ゆかりは、オフの日にはいつまでも寝ている。
 人間、寝だめはできないということになっているようだが、ゆかりは別である。
「ゆかりさん」
 と揺さぶられて、目を開けると、マネージャーの大宮が立っている。
「何よ、レディのベッドのそばに。私を襲う気?」
 と、少しろれつの回らない口調で言った。
「もう午後の三時ですよ」
 と、大宮は言った。「それに何回電話しても、チャイムを鳴らしても、返事がないんで、入って来たんです」
「本当? おかしいなあ……」
 起き上がって、ゆかりは長い欠伸をした。
「起きた方がいいですよ。寝すぎても、却って頭がボーッとしちゃいます」
 大宮は、ゆかりがおへそまでまくれ上がったネグリジェ姿でベッドから出て来ると、あわてて目をそらし、
「居間で待っています」
 と、出て行ってしまった。
 大宮をからかって、少し目の覚めたゆかりは、ゆうべの楽しいひとときを、思い出していた。
 邦子、浩志、克子……。私には、かけがえのない友だちが三人もいる!
「さて、シャワーか」
 バスルームへ入り、シャワーを浴びると、大分目が覚めて来た。
 同時に、お腹の方も目が覚めたとみえて、グーッと空腹を訴え始めたのである。
 バスローブ姿で居間へ入って行くと、
「——お腹空いた。ねえ、大宮さん、何か買って来てよ、近くで」
「夕ご飯、ご招待受けてますよ」
「そうだっけ。誰?」
「K物産の尾上社長です。ほら、コンサートのとき、スポンサーになってくれた」
「あのじいさんか」
 と、ゆかりはため息をついた。「もうちょっと若くて二枚目のスポンサー、いないの?」
「無茶言わないで。高いもの食べさせてくれますよ」
「あのじいさんとじゃ、栄養になんないわ」
 と、ゆかりはソファに腰をおろすと、「ともかく、今何か食べないと、死んじゃう」
「はいはい」
 大宮は立ち上がって、「ハンバーガー?」
「チーズバーガーよ。〈M〉の店のね。よそのはだめ」
「分かってますよ」
 大宮が急いで出て行く。ゆかりがTVを点けて、ぼんやり見ていると、電話が鳴り出した。
「はい」
 ゆかりは、面倒くさそうな声を出した。
「やっと起きたのか」
 受話器から聞こえて来たのは、社長の西脇の声だった。
「おはようございます」
 と、ゆかりは頭まで下げて言った。
「もうすぐ夕方だぞ」
 と、西脇が笑って言った。「大宮は行ったか」
「今、ハンバーガー、買いに行ってる。夜の食事のこと?」
「それもある」
 と、西脇は少し含みのある言い方をした。「きちんとした格好で来いよ」
「フランス料理? いやだなあ、固苦しいのは」
「仕事の内だ、それも」
「今日はオフですよ」
 と、ゆかりは言ってやったが、もちろん、いざとなればちゃんと自分の「役割」はやってのけるのだ。
 西脇も、その辺は分かっている。——スターは多かれ少なかれわがままなものだ。しかし、「仕事」さえきちんとこなしてくれれば、わがままも決してマイナスにはならない。
「夕食には俺も出るからな」
 と、西脇が言った。
「良かった! おじさん相手じゃ、何話していいか分かんないもん」
「適当にニコニコしてりゃいいんだ、いいな」
「はあい」
「七時からの約束だが——それまで、何か予定、あるのか」
「昼寝」
「おいおい……。もし、何もないんだったら、この前のドラマが試写をやるそうだ。見るか?」
「この前の……。邦子の出たやつ?」
「ああ、そうだ」
 と、西脇は言った。
「うん! 見に行く。どこ?」
「大宮が知ってる。じゃ、局で会おう」
「邦子、来るかなあ」
「——どうかな」
