「やあ」
 ポンと肩を叩《たた》いたのが、さやか。叩かれたのは、財前浩志だった。
「来たのか」
 と、浩志はホッとした様子で.「そろそろ引き上げようかと思ってた」
「来てたのか」
 と、さやかは言い返した。「待ってたくせに。強がるんじゃないの」
「誰を?」
「私に会いたかったんでしょ」
 浩志は笑って、
「凄《すご》い自信だな」
「不必要にへり下らないだけ」
 さやかは、母が財前令子を知人に紹介して回っているのを見ていた。
「——お袋、楽しそうだよ」
 と、浩志は言った。
「いいじゃない。すてきよ、とても」
「うん」
 浩志は、ちょっと背筋を伸ばして、「——僕は?」
「あなたがどうしたの?」
「いや、何でもない」
 さやかは、フフ、と笑った。
「外に出ようよ」
 と、さやかは浩志の腕を取った。
「え?」
「庭があるわよ」
「でも、お袋が——」
「うちの母と一緒よ。大丈夫」
「うん……」
「それとも、お花、見てる?」
「いや。外に行こう」
「そう!」
 二人は、宴会場のわきのドアから、表に出た。
 日本庭園が、ほのかに青白い灯《ひ》に照らされて、なかなかロマンチックな雰囲気。
「——少し涼しくなったね」
 と、さやかは言った。「歩こうよ、ね」
「うん……」
「気が進まない?」
「そんなことないけど……」
 浩志は不思議そうに、「君、退屈じゃないのか」
「あのねえ」
 と、さやかは言った。「退屈するには、もっと時間がたたないと」
 浩志は笑った。——軽くて、明るい笑いだった……。
 藤原は、ホテルになつきとさやかを送り届けて、一《いつ》旦《たん》はそのまま帰ろうかと思ったのだが、どうせ食事もしなくてはならないし、と思い直し、車を駐車場へ入れた。
 マンションへ帰ると、またあの、名前も分らない娘と二人になる。——藤原は、何とも気が重かった。
 しかも、あの娘が、なかなか魅力的で、毎夜藤原のベッドへ入って来る。それを、藤原もまた拒まない、というのだから……。
 他人のせいにはできないのだが。
「——さて、何か簡単に食って行こうかな」
 藤原はロビーに出て、コーヒーハウスの方へと歩き出した。
 すると、すれ違った若いOLらしい二人連れが、
「池原洋子ね」
 と言っているのが耳に入って、おや、と思った。
「そう、今の人、きっとそうよ」
「似てたもんね」
「サングラスなんかかけちゃって、間違いないわよ」
 藤原は、少し足を速めた。——池原洋子がここに?
 エレベーターの前まで来て、藤原は足を止めた。正に、池原洋子がエレベーターに乗り込むところだったのだ。
 どうしてこのホテルに……。
 見ていると、エレベーターは七階で停った。他に客はいない様子だったし、エレベーターはそれからまた下へ下り始めたから、七階で降りたのだろう。
 男か? こんな時期に!
 しかし、池原洋子は、カメラマンが狙《ねら》っている時期だからといって、男と会うのを控えるなんて殊勝な女ではない。
 まあ、それだけスターとしても、自信があり、スキャンダルなど気にしない、と言っていられるのだろうが……。
 しかし、問題は彼女でなく、相手の方だ。
 中沢竜一郎も、ここへ来ているのだろうか?
 藤原は気になって、ロビーを見回した。もしこれから中沢竜一郎が来るとしたら、どこからだろう?
 カメラマンが狙っているのは、中沢も知っている。
 正面ロビーから入って来る度胸はあるまい。すると、宴会場入口?
 いや、自分のように、駐車場から、上って来ることも考えられる。
 もちろん、池原洋子が後から来たという可能性もあるが、もし彼女が先だったら?
 ルームナンバーは、チェックインするまで分らない。だから、彼女が先なら、部屋へ入ってから電話する。——どこへ?
 このホテルの中で、待っている所……。
「バーか」
 藤原は、一階下のバーへと、階段を駆け下りて行った。
「——ありがとうございました」
 と、声がして、バーから出て来たのは、確かに中沢竜一郎だった!
 藤原は苦笑いした。
 サングラスなんかかけて! あれじゃ、人目につくばかりだ。
 エレベーターに乗ろうとする中沢へ、藤原は声をかけようとしたが……。
「失礼いたします」
 宴会場が近いので、空のコップやグラスを山とのせたワゴンが通って、藤原は、あわててわきへよけた。
 ワゴンが通過した時には、もう中沢はエレベーターで上に行ってしまっていた……。
「しまった!」
 舌打ちして、藤原は悔しがったが……。
「そうだ」
 駐車場からのエレベーターは、客室用とは別なので、四階の結婚式場までしか行かない。
 当然、中沢は七階へ行くのだろうから、四階で降りて、他のエレベーターに乗りかえることになる。
 間に合うかもしれないぞ。
 藤原は、客室用のエレベーターへと駆け出して行った。
「——あら」
 と、さやかは言った。
「ごめん」
 と、浩志が言った。
「え?」
「いや……。悪かった」
 さやかは、少しポカンとしていたが、
「ああ。——今のこと? いいの。それでびっくりしたんじゃないの」
「あ、そう」
 浩志は、ちょっとがっくり来た様子だった。
 ほの暗い庭園の小《こ》径《みち》で、ふと立ち止まり、キスしたのだが……。
 さやかも、何となく、映画の撮影でもしているみたいで、さして実感はなかったのである。
「どうしたんだい?」
「今、あの廊下を、走ってったの、藤原さんだわ」
 ガラスばりの廊下が、庭の方からはよく見える。そこを、藤原らしい男が駆けて行ったのだ。
「確かに藤原さんよ」
「藤原って、あの——」
「マネージャーさん。どうしたのかな」
「急用だったんだろ」
「行ってみよう。ね、一緒に来てよ」
「どこへ?」
「私が知ってるわけないでしょ」
 さやかは、浩志の手を引いて駆け出した。
「おい!——僕は心臓が悪い——おい!」
 文句を言いつつ、浩志は仕方なく、さやかと一緒に駆け出していた。
 さやかは、廊下へ入ると、藤原の走って行った方へ、小走りに急いだ。
「エレベーターだわ」
 藤原が乗って、扉が閉まるのが、チラッと見えた。さやかは、息を弾ませて、
「間に合わなかった!」
「——どこへ行ったんだ?」
「見てて」
 階数表示の明りは、1、2、3……と動いて、〈7〉で停った。
「七階で停ったな」
「七階ね。——何なのかしら」
「関係ないだろ、君とは」
「でも……。気になるわ。あの走り方、ただごとじゃなかった」
「七階って客室だろ」
「どの部屋か分らないけど……。行ってみるわ、ともかく」
 さやかは、上りボタンを押した。
 浩志が、ちょっと笑った。
「何よ」
「いや——君の行動力が羨《うらや》ましくてさ」
 さやかは、浩志の腕をつかんで、
「付き合わせてやる」
 と、言った。
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