかった。
「さて」
と、小田刑事が全員を見回して、「どういうつながりになっとるんですか? どなたか説明していただけませんかね。私も、週刊誌ぐらいは見ますので、川北竜一さんと、こちらの庄子ユリアさんのことは、承知しておりますがね」
ユリアは、ちょっと肩をすくめて、
「でも、もうすんだことです」
と、言った。
川北がジロッとユリアの方をにらむ。ユリアは、全然気付かないふりをしていた。
「私が説明した方が早いでしょう」
と、原が言った。「川北竜一は、元、この永田エリと同じ劇団にいました。そして当時、二人は恋人同士だった」
「そんなんじゃない」
と、川北は言い返した。
「そうかな? しかし、永田エリは君の子供を堕《おろ》しているんだよ」
川北が顔をこわばらせた。原は続けて、
「マネージャーたる者、団員のことには何でも通じてなくちゃいかんのでね」
と、言った。「もちろん、川北君が有名になり、劇団を抜けてから、二人の間は切れていたわけですが」
「なるほど」
と、小田刑事が肯《うなず》く。
「こちらの水島久仁子さんは、やはりうちの劇団の水島の細君です。当人も、元は劇団員でした。しかし……やはり、同様に川北君と付合いがあった」
「忙しいことね」
と、ユリアが皮肉っぽく言った。
「そして、水島君と結婚して、今は娘さんもいるが……。いくつだったかな」
「五歳です」
と、久仁子は答えた。
「もうそんなになるか! ところで、このところ、川北君はまたもや、この久仁子さんに手を出し始めた」
「そんなこと——とやかく言われる筋合はないぞ」
と、川北が言い返した。「大人同士の付合いだ。責任は半々じゃないか」
「確かにね」
と、原は肯いた。「しかし、君にとっては『またか』ですむ情事でも、この人にとっちゃ、一生を棒に振ることになるんだ」
「馬鹿でしたわ」
と、久仁子がうなだれた。
「しかも、二人の仲は、あちこちに知られつつあった。写真をとり、送りつけて来る人間もいて……。久仁子さんは追いつめられていた」
と、原は言った。「それで、刃物を持ってやって来た、というわけだ」
「すると、奥さん」
と、小田刑事が言った。「あなたの持っていた刃物は、川北を刺すためのものだったんですか」
「はい」
久仁子の答えを聞いて、川北はギョッとした様子で、腰を浮かした。
「怖がるくらいなら、火遊びはやめるのね」
と、ユリアが言った。
「全くです」
と、小田刑事が言った。「今はもちろん、刃物を持ってはいませんから、ご心配なく」
川北は、一人でムッとして黙り込んでいる。
「——すると、永田エリさんを殺す動機としては、どんなものが考えられますか」
と、小田刑事が言った。
「そこは分りかねます」
と、原が言った。「永田エリ君は、地味なわき役です。彼女を恨んでいる人間があるとも思えませんが」
誰もが、少し沈黙した。
「あの……」
と、久仁子が言った。「私のところへ——永田さん、忠告しに来てくれたことがあります。川北と付合うのはやめた方が、って……」
「ほう。そのとき、何か他に言っていましたか」
「実は——私、感じたんです。彼女の口調の中に。もちろん勘違いかもしれませんが、でも、たぶん正しかったと思います。永田エリさんは、まだ川北を愛していたんです」
川北が、チラッと久仁子の方を見た。
「なるほど、それは面白い」
と、小田刑事が肯く。「もし、二人がよりを戻していたとしたら……」
「そんなことはない!」
と、川北が言った。
「分るもんですか」
ユリアがからかう。「ともかく、過去の女でも、人にとられるのはいやなのよね」
「ユリア、お前……」
川北が真《まつ》赤《か》になって、ユリアをにらみつけると、「俺のおかげでスターになれたんだぞ! 忘れたのか!」
「やめてよ! もううんざり」
ユリアは正面から川北を見据えた。「あんたなんか、もういらないのよ。人のことを、自分の持ちものぐらいにしか思ってないくせして」
「何だと?」
川北は目をむいた。
「五月麻美にも放り出されたんですって? 私、明日になったら、週刊誌の人に教えて回ろう。あなたがホテルの廊下で寝てた、ってね」
「貴様——」
「まあ、お静かに」
と、小田刑事が言った。「個人的な喧《けん》嘩《か》は後回しにして下さい」
「川北君と永田エリ君が、もし今付合っていたとすると、動機はありますな」
