「気になるのよ」
と、なつきは言った。「ね、どうしたらいいと思う?」
そんなこと、自分の娘に訊《き》くなって。
さやかは、いささかくたびれて来た。母のお《ヽ》守《ヽ》り《ヽ》も楽じゃない!
「だったら、藤原さんに訊いてみりゃいいじゃないの」
「訊いたけど、何だか本当のこと言ってないようなのよ」
と、なつきはため息をついた。「きっと、私のことを信じてないんだわ」
こういう飛躍が、母らしいところだ、とさやかは思った。
——なつきとさやかは、居間で休んでいるところである。
古い屋敷を借りての『母娘《おやこ》坂《ざか》』のポスター用の写真撮影も、二日目。
一日で済むはずだったのが、昨日の光の具合がどうしてもうまく行かず、もう一日、ということになって、
「またセーラー服?」
と、さやかが口を尖《とが》らせたのだった。
庭にセッティングしている間、なつきとさやかは、一階の居間で待っている。藤原は庭へ出て、カメラマンとあれこれ打ち合わせていた。
その間に、なつきは、さやかにこの間の自動車事故のことを話したのである。
「もし、死んじゃってたりしたら、どうしよう」
と、なつきは思い詰めている。
「いくら何でも——」
と、さやかは言った。「考え過ぎじゃないの? じゃ、藤原さんが、死体をどこかへ捨てちゃったとでもいうわけ?」
「まさか、とは思うけど……」
と、なつきはこだわっている。
さやかとしても、母の「論理的思考力」にはあまり信頼を置いていないが、「第六感」というやつは、あなどれない、と思っている。
子供のようなところを多分に残しているだけ、なつきは真実を見抜いたり、言い当てたりすることがあるのだ。
しかし、藤原が、人をはねて……。それを、隠してしまうなんてことがあるだろうか? いくらなつきの言葉でも、さやかには信じられない。
「——どうぞ」
という声で、さやかは、ふと我に返った。
この家のお手伝いさんらしい女性が、冷たい飲物を、二人の前に出してくれた。
「ありがとうございます」
と、なつきは礼を言って、「こちらの奥様、お体の方はいかがでいらっしゃいますの?」
相手は、ちょっと面食らったようだったが、すぐに、
「ええ、先月ごろ大分お悪くて。でも、このところ、持ち直されて」
「まあ、それは結構ですわ」
なつきにしてみれば、もちろん、全く見も知らない他人だが、古い知人のように心配するのが、なつきらしいところ。
手伝いの女性も、
「よく奥様が、おっしゃっておられます。TVのコマーシャルをご覧になっていて、本当にすてきな方ねえ、と」
「まあ、大変」
と、なつきは笑った。「いつも娘にやっつけられていますのよ」
「お母さん」
と、さやかは母をつついてやった。
「今は寝こんでいらっしゃるんですか?」
と、なつきは訊いた。
「奥様ですか? いえ、一応、起きていらっしゃいます。外にはお出になれませんけれど……」
「あら、それじゃ、こうして二日もお邪魔してるんですもの、ご挨《あい》拶《さつ》をさせていただけません?」
手伝いの女性はびっくりしていたが、
「それでは——あの、ちょっとうかがって参りますわ」
と、急いで居間を出て行く。
「物好きねえ」
と、さやかは言った。「どうせ今日限りじゃないの」
「長く寝てる人にとってはね」
と、なつきは言った。「お客と会うくらい楽しいことはないのよ」
さやかは、ちょっと肩をすくめただけで、何も言わなかった。
お手伝いの女性は、すぐに戻って来て、ぜひお目にかかりたいとおっしゃってます、ということなので、早速なつきとさやかは、立ち上がって、居間を出て行った。
「——こちらです」
ドアが開くと、カーテンを引いた、ほの暗い部屋だった。
「——お邪魔します」
と、なつきは、挨拶した。「中沢なつきと申します。これは娘のさやか」
「拝見していますわ」
と、その婦人は言った。「わざわざ恐《おそ》れ入ります」
