何してんのかしら、私?
なつきは、我ながら、呆《あき》れていた。
いくら、撮休の日は暇だといっても……。
いや、別に、なつきは、ただ暇だから、人の後を尾《つ》けていたわけではない。
もちろん、なつきは私立探偵でも何でもないのだし……。
ただ、なつきは心配だったのである。
あの北原文代がなぜ……。どうして、突然、そんな金持になってしまったのだろうか?
気になり出すと、放っておくわけにもいかなくて、なつきはスーパーを出る文代の後をついて行った。
文代が、待たせてあったハイヤーに乗って走り去った。
そこで、やめておこうかと思ったのだが、気持とは別に、なつきは手をあげてタクシーをとめていた。
急いで乗り込むと、
「あの車を尾けて」
と、頼んでいたのだった……。
ハイヤーが停《とま》ったのは、割合、小さなマンションの前だった。
なつきもタクシーをその少し手前でおりると、文代の入って行った、そのマンションの入口まで行ってみた。
郵便受が並んでいる。名札を見たが、〈北原〉という名はなかった。それとも、何も名札のない所がそうなのか。
いずれにしても、もう帰るしか仕方なかった。文代に会ったとしても、何を話していいものか、分らないのだから。
なつきが、そのマンションを出ようとした時、
「——なつきじゃないの」
と、声がした。
振り向くと、文代が立っている。
「文代……」
「何してるの、こんな所で?」
文代は、郵便物を取りに来たらしい。なつきとしては、困ってしまったが、うまい言いわけなど、とっさに思い付くわけもなくて、
「実は、あなたを尾《つ》けて来たの」
と、正直に言った。
「——そうなの」
と、文代は、別に怒った様子もなく、「分ったわ。ともかく、ここまで来たんだもの。上ってよ」
なつきは、迷ったが、断わるわけにもいかなかった。
「待ってね」
文代は、名札のない郵便受から、中の物を出すと、「——DMばっかりね。どうぞ」
「ええ」
「二階だから、階段で」
二階の文代の部屋へ上ってみると、広さはあまりないが、なかなか洒落《しやれ》た内装だ。
「かけて。——コーヒーでも?」
「それじゃ……」
文代はコーヒーをいれながら、
「なつきらしいわね」
と、言った。「私のこと、そこまで心配して」
「ねえ、文代……」
「そうよ」
と、文代は言った。「分るでしょ? あなたの思ってる通り。ある人の愛人になってるの」
なつきは、何とも言えなかった。
「——どうぞ」
と、コーヒーを出して、文代もソファに腰をおろす。「まだ二、三週間よ。いつまで続くかね。今のところは、結構うまく行ってる」
「でも——娘さんは?」
「承知よ。もう小さな子供じゃないし」
と、文代は肩をすくめて、「そりゃ、色々思ってるでしょうけど、これが一番楽な方法だってことも、分ってるはず」
なつきは、コーヒーをゆっくりと飲んで、
「ねえ、文代。相手の男の人、どんな人なの?」
と、訊いた。
「TV局で会った人なの」
「TV局で……」
なつきは、ドキッとした。——藤原に頼んで、文代の仕事を探してもらったのは、なつきだ。もし、それがきっかけで……。
「あなたの考えてること、分ってるわ」
と、文代は言った。「確かに、紹介してもらった所で、会った人なのよ」
「そう…‥」
「でもね、なつき。あなたが責任感じることなんてないわ」
「でも——」
「私は大人よ。向うもね。大人同士、自分のしていることは分ってるわ」
と、文代は言って、部屋の中を見回した。
「こんな生活、もう二度とできないと思ってた。それがまた手に入ったんだもの。なつきのことは、ありがたいとさえ思ってる」
「そんなの変よ」
「変じゃないわ。——お金だって大切なものよ。そうじゃない? なくなってみなきゃ、分らないわ」
文代の言い方には、実感がこもっていた。
「——私が口を出すことじゃないのね」
と、なつきは言った。「じゃ、もう失礼するわ」
「そう?」
なつきが立ち上りかけると、玄関のドアの開く音がして、
「ただいま」
と、声がした。
「娘だわ。——お帰り」
中学生らしい女の子が、入って来た。
「こんにちは」
と、なつきが言うと、女の子は目を丸くして、
「嘘! 中沢なつき?」
「何よ、その言い方」
と、文代が苦笑い。「分ったでしょ、お友だちだって」
「本当だったんだ! 凄《すご》い!」
と、少女は感激した様子で、なつきの手を握った……。
——なつきは、マンションを出て、足を止め、複雑な思いで、振り返った。
確かに、あの女の子も、母が「愛人」という立場にあることを知っているのだろうが、そのことを、そう深刻に受け止めてもいないようだ。
玄関の所で、なつきが出ると、すぐ女の子が、文代に、
「今夜は、あ《ヽ》の《ヽ》人《ヽ》、来るの?」
と訊いているのが聞こえて来た。
あの人、というのは、そのTV局で会ったという男のことだろう。——なつきは、自分がどうすることもできないと分っていながらも、重苦しい思いで歩き出したのだった……。
「——ここにもいないね」
と、宏美が言った。
「どこへ行っちゃったんだろ?」
「二人で心中したとか?」
「宏美! いやなこと言わないでよ」
と、さやかは顔をしかめた。
学校中を、二人で捜し回っていたのだ。もちろん、川野雅子のことを、捜していたのである。
「高林さんもいないしね」
と、宏美が言った。
「どこにいるんだろ?」
さやかも、いい加減歩き回って、汗をかいていた。
「——もう諦《あきら》めて帰ろう」
宏美の提案に、さやかも同意しかけていた……。
すると、
「そうじゃないよ」
と、聞いたことのある声が、二人の耳に届いた。
二人は顔を見合わせた。——確かに、今のは高林の声だ。
二人は足音を忍ばせて、声のした方へと近付いて行った。
階段の下の小部屋。物置になっている所である。
「あんな所に——」
「しっ」
と、さやかは宏美を抑えて、「静かにして」
——少し間があって、
「本当のこと、言ったら?」
と、川野雅子の声がした。「石塚さんに言われて、仕方なしに、私のこと、捜しに来たんでしょ」
「そうじゃないってば。心配だったんだよ」
「あらあら。——可愛いさやかちゃんが嘆くわよ」
「僕は振られたんだ。ねえ、僕も確かに、あの子に夢中だったし、今でもまだ諦め切れない」
「でしょうね」
「でも、君のことも、本当にすばらしい人だと思ってるんだ」
「よしてよ」
「本当だってば!——君の、芝居にかける熱意は、凄いよ。尊敬してる」
間が空いてから、
「ありがとう」
と、川野雅子が言った。
打って変って、優しい口調だった。