と、原が言った。「永田君は、昔の川北君をよく知っている。色々、書かれて都合の悪いこともね。川北君が、遊びのつもりで永田君と付合い、永田君が、そういう過去を持ち出して、川北君をつなぎ止めようとしたのなら……」
「冗談はやめてくれ!」
川北が青ざめて立ち上った。「どうして俺《おれ》が、こんな女を殺さなきゃいけないんだ! 俺はスターだぞ! 有名な人間なんだ。こいつは誰も名前も知らない〈死体〉役者だ。こんな奴《やつ》を殺して、俺に何の得があるんだよ」
「川北さん。ひどい言い方ね」
と、久仁子は言った。「エリさんは、あなたとのことを、ごく親しい人にしかしゃべらずに、ずっと胸にしまい込んでたのに」
川北は肩をすくめて、
「俺は、別にどうってことはなかったんだ。向うが言い寄って来ただけさ」
と、口を尖《とが》らして言った。
「川北さん。永田エリさんが殺されたとみられる時間、あなたはどこにいました?」
と、小田刑事が訊《き》く。
「僕は——」
と、言いかけて、言葉を切る。
「どこです?」
と、小田刑事が重ねて訊くと、
「いや……。その……」
と、川北は口ごもった。
「私が教えてあげる」
と、ユリアが言った。
「やめろ!」
「この人、中学生の女の子と同じ部屋にいたのよ。一四歳の」
「ユリア、お前——」
「それは聞き捨てなりませんな。どこの部屋です?」
「確か〈2511〉だわ」
と、ユリアが言った。
「見て来ましょう」
佐々木が立って、足早に出て行く。
「——知らなかったんだ」
川北は額の汗を拭《ぬぐ》った。「一八だっていうから……。少し酔ってたし。——本当だ! 知ってりゃ手は出さない!」
「お忙しい方ですな」
と、小田刑事が首を振って、「どうも、あなたから、もっと詳しい話をうかがいたい気分ですね」
「俺じゃない! その子の所にずっといたんだ。エリは殺せない」
と、川北は言った。
すると佐々木が、駆けるようにして戻って来た。
「どうしました?」
と、小田刑事が訊く。
「いや……。今、〈2511〉へ行ってみると……」
佐々木が半ば呆《ぼう》然《ぜん》としている様子で、「女の子がバスルームで——死んでます」
と、言った。
「何ですって?」
小田刑事が目を丸くする。
「今——警官がそばに。連絡を入れてくれています。誰かに首を絞められたようです」
誰もが、しばし口を開かなかった。
「川北さん」
と、小田刑事が言った。「どうやら、その女の子は、証言してくれなくなったようですな」
「知りませんよ、僕は」
と、川北は真《まつ》青《さお》になっている。「なあ、ユリア! 俺が部屋を出たとき、あの子は生きてた。そうだろ?」
「まあね」
と、ユリアは肩をすくめた。「でも、あなた、すぐ出てったじゃないの」
「俺は——麻美の所へ行ったんだ! 彼女に訊いてくれ」
「叩《たた》き出されたこともね」
川北は、顔を引きつらせて、
「殺人犯にされるよりましさ」
と、吐き捨てるように言った。「それより、その女じゃないか、怪しいのは」
と、久仁子の方を指している。
「川北さん……」
「君は、エリがまだ俺に気がある、と言ったじゃないか。ここへ来て、エリを殺したんだろう」
「それは妙ですな」
と、小田刑事が言った。「ナイフは死体に残っている。この奥さんは、刃物を持っていたんですよ」
「二つ持って来たのかもしれない。そうでしょう?」
と、川北は立ち上って、「疑いをそらすために、わざと持って歩いてたのかも。——凄《すご》いやきもちやきなんだから、この女は」
やたら手を振り回しながら、川北は言った。
「俺の誘いにすぐのって来た。もともと水島のことなんか、どうでも良かったんだ。そうだろう。良妻ぶって見せるのがうまいだけさ。この女なら、永田エリを殺す理由がある。エリだって油断しただろうし……」
まくし立てるようにしゃべっていた川北は、言葉を切った。
——冷ややかな空気が、川北をとり囲んでいた。
「何だっていうんだ」
川北は、虚勢を張って、一同を見わたした。「俺はスターだぞ! 水島やエリみたいな負け犬じゃないんだ。誰だって、俺の言うことを信用するさ。そうだとも!」
川北の額に、汗が光っている。怒鳴れば怒鳴るほど、薄っぺらな本性をさらけ出して行くようだった。
「殺さなくて良かったわ、こんな男」
と、久仁子が言った。
「全くだ」
と、原が肯《うなず》くと、佐々木の方へ向いた。「もう充分でしょう」
「そうですね」
と、佐々木が肯く。
——啓子は、佐々木が部屋のTVのスイッチを入れるのを見た。
何してるのかしら?
