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花嫁の卒業論文08

时间: 2018-06-28    进入日语论坛
核心提示:7 滝の人影「大浴場は閉めている時間だったのです」 と、殿永は言った。「女将はその間に一人でひと風呂《ふろ》浴びていた。
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 7 滝の人影
 
「大浴場は閉めている時間だったのです」
 と、殿永は言った。「女将はその間に一人でひと風呂《ふろ》浴びていた。そこへ誰《だれ》かが入り込んで、手おけで何度も女将を殴りつけたのです」
「むごいことして……」
 と、そのみがため息をつく。「どんなに憎い人でも、そんなこと、できるかしら」
「ね、ドン・ファンが——」
 と、亜由美が言った。「役場の中へ入ってっちゃった」
「何かあったの?」
 殿永の後をついて来たのか、聡子が現われた。「ここ、町役場? 可愛《かわい》い女の子でもいるの?」
 ドン・ファンのことをよく知っている者にしか、聡子の言っていることの意味は分らなかったろう。
「——行ってみましょ」
 亜由美は、足早に役場の中へ入って行った。
 奥の会議室へ行ってみると——。
「ワン!」
 ドン・ファンの吠える声が空《むな》しく響いた。
「——やられた!」
 と、亜由美は言った。
 会議室の机の上の、岬信介の遺品を入れた段ボールが、丸ごとなくなっていたのである。
「——江利さんがさらわれて、そっちへ注意が向いてる間に、盗んだのね」
 と、亜由美は悔しがった。「誰か残しとくんだった! ドン・ファン、あんた、分ってたんなら、もっと早く何とか言いなさいよ!」
「クゥーン」
 ドン・ファンが八つ当りされて迷惑そうに鳴いた。
「いやいや」
 と、殿永がとりなすように、「誰かがここにいたら、やはり犯人にさらわれるか殺されるかしたかもしれない。これでいいんです。後で取り戻せるものと、取り戻せないものがある。そうでしょう?」
 亜由美も同感ではあった。いつも殿永に言われるように、亜由美は刑事じゃないのだから、こんなことに命をかけてはいけないのである。
「——でも、どこから運び出したんでしょう?」
 と、そのみが言った。「私たち、役場の前にずっといたのにね」
「裏口があるのかしら」
 亜由美が職員に当ってみると、やはり裏へ出るドアがあり、そこは職員用の自転車置場になっていた。
「——犯人は一人じゃないってことですね」
 と、聡子が言った。
「その——矢田部江利でしたか。その子をさらった男が二人、こっちの段ボールを運び出したのが一人……。ま、誰かに頼まれたとも考えられますが」
 殿永は考え込んで、「——むしろ今、心配なのはその女の子ですね」
「江利さんですか?」
「もし、あの失踪《しつそう》した三人と同じことになったら……」
 亜由美は思わず息をのんだ。——そんなことまで考えなかった!
