「ひどいわ」
と、啓子は言った。
「ごめんごめん」
佐々木は、素直に謝った。
「私には話しといてくれても良かったじゃないの」
「うん。——しかしね、もともと、別のアイデアがあったんだ」
「別の?」
「死体が本物だった、ということにして、君の元恋人がどうするか、見たかったんだよ」
「何ですって? じゃあ……」
「彼の予約を入れたのは僕さ」
と、佐々木は言った。「君にひどいことをしたんだからね。ちょっといたずらして、びっくりさせてやるつもりだった」
「馬鹿ね!」
啓子は、佐々木の腕をとった。「そんなこと、もう私は忘れてたのに」
「そうだね」
——二人は、スイートルームに残っていた。広いリビングが、いやに静かだ。
「でも……」
と、啓子が言いかけた。
「何だい?」
「塚田君にとっても、良かったと思うわ。あの子とは、きっと結婚しないわよ」
佐々木は、首を振って、
「やさしいんだな、君は」
と、言った。
「そうじゃないの。——捨てたことを後悔させる。それが一番の復《ふく》讐《しゆう》よ」
「そうか。怖いね」
「そう。私って、怖い女なの」
啓子はそう言って笑った。「——ねえ、TVカメラは、もう切ってあるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ……」
雪が絶え間なく落ちて行く窓辺で、二人の影はしっかりと重なり合った。
「やれやれ」
原は、息をついた。「忙しい夜だった」
「呆《あき》れた」
と、ユリアが言った。「あの警官も、役者さんだったのね」
「しかし、今、川北を連れて行ったのは、本物だ」
「何だか哀れね」
と、ユリアは言った。「——これからどうする?」
「私は帰って寝るよ。君は?」
ユリアは笑って、
「せっかく、人が博愛精神を見せてあげてるのに」
「私は面倒でね」
と、原は立ち上った。「この〈2521〉は、今夜は使っていいはずだ。好きにしたらいい」
「そうね」
ユリアはウーンと伸びをして、「このベッドで、思い切り、手足を伸ばして寝るかな」
「それも、いいクリスマス・イヴの過し方じゃないかね」
原は、そう言ってコートをはおると、「じゃ、おやすみ」
「メリー・クリスマス」
と、ユリアは言った。
——原は、廊下へ出て、ゆっくりと歩いて行った。
ポケットから〈2511〉の鍵を出し、ドアを開ける。
「やっと来た!」
少女は、ベッドから手を振った。
「もう、警察の話はすんだのかい?」
原は、ドアを閉め、コートを脱いだ。
「明日、改めて、ですって。——ねえ、川北って、どうやってここへ入って来たの?」
「このドアは自動ロックを外してあったからさ。ユリアが君と川北の所へ来られるようにね」
「あ、そうか。じゃ、ちゃんとロックしとかなきゃいけなかったんだ」
「そう言っただろ」
「忘れてた」
と、少女は舌を出した。「ね、今は、ちゃんとロックした?」
「ああ、したとも」
原は、ゆっくりとネクタイを外した。
「——変わってるのね」
「昔からだ。君ぐらいの年齢の女の子でないとだめなんだ、私は」
「じゃ、私があと一つ二つ、大人になったら?」
「そのときは諦《あきら》めるさ。——今は今だ」
「じゃ、乾杯しよ」
「うん……」
原は、軽いカクテルを口にしただけだった。
——しかし、一時間後、ベッドの中で、少女はスヤスヤと眠り、原の方は、永久に目を覚ますことのない眠りに入っていた。
心臓が、久々の少女の肌を前にして、とてももたなかったのだった……。
「——どうしても?」
と、由美は言った。
「すまないね」
と、塚田は言った。「さ、タクシーが来た」
ホテルの玄関を出ると、雪まじりの風が吹きつけて来る。
由美は一人でタクシーに乗ると、ドアを押えて、
「お願い、一緒に乗って」
と、言った。
「いや。一人で帰ってくれ」
塚田は、運転手に金を渡すと、ドアを閉めた。
由美は、こんな気持になるのは、初めてだった。——胸が、しめつけられるように痛い。
自分を拒んだ塚田のことが、忘れられそうもなかった。
「そうよ!」
と、由美は口に出して言った。「絶対にとり戻して見せる!」
運転手が、不思議そうにバックミラーを見て、ちょっと振り向くと、
「忘れものですか?」
と、訊《き》いた。
「寒いわね」
と、永田エリが言って、身震いした。「ずっと床の上で寝てたから、腰が痛い」
「ねえエリさん。一緒にうちへ来ない?」
と、久仁子が言った。「牧子も一緒に、四人でクリスマスをやりましょうよ」
「それがいい。一緒に来いよ」
と、水島がマフラーをしながら言った。
「遠慮するわ」
と、エリは微《ほほ》笑《え》んで、「今夜は、あんたたちの特別な夜でしょ」
「エリさん……」
「また稽《けい》古《こ》場でね」
エリは、雪の中を大《おお》股《また》に歩いて行き、すぐに見えなくなった。
久仁子は、夫と一緒に歩き出した。
「——あなた」
「うん?」
「私……」
何も言う必要はなかった。水島が、しっかりと久仁子の肩を抱く。
「寒いか」
「大丈夫」
高層ビルの谷間で、雪は紙吹雪《ふぶき》のように舞っていた。
「牧子のことが心配だわ。——夜中だけど、連れて帰りましょうね」
「ああ。どうせ、どの家も起きてるさ」
と、水島は言った。
「クリスマス・イヴですものね」
二人は歩いて行った。——身を切るような冷たい風も、苦にならなかった。
「あらいけない」
と、久仁子は思い出して言った。
「どうした?」
「あの肉切り包丁。返してもらうの、忘れちゃった。高かったのよ!」
久仁子は、ため息をついた。その息は白く煙のようにフワッと宙へ浮かんで、雪の間へと消えて行った……。