「じゃ、あの子が?」
と、言ったのは、財前浩志だった。
「うん……」
さやかは、やや複雑な面持ちで、「でも、凄《すご》く明るくて、いい子なの。負けるわ」
——なぜここに浩志が出て来るのか、というと……。要するに、浩志も母親と二人で、このホテルに来ているからなのである。
病気ばかりしていて、外へ出ようとしなかった財前令子が、何かにつけて、なつきが外へ引っ張り出すので、ずいぶん元気になってしまって、浩志ともども、ついにこのロケ先にまでついて来てしまったのだ。
もちろん、テニスやゴルフはやらないが、昼間、少し日かげを散歩したり、涼しい風に当ったり、温泉につかったりしている。ここは本物の温泉が出るので、なつき、さやかも一日、三回も四回も入っていた。
浩志とさやかの仲も進展——は別にしなかった……。
まあ、何といっても二人ともまだ若《ヽ》い《ヽ》。
若い、と言えば、北原浩子は、さやかより若い中学一年生。
「〈浩〉の字が共通だし」
と、さやかは言った。「妹みたいでしょ」
「妹ねえ……」
——夜である。
ロビーが、ちょっとしたディスコみたいになって、音楽に合わせて、若者たちが踊っている。
さやかも、浩志をここへ引っ張って来た。
そしたら、浩子が他の客に混じって踊っていたのである……。
「妹のように、かまってあげなさい」
と、さやかは言った。「ただし、恋人のように、はだめよ」
「何言ってんだ」
と、浩志は笑って、「こんなおっかないのは一人で沢山」
「言ったな!」
さやかは浩志の腕をつかんで、「踊ろ!」
「心臓が悪いんだぜ」
「どの心臓が? この辺の?」
と、さやかは、浩志の頭をつついた。
浩志も笑って——結局、軽く体を揺するようにして、踊り出した。
「——さやかさん!」
と、浩子が気付いて、やって来る。「こ《ヽ》れ《ヽ》が例の?」
「財前浩志君。——見た目は悪くないでしょ?」
浩子は、踊ったせいか、赤い顔で息を弾ませつつ、浩志を見て、
「——うん、合格!」
と、肯《うなず》いた。「何か冷たいもの、おごってくれる?」
度胸のいいところは、さやかに似ているかもしれない。
三人は、バーのカウンターへ行って、コーラを頼んだ。
「楽しい、凄《すご》く」
と、浩子は言った。
「そう?」
「さやかさんには迷惑じゃないですか」
「そんなことないわ。私の年代の子、一人もいないから、退屈してたの。——うちの母を除いてね」
浩子が噴き出した。
「あ、あなたのお母さんよ」
と、さやかは、北原文代が舟橋とバーへやって来るのを見て言った。
「このホテルにいる間は、他人のつもりです」
と、浩子は言った。「変でしょ? 恥ずかしがらなきゃね、私。ママがあんなことをしてるんだから」
浩子は、目を伏せた。——さやかと浩志は、ちょっと目を見交わした。
三人、一緒にグラスを手にゆっくりと歩き出すと、浩子が言った。
「でも……ママだって、私がいなかったら、あんなことしなかったかもしれないし……。ママのこと、悪く言っても仕方ないと思うから」
「そうさ。人間、他人の生き方に点数なんかつけられないよ」
と、浩志は言った。「肝心なのは、生きてる、ってことさ」
「ありがとう」
浩子が、浩志のことを、目をうるませて見ている。——さやかは、少々面白くなかった。
そして、ふと……。
薄暗いロビーを、色とりどりの照明がめぐる、その中に——。
「ちょっと、このグラス、持って」
と、浩志へ預けて、「この子、お願いね」
「おい……」
さやかは、人の間をかき分けて、廊下を急いで歩いて行った。——今のは確か……。
「ワッ!」
角を曲ったとたん、目の前に「背中」があって、さやかは追突してしまった。
「いや、失礼!——おや」
と、その男は振り向いて、「さやかさんですね」
「やっぱり! そうじゃないかと思った」
太田刑事である。
「見付かりましたか」
と、そう困った様子でもなく、頭をかいている。
「いつから、このホテルに?」
「今日の夕方です」
「あの事件のことで、いらしたんですか」
「そんなとこです」
太田は、ちょっと周囲を見回して、「ここじゃ、どうも……。後でゆっくり話しましょう」
「でも、他の人には——」
「内密に。絶対ですよ」
「ええ……」
「あなたはしっかりした娘さんだ。訊《き》きたいことがあるんです。——どこか、人目のない場所はありますか」
太田の目は真剣だった。
「庭なら……。夜、もっと遅くなると、アベックがいますけど」
「じゃ、三十分後に?——どこか目印になるもののある所がいいですね」
「それなら……。庭の向う側に、小さな池がありますから。その前で」
「了解。では、後で」
太田は、さやかに敬礼して見せると、ニヤッと笑って、行ってしまった。
——刑事が、何をしに来たんだろう?
さやかは、自分では理由はよく分らなかったが、不安だった。
太田に会ったから、というだけではない。
今日、母と藤原と三人で話したことが、さやかの心に引っかかっていたのである。
ただ、具体的にどの点が、となると、よく分らない。何となく……。何となく、気になるのだ。
太田がここへやって来たというのも、その「不安」が当っているからではないのか。
さやかは、ロビーの方へ戻って行った。
——打って変って、スローバラードがロビーに流れている。
「——呆《あき》れた」
と、さやかは呟《つぶや》いた。
浩志と浩子が、熱いカップルよろしく、少し無器用に踊っている。
フン、恋人同士にゃ見えないわよ、とさやかは、むくれながら思ったのだった。