「じゃ、あの三人は本当に……?」
「行方不明の三人かどうかは、家族が到着しないと分りませんが、少なくとも他殺死体であることは確かでした」
 殿永は役場の表へと回りながら、「塚川さんたちに注意しようと思ってやって来たのです」
「私たちに?」
「若くて美しい娘さんたちですからね。犯人が目をつけるかもしれないと思いまして」
 亜由美には、殿永の言葉が皮肉のようにも聞こえたが、そこまでは考えすぎのような気もして、
「お気づかいいただいて……」
 と、礼を述べておくことにした。
「じゃ、江利さんを急いで捜さないと」
 と、そのみが言った。「もし、その犯人にさらわれたのだとしたら、江利さんも殺されるかも……」
「今はともかく口外しないで下さい」
 と、殿永が言って、少し用心深く周囲を見回した。「この町にパニックでも起ると大変ですから」
「気を付けますわ」
 と、亜由美は言った……。
 殿永が旅館へ戻って行くのを見送って、亜由美たちも、もう辺りが暗くなって来ているのに気付いた。
「——私たちも戻りましょう」
 と、そのみが言った。「紀子さんも一緒に?」
「いいんですか?」
「女将さん殺されても、夕ご飯出るのかしらね」
 と、聡子は妙な心配をしていた。
「おい」
 と、どこから出て来たのか、さっきそのみに殴られた山辺が立っていた。
「また殴られたいですか」
 と、そのみがていねいに訊《き》く。
「よせやい」
 と、山辺は顎《あご》をなでて、「びっくりしただけだ。あんなもん、蚊が止ったようなもんさ」
「強がり言って。——あなた、江利さんとどういう仲なの?」
 亜由美に訊かれて、ギクリとした様子だったが、
「別に……。ただ、旅館で……」
 と口ごもる。「それより、今の奴《やつ》がゴチャゴチャ言ってたのは、何のことだよ?」
「三人の女の子の白骨死体が見付かったのよ。江利さんがその子たちと同じ運命になるんじゃないか、って心配してるわけ」
 山辺は、ポカンとしていたが、
「——嘘《うそ》だろ?」
「信じないなら、それでもいいけど」
 と、亜由美は言って、「さ、行きましょ」
 と、みんなを促して旅館へと戻って行く。
 山辺は、どんどん暗くなっていく中、一人で取り残されていた。
 そして、急に町のあちこちで旅館やバーのネオンが一斉に赤や青の色で通りを染めていくのを、びっくりして眺めていたのである……。
 
 その夜、K温泉は大にぎわいだった。
 ともかく、行方不明の三人の女性の家族が着いて、遺体の身につけていた物から、間違いなく当人だと確認された。
 相次いで温泉町へ入って来たマスコミは、町のあちこちを撮りまくり、レポーターは町の紹介から始めて、旅館組合の代表にインタビューまでして、駆け回っていた。
「——人が死んだって話なのに、やけにはしゃいでるわね」
 と、聡子がうんざりした様子。
「いくら仕事っていってもねえ……」
 亜由美は、ともかく下手に部屋を出てTV局の人間にでも捕まるといやなので、部屋でゴロゴロしていた。
 ドン・ファンも(いつものことだが)ゴロゴロしている。
「——何だか庭の方が騒がしいわ」
 と、倉本そのみがやって来て言った。
「何かあったんですか」
 と、亜由美が起き上ると、
「誰か、物好きな人が岬信介のことを聞きつけたらしいの。しかも、死体のあったのが岬信介の住んでた所でしょ。それを聞いて、マスコミの人たちが——」
「岬信介が死んだ後じゃないですか」
「そんなことお構いなしよ。——今、TV生中継で、〈伝説の作家は恐るべき殺人鬼だったのか?〉なんてやってるわ」
「単純な連中!」
 と、亜由美が腹を立てている。
「——そういえば紀子さんは?」
「お風呂《ふろ》に行きましたけど」
「それって——もしかすると——」
「え?」
 突然、ドタドタ駆けて来る下駄《げた》の音がして、紀子が飛び込んで来た。
「助けて下さい!」
「どうしたの!」
「ワン!」
 ドン・ファンも、いつになく素早く立ち上る。
「誰か旅館の人が私のこと——岬信介の娘だって……。TV局の人が追っかけて来るんです!」
 亜由美は飛び起きると、
「聡子! 明りを消して!」
 聡子が部屋の明りを消すのと、部屋へ大勢の人がなだれ込んで来るのと、同時だった。
「インタビューを!」
「独占取材——」
「一緒にいて、〈独占〉はないだろ!」
「だから、各局、それぞれ〈独占取材〉ってことに——」
 と、暗い中でもめている。
