本当に、演技って、面白いもんだわ、とさやかは思った。
いざ本番、って時に刑事がやって来て、しかもエキストラには演技部長の石塚がいる。
いかに度胸のいいさやかでも、とても演技に集中できない状況であった。
刑事がなぜ来たのか。もちろん、あの身《み》許《もと》の分らない女性が殺された事件についてだろうとは思うが、誰《ヽ》の《ヽ》話《ヽ》を聞きに来たのかという点が問題である。
それに、エキストラで、何食わぬ顔をしている石塚にしたところで、さやかの「恋人候補」を宣言している。——つい、気になっても当然であろう。
刑事が飛び込んで来て、NGとなって、やり直しの本番一回目。
ここは、さやかが、幼いころ別れたきり会っていなかった父親と、再会する場面(よくある設定だ)。さやかのセリフも、かなり複雑なニュアンスが必要になる。
しかし、他のことに気を取られていたさやか、セリフを間違えはしなかったが、つい棒読みに近くなり、しかも途中、チラッと石塚の方へ目をやったりしてしまった。
こりゃNGだ。さやかは覚悟していた。
「——カット!」
監督の早坂の声が飛んだ。「録音は?」
「OKです」
と、録音技師が手を挙げる。
「OK! 良かったよ、今の。——じゃ、休憩だ」
と、早坂はニッコリ笑って、さやかに肯《うなず》いて見せた。
さやかは、すっかり面食らってしまった。
——今のでOK?
「おい、中沢」
と、石塚がやって来て、ポンと肩を叩《たた》く。
「部長。——今の、だめですよね」
「そんなことない。良かったぞ」
「本当ですか?」
「肩の力が抜けたのさ。テストの時は、ちょっと硬くなってたけどな」
「はあ。でも……」
「演技ってのは、結構そんなもんさ。当人がいいと思っても、必ずしもいいとは限らないんだ」
さやかも、一つ勉強した。
「——さやかさん」
と、藤原がやって来る。「ちょっと、いいですか」
「今行きます」
「——何で警察が?」
と、石塚が不思議そうに言った。
「左側歩いたからじゃないですか、昨日」
と、さやかは言ってやった……。
「——お忙しいところへ、すみません」
その刑事は、太《おお》田《た》といった。
ロケ現場に近い、可愛《かわい》い喫茶店。
ここは、ロケ隊の待機場所になっている。店の表には、野次馬が寄って来て、中を覗《のぞ》き込んでいた。
「ロケの予定が詰っていますので、お話は手早く」
と、藤原が言った。
さやかは、隣のテーブルにいる浩志の方へちょっと目を向けて、ウインクしてやった。
「よく分ってます」
太田という刑事は、手帳を出して、開けると、なつきとさやかを交互に眺めて、「いや感激ですな! お二人にお会いできるとは。帰って、娘に自慢してやります」
「恐《おそ》れ入ります」
と、なつきは言った。「それで、お話というのは……」
「六日前、Pホテルへおいでになりましたね」
「はい」
「実は、その七階で、若い女が殺されたんです。ご存知ですか」
なつきは肯いて、
「翌日、新聞で見ました」
「裸に近い格好で殺されていましてね。まず男関係のもつれ、とも思えるんですが」
「その方が何か……」
「身許が、今朝になって分りました」
藤原が、一瞬座り直した。
太田刑事は続けて、
「名前は、堀《ほり》口《ぐち》万《ま》里《り》。——この名前、ご存知じゃありませんか」
なつきは、首を振った。
「一向に。——さやかは?」
「私も知らない」
「そうですか。実は——」
と、言いかけた太田を、
「あの——」
と、藤原が遮った。「今の名前、もう一度聞かせて下さい」
「堀口万里。——ご存知ですか?」
妙な話だった。あの女を知っていた、ということを、何より藤原は否定したいはずなのに……。
「どこかで……。堀口万里……。もしかして、その子は——」
「思い出しましたか」
と、太田は肯いて、「あなたはご存知だと思っていました」
なつきとさやかは、素早く目を見交わした。どういうことなんだろう?
「うちのプロダクションが、オーディションをやった時、受けに来た娘です」
と、藤原は言った。
「まあ」
なつきが目を丸くした。
「そうなんです。それで、何かご存知じゃないかと思って、こうして伺《うかが》ったんですよ」
と、太田は言った。
「いや……」
藤原も、下手《へた》にしゃべり過ぎると、ボロが出る、と思ったのだろう、急に口が重くなった。
「別に何も……。堀口万里は、準優勝だったんです」
「なるほど」
「しかし、当人が何だか気が進まなかったのか、やめてしまいましてね。結局、芸能活動らしいものは、何一つしなかったんです」
「そのオーディションは、大分前ですね?」
「ええ。確か……そう、四年前じゃないですかね」
「その後、堀口万里と会ったことは?」
「いや、全然ありません」
と、藤原は首を振った。
「そうですか。——いや、当て外れだったな、それは」
と、太田が肩をすくめる。
「私たちが何か知っている、と、どうして思われたんですの?」
と、なつきが訊《き》く。
「いや、ホテルで聞き込みをしている時に、あなた方が、六日前あそこのホテルにいらしたことが分りましてね。私も——まあ何といいますか、お二人のファンでして」
と、太田は、ちょっと照れくさそうに言った。
「それで、今朝になって、被害者の身許が分りました。家族は九州でしてね。友だちの女性と暮していたらしいんですが、その友だちの話で、大分前から、帰っていなかったことが分ったんです」
その間は、藤原の所にいたわけである。
「その友だちから聞いたんです。彼女はオーディションを受けたことがあること。そのプロダクションの名を聞くと、お二人と同じ所だ。それで、もしかすると、彼女が今度の映画の仕事にでも何か係《かかわ》ってたのかな、と思ったんです」
「そうでしたの」
と、なつきは肯いた。「でも、残念ながら、その方と私たちが六日前Pホテルにいたのは、偶然だと思いますわ」
「そうですな。よく分りました。じゃ、すっかりお手間を取らせました」
太田刑事は、そう言って立ち上がると、「では、これで——」
と、頭を下げてから、
「あの……サインをいただけますか?」
と、おずおずと言った……。
——太田が出て行って、助監督の一人が、
「このまま、お昼にするそうです」
と、伝えに来た。「少しまた曇って来たんで」
「分りました」
と、なつきは言って、「ここで何か食べましょうか」
「そうね。お弁当もおいしくないし」
と、さやかは言った。「だけど、あの女の人の身許、やっと分ったわけね。藤原さん、隠してたの?」
「とんでもない」
と、藤原は首を振って、「本当ですよ! 全然気が付かなかった。四年前ですよ、何しろ。別人ですからね、ほとんど」
「それはそうよ」
と、なつきも納得した様子。「分らなくて当然だわ」
「なつきさん……」
藤原は感激している様子。
「でも、その堀口万里が、どうしてあの部屋で殺されてたのか」
「しっ、さやか。聞こえるわよ、他の人に」
「大丈夫よ。ね、六日前のことは偶然だとしても、その人を、藤原さんが車ではねた、っていうのは? それこそ偶然というには、無理があるんじゃない?」
「なるほど……」
藤原は考え込んだ。「しかし——偶然でな《ヽ》い《ヽ》としたら……。彼女がわざとはねられたとでも?」
「よく分らないけど」
と、なつきは言った。「ともかく、何《ヽ》か《ヽ》あることは、確かみたいね。——ね、さやか何を食べる?」
店の前の人垣は、ますますふえ続けていた。