一人で出歩くって、久しぶりだわ。
なつきはそう思った。——暑い日だが、その強い日《ひ》射《ざ》しも、大して気にならない。
一人での外出が楽しいなんて、何だか子供みたい。なつきは、思わず一人で笑ってしまった。
しかし、確かにそうかもしれない。
いつもいつも、藤原が付き添ってくれて、たいていのことなら、藤原がやってくれる。なつきは、車に乗れば眠ってしまえばいいし、家へ帰っても、撮影が始まってからは、料理など、するひまもない。
夫の中沢竜一郎も、このところ忙しくて、あまり食事の時間に帰って来ることはないようだ。なつきも、少し気が楽だった。
しかし今日は——撮休、といって、撮影が休みの日。
藤原の方でも、少し休ませようと気をつかってか、今日はTVの仕事も何も入っていない。完全なオフ、というわけだ。
なつきは、買物に出て来た。
近くのスーパー、というわけには、なかなかいかない。やはり、近くでは顔も知られているし、買物しづらい。
電車に乗って、都心の方の、高級品を置いてあるので知られたスーパーへとやって来たのである。
車で買物に来る人も多く、大きな駐車場を持っている。——大量に買い込んで帰る客も多いのだ。
もちろん、品物はいい代り、値段も高い。まあ、ちょっと買うと、すぐ一万円札が飛んで行く、という感じ。
しかし、やはり、お肉にしても魚にしても、高いだけのことはある。——今夜は夫も帰りが早い。
なつきの休みと、夫が早く帰る日が、うまく重なることはめったにないので、わざわざここまで出て来て、高いお肉でも買おう、というわけである。
近くのスーパーとは違って、ともかく中が空いている。静かで、なつきのように、のんびり買物をする人間には、ありがたかった。
空いていても、一人一人の客が、かなり大量に買い込むので、充分に採算はとれるのだろう……。
「一番高いのね」
と、言う女の声がした。「そう。——それを五百グラム」
牛肉の売場。——一番高い肉となると、いくらなつきでも、初めから買おうとも思わない値段である。
どこの奥様かしら? なつきが、ついチラッと目をやったのも、当然だろう。
「——いいわ、多めでも」
「いつもありがとうございます」
と、店員が言っているところを見ると、お得意さんなのだろう。
「やっぱりね、一度、これを食べちゃうと、安いのはだめね」
などと言っている、その奥さん……。
あら? なつきは、少し離れた所から、その女の顔を覗《のぞ》き込んだ。——でも、ま《ヽ》さ《ヽ》か《ヽ》、あの人……。
「どうも」
と、その女は、買物用のカゴを手に、歩き出した。
棚の物に気を取られて、なつきのことには全く気付かない。
やっぱり!——文代だ。
北原文代。
なつきが、いつかTV局の食堂で会った、中学時代からの親友だ。
しかし、今は女の子を一人かかえて、苦しい暮しをしていて……。藤原に頼んで、仕事を紹介してもらったはずだ。
その後、どうなったのか、なつきは聞いていないが、いずれにしても、こんな店で買物をするような余裕はないはずだと思えた。
しかし、今の北原文代は……。昔、なつきが知っていたころのように、いいスーツを着て、大《たい》家《け》の奥様然としている。
そして、棚から、ろくに値段など見ずにカゴへ品物を放り込んでいる。
どうなってるの?
なつきは、意外な光景に、戸惑うばかりだったが……。
一方、さやかの方も一人で外出していた。
といっても、こちらはず《ヽ》っ《ヽ》と《ヽ》一人じゃなくて、待ち合わせの場所へと急いでいるところだった。
待ち合わせた相手は、浩志ではない。浩志の方は毎日会っているわけで、今日は、浜田宏美と会うことになっている。
「——オス!」
待ち合わせたアクセサリーショップへ入ると、宏美の方から、さやかを見付けて、やって来る。
「ごめん、遅れて」
「たった五分よ」
と、宏美が言った。「さやか、急に時間にうるさくなったの?」
「つい、撮影のこと考えちゃうからね。——ね、何か食べよ」
「うん!」
なぜか、会うとすぐに食べる話になってしまう。
「私に任せて」
と、宏美が胸を張った。「おいしいケーキの店、見付けた」
「支払いも?」
「それは別」
てなわけで、二人は、そのやたら混んだケーキ屋に、何とか潜り込んだ。
「——どう、クラブの方?」
と、ケーキを食べながら、さやかは訊《き》いた。
「部長がエキストラで出たでしょ。あれで、すっかり川野先輩、頭に来ちゃって」
「へえ」
「それに、高林先輩もここんとこ、全然出て来ない」
「本当?」
高林和也のことは、結局、さやかが振ってしまったようなものだ。
「登校拒否じゃない?」
と、宏美は言った。
「そこまで責任持てない」
「そりゃそうね」
——二人でケーキを食べ終ると、
「あ! 中沢さやか!」
と、どこかの女の子が大声で叫んだ。
「えーっ!」
「本当だ!」
「動いてる!」
と、大騒ぎ。
「出よう」
さやかは、あわてて席を立った……。
——何とか逃げ出して(もちろん、支払いはしたが)、さやかは息をついた。
「この暑いのに、走らせるな、って」
「どこへ行く?」
さやかは、ちょっと迷ったが、
「学校へ行こうかな」
「ええ? どうして?」
「ちょっと気になって」
今日も、主な部員は、学校へ出て、練習しているはずである。
「部長に会いたいの?」
「よしてよ」
と、さやかは宏美をにらんだ。
——まあ物好きな、と思わないでもないが、さやかは、浩志と付き合いだしてから、却《かえ》って、高林のことが気になっているのだ。
もちろん、高林がどうっていうわけじゃないのだが、ただ勝手にしろ、ですませておくのは、可哀《かわい》そう、という気になっていた。
宏美と二人、学校へ行って、演劇部の部屋へと足を向ける。
が、部室は空《から》だった。
「——きっと講堂ね」
と、さやかは言った。
「行ってみる?」
「うん」
汗を拭《ふ》きながら、二人が歩き出した時だった。
「あら。高林先輩だ」
と、宏美が言った。
「どうしたんだろ?」
高林が、真っ赤な顔をして、あわてふためいて廊下を走って来たのである。