「はい、そこで片手を手すりにかけて下さい!——いいなあ! うーん、これはすばらしい!」
カメラマンは、もちろんいつもながらに調子がいいのだが、特にさやかを撮りながら、一人で興奮している様子だった。
「いやあ、セーラー服ってのは、いいなあ! 今や、本当にその格好の似合う子はいないんですよ。いや、本当にすばらしい!」
さやかの方は、もういい加減、時代もののセーラー服にはうんざりしているのだが。
それでも一応言われた通りにポーズなどとりながら、男って単純ね、などと考えていた。
藤原は、昔の女学生のころのなつきに遠くから憧《あこが》れていたことを、さやかに打ち明けたのである。
まあ可愛《かわい》いと言えば可愛いが、よくも気長に、と、どっちかといえば気の短いさやかなど、感心するより呆《あき》れてしまう。
ともかく、藤原が母に妙な下心は抱いていないことは分ってホッとした。しかし、問題は父の浮気。
藤原は、
「必ず何とかする」
と、言っていたが……。
「はい、フィルムをかえるから、待っててね」
と、カメラマンが助手に、「早くしろよ!」
と怒鳴っている。
助手ってのも大変ね、とさやかは思った。
広くて、ゆるやかな、昔のヨーロッパ映画に出て来そうな階段。その踊り場の所にさやかは、立っているのだった。
上は何だろう? 誰か住んでるのかな。
さやかは、まだ下で準備をしているので、ふと思い付いて、その階段を二階の方へと上って行った。
ここが——二階。
広い家だな。お掃除、大変じゃないかしら、なんて考えていると——。
「おい」
と、後ろから声をかけられた。
「え?」
さやかは振り返った。
十七、八歳か。ちょっとやせた、色白な少年が立っていた。
「この家の方?」
と、さやかは言った。「ちょっと撮影に借りてるの」
「二階は立ち入らないって約束だぞ」
と、その少年は、神経質な声を上げた。「一階と階段だけだ」
「あ、そうですか」
さやかは、カチンと来て、「失礼いたしました」
と、頭を下げ、さっさと階段を下りた。
「——お待たせ! 始めるよ」
と、カメラマンが手を上げる。「ゆっくり階段を下って来て!」
さやかは、チラッと上の方へ目をやった。誰かが——あの少年だろうが——見ているような気がしたのである。
庭へ出ると、その広さにびっくりしたが、暑さも厳しい。
撮影のプランが決まるまで、なつきとさやかは、木かげに座っていた。もちろん、折りたたみの椅子《いす》を、藤原が用意しているのである。
「暑い所で、すみませんね」
と、藤原が言った。
「ここ、よく使うんですか?」
と、さやかが訊《き》いた。
「ええ。ちょうどおあつらえ向きですからね。こういう背景には」
「さっき、上で男の子に会ったわ」
「ああ、そうですか。ここの息子《むすこ》ですよ」
と、藤原は肯《うなず》いて、「何だか生っちょろい感じの……」
「十七、八歳かしら」
「それぐらいでしょうね」
と、藤原は肯いた。
「ここの家の人って、何してるんですか?」
「もともと大変な資産家でね。ところが当主が早く亡くなって、未亡人はまるで仕事のことなんか分らない人で。——結局、いくつかアパートを持っててその家賃で暮らしてるんです」
「へえ」
「でも、なかなか楽じゃないようですね」
「そうでしょうね」
と、なつきが肯いて、「これだけのお家や庭を手入れするだけでも大変」
「維持費がかかりますからね。それで、ロケや撮影に貸すようになったんですよ」
「ふーん」
と、さやかは言った。
古い洋館。——見た目にはムードがあって、すてきだが、中に住む人にとっては、どうだろう。
それは、この「スター」っていうのも似たようなもんだわ、とさやかは思った。
スターになりたい子はいくらもいるが、いざそうなってみると、外の世界の方が、よほどすてきに見えたりする……。
さやかは、古い建物の方を見上げていた。すると——。
二階の窓の一つに、あの少年の顔が覗《のぞ》いていた。さやかたちの方を見ている。
さやかと目が合うと、少年はスッと姿を隠してしまった……。
「今は未亡人とその男の子だけ?」
と、なつきが言った。
「たぶん、そうでしょう。未亡人が、このところ具合悪くてね。手伝いの女性がつきっきりです」
「まあ、気の毒に」
「息子の方もね」
さやかは、藤原を見て、
「息子の方も、って、それどういうこと?」
と、訊いた。
「顔色、悪かったでしょう? 生まれつき心臓が弱いんです。とても二十歳までは生きられないと言われてるそうですよ」
「二十歳まで……」
と、さやかは呟《つぶや》いた。
あと、二年か三年の命?——そんなこと言われたら、私だったらどうするだろう?
「——お願いします」
と、カメラマンがまぶしさに顔をしかめながら言った。「お母様の方から」
「はい」
と、なつきは立ち上がった。
さやかは、あの窓を見た。また少年が、こっちを覗いている。
さやかは、手を上げて、振って見せた。少年がパッと隠れる。
が——しばらく見ていると、また少年の顔が見えた。
さやかは、手を振って見せた。今度は少年も隠れないで、じっとさやかを見ている。
そして少年が、ためらいがちに手を上げた……。
——さやかの番になって、なつきはまた木かげに戻って来る。
「ご苦労様。汗を拭《ふ》きましょう」
「いいえ。少したってからで。どうせまた出るわ」
と、なつきは首を振った。「ねえ、藤原さん」
「はあ」
「この間の人、大丈夫だったの?」
「この間の……?」
「ほら、車ではねた女の人——」
「ああ、あれですか」
藤原は少しオーバーに肯《うなず》いて、「いや、びっくりしました。でも幸い、大したことなくて。——もうすっかり片付いたんです」
「良かったわね」
「ええ、どうしようかと思いましたよ」
藤原は笑ったが……。
何だか変だわ、となつきは思った。
藤原の笑い方が、いやにわざとらしく、無理がある。嘘《うそ》をついてるんだわ、と直感的に思った。
どうなったんだろう、あの女の人は?
なつきは気になってならなかった……。