 西脇は、何となく素っ気ない調子で言うと、「じゃ、後で」
「はい。バイバイ」
 ゆかりは、電話を切ると、口笛など吹きながら、早速寝室へ戻り、服を引っ張り出した。
 ——大宮がハンバーガーの包みをかかえて戻って来ると、ゆかりはもう出かける仕度をしている。
「あれ? どうしたんですか」
「局で試写なんでしょ」
「あ、社長から電話があったんですね。これ食べてからでも、充分間に合いますよ」
「もちろん、食べて行くわよ!」
 ゆかりは勢いよくチーズバーガーにかみついた。
 邦子の姿は、見えなかった。
 ゆかりは並べられた椅子に腰をおろして、少しがっかりしていた。——邦子も今日はオフのはずだ。きっと、自分の出た場面を見に来ると思っていたのである。
 でも、邦子もくたびれてるんだろうし……。
 試写といっても、今のドラマはビデオ収録だから、少し大きめのTVで見るだけ。映画の試写とは大分違う。
「おはようございます」
「どうも」
 と、あちこちで声が交わされる。
 演出家や、カメラマンや、スタッフが何人か。役者は、ゆかりの他には、わきの二、三人しか来ていない。
「もう少し待って下さい」
 と、局の男性が前に出て、言った。「神崎さんがみえるはずですから」
 神崎弥江子か。——ゆかりなどから見れば、もちろん大先輩だが、一番活躍していた時期を、ゆかりは知らない。
 だから、周囲がピリピリ神経をつかって接しているのを見ても、何となくピンと来ないのである。もちろん、ゆかりとしても、敬意は払っている。でも、あれこれ話をする気にはなれなかった。
「——おはよう」
 ドアが開いて、神崎弥江子が入って来る。
 私が「主役」よ。いかにも、そう言いたげな風情である。
「——じゃ、早速始めます」
 と、声がして、ビデオが回り始める。
「何だか気分出ないわね。暗くもならないし……」
 と、神崎弥江子が、ゆかりのすぐ後ろの椅子に腰をおろして言った。
 TVの画面に、ゆかりのアップが出る。
 自然な笑顔だ。——邦子みたいに、演技で笑って、色んなニュアンスを使い分けるという芸当は、ゆかりにはできない。
 しかし、ゆかりのファンにとっては、そんなことは問題じゃないのだ。ゆかりが可愛く見えれば、それでいいのである。
「——ねえ、ちょっと結末がわざとらしくなかった?」
 と、神崎弥江子が大きな声で言った。
 シナリオライターも同席しているが、そんなこと、お構いなしである。
 ゆかりは気にしないで、TVの画面に見入った。タイトルが出て、テーマ音楽が聞こえて来た……。
 ——おかしい、とゆかりは思った。
 邦子の名が、タイトルに出ない。冒頭には、メインのキャストだけが出るのだが、いくら出番が少ないといっても、邦子は、あれだけの芝居をしているのだ。
 それなのに……。
 邦子がこれを見たら、どう思うだろう。ゆかりは、気が重くなって来た。
 二時間ドラマといっても、正味は百分程度。つまり一時間四十分くらいのものである。
 ドラマが終わって、エンドタイトルが出るのを、ゆかりは信じられない思いで見ていた。
「——結構いいじゃない」
 と、後ろで神崎弥江子が言った。「ね、後味悪くないし。テンポがいい」
「お疲れさまでした」
 局の男性が出て来て、TVのスイッチを切る。
 ゆかりは、じっとそれでもTVの画面を見つめていた。
 ——邦子の出たシーンが、なくなっていた。一つもない。
 ゆかりの顔から血の気がひいている。——ゆうべ、邦子が、このドラマのプロデューサーから呼ばれていたことを、思い出した。あれは、「この話」だったのか。
 でも——なぜ?