 亜由美は、紀子の手を引いて壁伝いに進むと、TV局のスタッフと入れ違いに庭へ出てしまった。
「外へ行こう!」
 と、庭の暗がりを進んで小走りに、旅館の裏手へと出た。
「——ああ、怖かった!」
 と、紀子は胸に手を当てて息をついた。
「少し落ちついて考えてほしいわね、本当に!」
「ワン」
「あら、あんたもいたの」
 ドン・ファンが当然の如《ごと》く付添って来ていたのである。
「——私、あそこ[#「あそこ」に傍点]へ行ってみたい」
 と、紀子が言った。
「あそこ?」
「父のいた家。——誰かいるでしょうか?」
「TV局でもいたら、引き返して来りゃいいわよ」
 と、亜由美は言って、歩き出した。
 通りへ出ると、宴会がすんで飲み直しに出て来た客たちがフラフラと大勢行き交っていて、亜由美たちも目立たない。
「——寒くない? お風呂出たばかりだものね」
 と、亜由美が訊《き》くと、紀子はちょっと目を見開いて、
「どうしてそんなにやさしいんですか?」
 と言った。
「私が?」
「ええ。——私のこと、別に友だちでも何でもないのに」
 亜由美は意外な気がしたが、
「知り合った以上は縁があるわけでしょ。あなたとは同じ世代だし、仲良くできそうな気がするのよ」
 と、素直に答えた。
「そう。——そうですね」
 何だか紀子はふさぎ込んでしまった。
「どうしたの?」
「よく分らないんです。私……ときどき、ひどく頭痛がして……。そうすると、自分がずっと遠くに行ってしまう気がするんです」
「遠くへ?」
「そこでは何も考えずにいられて、安心してられるんです。何か——厚い壁に囲まれてるみたいで」
 自分の身を守っているのだ。——しかし、「守る」というのは、何か自分を脅かすものがあるからだろう。
 それは何なのだろう?
 亜由美は、紀子の重苦しい顔を見ながら、何かよほどひどいことがこの子の身に起っていたのだと察した。でも、それが何なのか、見当もつかなかったが……。
 ——二人とドン・ファンは、あの廃屋の前にやって来た。
 TV局のカメラマンたちは、早々にその現場を撮っていたので、今は人がいない。
「中へ入る?」
「いえ……。何だか、ここへ来ると安心するわ」
「安心?」
「変ですよね。死体が隠されてたっていうのに。——でも、それは別にして、父との暮しを思い出すと、懐しい気持になるんです」
 亜由美は、月明りの下、じっとたたずむ紀子の姿を、少し離れて眺めていた。——紀子は過去の中に浸《ひた》っている様子だった。
 すると——。
 ドン・ファンがスタスタと、あの滝の方へと行ってしまう。
「どこ行くの? ——落っこちても知らないわよ」
 と、小声で呼んだが、知らん顔。
 仕方なく亜由美はドン・ファンの後について行った。
「——何なのよ」
 と言いつつ、滝が見える辺りまで来ると、
「クゥーン」
 と、ドン・ファンが鳴いた。
 いつもの、甘えるような鳴き方ではない。
 亜由美は、木立ちの間からあの滝と、岬信介が身を投げた岩を眺めた。
「ドン・ファン……」
 と、亜由美は言った。「あれって——何?」
 岩の上に、人影があった。
 月の光が雲でかげって、その人影は黒いシルエットだったが、男であることは間違いない。
 何してるんだろう? あんな所、夜なんて、滝から水しぶきは飛んでくるし、寒いだろうに……。
 すると月が雲間に顔を出した。白い月明りの中、滝がうっすらと霧に包まれ、岩にまでそのしぶきが風に流されて行くのも見えた。
 そして男の姿が——。まるで昔の絵から抜け出して来たような着物姿で、岩の上に立っている。
 亜由美は息をつめてその様子に見入っていたが……。
「——お父さん」
 と、背後で声がして、びっくりして振り返った。
「紀子さん——」
「お父さんだわ! お父さん——」
 紀子は急によろけた。そして頭を抱えると、「頭が……痛い……」
 と、呻《うめ》くように言って、うずくまってしまった。
「しっかりして! 紀子さん!」
 亜由美があわてて駆けつけると、紀子はそのまま気を失って倒れてしまった。
「ドン・ファン! あんた、得意でしょ! 紀子さんの顔、なめてあげな」
「ワン」
 心外な様子で、それでもいそいそとやって来て、ペロペロと紀子の頬《ほお》をなめている。
 その間に、亜由美は滝の方をもう一度振り向いた。
 岩の上には、もう誰の人影もなかった。
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