「とんでもない。——お騒がせしてしまって」
「いいえ、気も紛れますし」
さやかは、その、ソファに身を委ねている女性を、母の少し後ろに立って、眺めていた。
年齢は、なつきとそう変らないはずだが、ともかく「生気」というものが感じられない。
ソファに座っているところが、まるで一枚の絵のようで、そこから動くことができないように見えるのだ。
すると、何だか背後に人の気配がして、振り向くと、昨日会ったあの少年が立っていた……。
「申し遅れまして」
と、その女性は言った。「財《ざい》前《ぜん》令《れい》子《こ》と申します。それが息子《むすこ》の浩《ひろ》志《し》です」
さやかが会釈すると、その少年は、照れたように下を向いた。
「浩志」
と、財前令子が言った。「お嬢さんに、家の中を案内してさし上げなさい」
「うん……。でも——」
と、少年は肩《かた》をすくめて、「面白くもないじゃない」
「そんなことないわ」
と、さやかは言った。「拝見したいわ」
「じゃ……」
と、浩志は口をちょっと尖《とが》らして、歩き出す。
さやかはその後からついて行った。
「——沢《たく》山《さん》絵があるのね」
廊下を飾る絵の列を見て、さやかは、目をみはった。
「絵は詳しい?」
と、浩志が訊《き》く。
「全然」
「じゃ、良かった」
「どうして?」
「ほとんど偽物だから」
「これが?」
「金に困って、売り払ってるんだ」
「そう……」
さやかは、一つ一つの絵を見て行って、「でも、どれもすてきに見えるけど」
「死んでるよ」
と、浩志が、強い口調で言ったので、さやかはちょっとドキリとした。
「死んでる?」
「古い物ばっかり。——TVの中にしか、新しい物なんかない。君は……」
と、浩志はさやかを見て、「新しいね」
「まだ生まれて来て十五年だからね」
と、さやかは言った。「でも、あなただって——」
「今、十七だよ。でも、そう長くないんだ、僕は」
「聞いてるわ」
と、さやかは言った。「でも、私の知ってる人、お医者さんに半年の命って言われて、もう十年も生きて、世界中駆け回ってる」
浩志はさやかを見た。
「寿命なんて、分らないわよ。私だって、今日、交通事故で死ぬかもしれない」
浩志は、ちょっと笑って、
「明るいなあ、君は」
「それで女の子をほめたつもり?」
と言って、さやかは笑った……。
いくつかの部屋をグルッと見て回り、元の部屋へと戻りながら、
「少しは外へ出ないの?」
と、さやかは言った。
「陽《ひ》に当ると、すぐめまいを起こすんだ」
「ハハ、ドラキュラだ」
「本当だ」
と、浩志も笑った。「——しっ!」
「え?」
「聞いて」
浩志は、驚きで、目を開いている。「——母が、笑ってる」
なつきの声と混じって、楽しげな笑い声が廊下に響いている。
「きれいな方ね、お母様」
と、さやかは言った。「息子に比べても」
「ひどいなあ」
「さっきのお返し」
浩志は楽しげに笑った。
「——大分、お話が弾んでるようね」
と、さやかは、母に言った。
「偶然、同じお花の先生に習ったことが分ったのよ」
と、なつきは言った。「あら、あれ何かしら?」
遠くで、「なつきさん!」「さやか君!」と呼ぶ声。
「藤原さん、私たちのこと、捜してるんだ」
と、さやかが言った。
「まあ、大変」
なつきは、カーテンを引いた窓へと歩いて行くと、カーテンを大きく開けた。
部屋に光が溢《あふ》れる。
それはさやかがハッと息を止めるほど、大きな変化だった。
なつきは、窓を開けると、
「——藤原さん!」
と、大声で呼んだ。「ここよ! ここにいるの!」
「心配しましたよ!」
「ごめんなさい! 今、行くわ!」
と、なつきは手を振った。「——すみません、勝手に開けてしまって」
「いいえ」
と、財前令子は言った。「開けておいて下さい。カーテンも窓も」
「奥さん……」
「外の風、外の光が、こんなにいいものだったなんて……」
財前令子の目に、涙が光っていた……。