「何よ、これ?」
演劇部の部室に入ったさやかと宏実は、唖《あ》然《ぜん》とした。
ただでさえ、ゴタゴタしてて、居る所のないような部室のど真ん中に、でん、と居座っているのは、巨大な花束だった。
「誰か死んだっけ、うちの部の人?」
と、さやかは言った。
「知らない。でも、これ、お葬式の花じゃないわよ」
「そりゃそうだけど……」
宏美は、花束についたカードを取ると、広げてみた。
「さやかあてよ」
「私?」
「ほら。——何とかプロダクションの藤原、って」
「お母さんを映画に誘った人だ!」
さやかは、そのカードを手にして、「でも何だって、私にこんな花を?」
「その人にウインクでもしたんじゃないの、さやか?」
「よしてよ。中年男って趣味じゃない」
ドアが開いて、入って来たのは、部長の石塚進二と、副部長の川野雅子だった。
「あ、部長」
さやかは、あわててカードを手の中に隠した。石塚はともかく、川野雅子の目に止まるとうるさい。
「——これか」
と、石塚が、花束を見て、言った。「うちの部室にゃ合わないな」
「中学生のくせに、こんな物もらうなんて」
と、川野雅子は仏頂面をしている。
「私、別に——」
と、さやかはムッとして言い返しかけたが、何とか思い止《とど》まった。
「先生が、困ってたぞ」
と、石塚が愉快そうに言った。
「困ってたって……。どうしてですか」
「ぜひお前を映画に出してほしい、って、プロダクションの奴《やつ》に頼み込まれたと言ってさ」
「私を?」
「知らなかった、なんて言わないでよ。どうせ売り込みに行ったくせに」
と、川野雅子は、面白くもなさそうに言った。
「待って下さい」
と、さやかは言った。「何の話ですか? 交渉が来てるのは母の方です」
「じゃ、お前、本当に知らないのか」
と、石塚が、机の端に腰をおろして、「母娘《おやこ》共演って企画を立ててるらしいぞ」
「母娘……。母と私が?」
「驚くふ《ヽ》り《ヽ》は名演技ね」
と、川野雅子がいやみを言った。
「まあ、いいじゃないか」
と、石塚が言った。「問題は結果だ。きちんとやりゃ、それでいいんだ」
「私出ません」
と、さやかが言った。「そんな世界、好きじゃありませんから。何でしたら、川野さん、代りに出ます?」
さやかも、それぐらいのことは言ってやらないと気が済まない。
「何ですって?」
と、川野雅子は、さやかに詰め寄った。「あんた、先輩に向って——」
「よせってば」
石塚が遮《さえぎ》る。「これは中沢の問題だ。お前が自分で決めればいい」
「はい」
と、さやかは両手をギュッと握り合わせた。
その手の中で、藤原のカードは、くしゃくしゃになっていた。
「私、用事があるので、失礼するわ」
川野雅子は、部室を出て行ってしまった。
「怖いなあ、あいつは」
と、石塚がのんびりと言った。「しかし中沢、お前は役者の素質があると俺《おれ》は思ってるんだ。よく考えてから決めろよ」
「はい」
「他の奴《やつ》の言うことは気にするな。——先生の方は俺からうまく言いくるめてやるからさ、いざとなったら」
「ありがとうございます」
さやかは、ふと胸が熱くなった……。
さて、一方——。
「あんな子のどこがいいのよ!」
と、川野雅子は、一年生の高林和也に八つ当りしていた。
「ええ……」
高林和也は、曖《あい》昧《まい》に言った。「そうですね」
「間違ってるわ。大体、さやかの母親なんて、遊び好きで有名なんだから。これで母と娘が芸能界入りなんてことになったら……」
空っぽの教室で、川野雅子は、高林和也に、「演技指導」をしていた。
「家庭崩壊か」
と、川野雅子は言って、何やら思い付いた様子で、目をキラッと光らせた。「ね、高林君」
「はあ」
「さやかとさ、付き合ってみる気、ない?」
高林和也は、不思議そうな顔で、川野雅子を眺《なが》めていた。
「いいじゃないか」
と、中沢竜重が言った。
中沢竜一郎は、父の言葉に、やや戸惑って、
「父さん……。それ、どういう意味?」
と、訊《き》いた。
中沢竜重と竜一郎、親子で珍しく夕食を取っているところである。
「いいじゃないか、と言っただけだ」
と、竜重は言った。
「いいって……。なつきだけじゃない。さやかにまで、映画に出ないか、って話が来てるんだよ!」
「お前はどうなんだ」
「とんでもない話だよ。まださやかは中学生だ。これからが勉強の時期だっていうのに」
「本人次第だ」
と、竜重はワインをゆっくりと飲みながら言った。「人間、勉強の場は学校の中だけとは限らん」
「だからって芸能界に——」
「要は当人と周囲の問題だ。自分のやりたいことを、ちゃんとはっきり分っていれば、そう心配することもないさ」
竜一郎は、まじまじと父親の顔を見て、
「父さん……じゃ。なつきやさやかが映画に出たりするのに賛成なの?」
「それは私の決めることじゃない。お前たち親子で話し合って、決めればいい」
「そりゃそうだけど……。父さんが反対だと言えば、なつきもきっと考えるよ」
「私が反対する筋のものじゃないさ。それに、私の意見としては、『いいじゃないか』だ」
「参ったなあ。父さんに意見してもらおうと思って、頼みに来たのに」
と、竜一郎は苦り切った顔。
「そいつは気の毒だったな」
と、竜重は笑って、「しかし、なつきさんもさやかも、お前が思っているより、よほどしっかりしているぞ。向うに振り回されないように気を付けていれば、まあ大丈夫だろう」
「だけど、ああいう世界は——」
と、竜一郎が言いかけた時、
「失礼します」
と、声がした。
女性が立っていた。見たことのない——いや、見たことはあ《ヽ》る《ヽ》。しかし、どこで会ったか、まるで竜一郎には思い出せない。
「あの、失礼ですけど、中沢竜一郎さんでいらっしゃいます?」
「は、はあ」
パッと目を見張るような華やかさのある女性だった。まるで女優みたい……。
「あなたは……」
と、竜一郎が目を丸くした。「女優の——」
「池《いけ》原《はら》洋《よう》子《こ》です」
TVやCFで年中見ている顔だ。見たことがあって当然である。
「今度、奥様やお嬢様とご一緒することになりましたの」
と、池原洋子は微《ほほ》笑《え》みながら言った。「フィルムで拝見しただけですけど、とってもすてきな奥様で」
「い、いやどうも……」
「お店の方が、教えて下さったので、ご挨《あい》拶《さつ》と思いまして。どうかよろしく」
「こ、こちらこそ」
と、竜一郎はあわてて立ち上がって頭を下げた。「なつきとさやかをよろしくお願いします」
それを見ていた竜重が笑いをかみ殺して、池原洋子の方へ、そっとウインクして見せた。