佐々木は、TVの〈有線放送〉のスイッチを押した。すると——。
どこかで見たような部屋が映し出された。
そこに集まった人々。
これは……。啓子は、やっと気付いた。TVに映っているのは、今の私たちだわ!
「〈ミステリー・ナイト〉へようこそ」
と、佐々木が言った。
誰もが、しばらく、身動き一つしなかった。
やっと口を開けたのは、川北だった。
「何だ、これは?——どういうことなんだ?」
「今、ここでのあなたの大熱演は、あそこのTVカメラで、このホテルの全部の部屋のTVに映し出されているんです。もちろん、〈視聴率〉がどれくらいかは分りませんが、まあかなりの人が見ていると思って間違いないでしょう」
「何だって……」
川北は、まだわけの分らない様子で、突っ立っている。
すると、突然、白い布をはねのけて、死体が立ち上った。
「キャーッ!」
と、悲鳴を上げたのは、浅井由美だった。
永田エリが、胸にナイフを突き立てられて、ニコニコしながら、立っていた。
「いかが? 私の名演技は」
啓子は唖《あ》然《ぜん》としていた。——佐々木を見ると、向うはいたずらっぽく、啓子にウインクして見せた。
「エリ……」
川北が、目をパチクリさせている。
「もう、すっかりふっ切れたわ。今のあんたを見てたらね」
と、エリは言った。「久仁子。良かったね、こんな奴《やつ》のために、一生をだめにしないで」
「ええ。でも……夫が許してくれなかったら——」
「大丈夫ですよ」
と、佐々木が言った。「ご主人は、何もかも分っておられます」
アッ、と啓子は声を上げた。
「分った! 刑事さん——あなたね! 水島さんでしょう!」
「よくお分りで」
小田刑事が、カツラを取り、手早くメイクを落とした。——水島雄太の顔が現われる。
「どうも、どこかで……。いつもTVで見てるせいだわ」
と、啓子は言った。「でも、すばらしかった!」
「ありがとう」
水島は久仁子の方へ、「おい、こちらの娘さんが分ったのに、女房のお前は分らなかったのか?」
「だって……」
久仁子は、涙がこみ上げて、夫の胸に身を投げかけた。
一人、青ざめて突っ立っているのは、川北だった。
「何だ、これは! 俺のことを——馬鹿にしやがって!」
声が上ずっている。「訴えてやる! みんな、憶えてろ!」
川北が、部屋から出て行こうと、大《おお》股《また》に歩いて行くと——ドアが目の前で開いた。
川北は目を見開いた。そして、ジリジリと後ずさって、
「何だ……。こんなはずが……嘘《うそ》だ!」
入って来たのは——バスタオルを巻きつけた裸の少女だった。
「おあいにくさま」
と、少女が言った。「あんたに殺されるほど、かよわくないのよ」
少女が拳《こぶし》を固めて、川北の顔にパンチをおみまいした。川北は、よろけてドシンと、尻《しり》もちをついた。
「君を引っかけたのは私だ」
と、原が言った。「その子はタレント志望でね。君のやってることは、ひどすぎた」
川北は、ポカンとして、少女を見つめている。
「しかしね」
と、原は言った。「君がこの子を殺そうとしたと知って、私はこの佐々木さんと話し合って、君をとことんやっつけてやることにしたんだ。——それまでは、本来の〈ミステリー・ナイト〉の筋書だった。しかし、それにTV中継を付け加えて、話を変えたのさ」
「殺されちゃかなわないと思ったからね」
と、少女が言った。「いい加減なとこで白目をむいて、死んだふりしてやったの。この人、脈もみないで逃げてったわ」
「川北さん」
と、佐々木は言った。「殺人未遂ですよ、立派な」
「でも、大したもんでしょ。私の演技?」
と、少女が原に訊《き》いた。「私、タレントになれる?」
「度胸だけでも充分になれるさ」
と、原が笑って言った。
「責任もって、スターにしてよね。何しろ殺されかけたんだから」
と、少女が胸をそらすと、バスタオルがパラリと落ちた。「キャッ!」
「おやおや」
原が目をパチクリさせて、「今、TVを見てた男どもは、目をみはっただろうね」
と、言った。