「じゃあ、また」
 神崎弥江子が、大げさに手を振って出て行く。
 西脇が、隣の椅子に腰をおろした。
「——どうして?」
 と、ゆかりは訊いた。「私が……頼んで出てもらったのに……」
「分かってる」
 西脇は肯いた。
 ゆかりが振り向くと、ディレクターやシナリオライターは、さっさと出て行ってしまっていた。
「邦子……あんなすばらしい演技をしたのに。どうしてカットしたの?」
 西脇は、ちょっとため息をつくと、
「すばらし過ぎたのさ」
 と、言った。「大女優のカンに触った、ってわけだ」
 ゆかりにも、やっと分かった。
「神崎さんが——?」
「ああ。もちろん、本人が直接動いたわけじゃないが、みんな分かってる。自分の影が薄くなるのをいやがったんだ」
「だけど——」
「お前の気持ちは分かるけどな。何といっても、神崎弥江子は大女優だ」
「だったら、何をしてもいいの?」
 ゆかりは声を震わせた。「汚いわ! 卑怯じゃないの!」
「おい、ゆかり——」
「邦子の出番を戻して! 私のシーンなんか、いくらカットされたっていい! 絶対に、邦子の出たシーンを、元の通りに戻して!」
 ゆかりは立ち上がった。怒りで体が震えている。
「ちゃんと邦子を出してくれないんだったら、私、やめてやる!」
「ゆかり、落ちつけ」
 と、西脇がなだめても、ゆかりの怒りは到底、おさまらない。
「私、本気よ! 友だちを裏切るくらいだったら、やめた方がまし!」
「こういうことは、珍しくないんだ。神崎弥江子だって、その内人気が落ちて来る。そうなりゃ——」
「そんなこと言ってるんじゃない!」
 甲高く、叫ぶようにゆかりは言った。「私が頼んだのよ。わざわざ邦子に出てくれって。それをカットされて……。邦子がどんな気持ちでいるか……」
 ゆかりの目から大粒の涙がはらはらと落ちた。拭いもせずに、
「できるはずだわ。邦子の出たシーン、戻して!」
「ゆかり——」
「でなきゃ、私、この局の仕事、一切引き受けない。本気よ」
 涙で真っ赤にした目で、ゆかりは西脇を真っ直ぐに見据えた。
「そんなことをしたら——」
「干される? 構わない。田舎に戻って、OLでもやるわ。友だちを裏切って平気でいられるような、そんな女になるのなんて、いや!」
 西脇も、ゆかりの怒りの凄まじさに、圧倒されているようだった。
 そばで聞いていた大宮が、
「社長」
 とやって来た。「プロデューサーに、頼んでみますか」
「今さら無理だ」
 と、西脇は首を振った。「そんなことをして、神崎弥江子がどう出て来るか……」
「私、怖くなんかない」
 ゆかりは、固く握りしめた拳を震わせた。
 西脇は、椅子に腰をおろすと、困り果てた様子で、
「お前が怒るのは当然だ。そんなお前のことが、俺は好きだ。しかしな、こんなことでお前のこれからを——」
 部屋の中が静かになった。
 誰かが、入り口の所に立っていた。
「監督……」
 三神憲二が、腕組みをして、入り口のわきにもたれて立っていたのである。
「今日、試写があると聞いてね」
 と、三神は言った。「局の人間に言っといたんだ、知らせてくれと」
「ゆかり——ご挨拶しなさい」
 と、西脇はあわてて言った。
 ゆかりが急いで涙を拭う。三神憲二は、部屋へ入って来ると、
「いや、君の挨拶は、今、ここで聞いていたよ」
 と、言った。「すてきな挨拶だった」
 ゆかりは、三神憲二が何を言い出すのか、緊張して立っていた。
「今のビデオは、あっちの操作室の方で見ていたよ」
 と、三神が言った。「いや、どうして原口邦子が出て来ないのかな、と思って首をかしげていたんだ。——今の君の話で、よく分かった」
「取り乱して……すみません」
「いや、この世界で、めったに見られないものを、見せてもらったよ」
 三神は、ゆかりの肩に手を置いた。力強い大きな手だった。
「正直に言わせてもらえば、ドラマの中の君より、今の君の方が、ずっと美しかった」
 ゆかりは少し照れた。
「この一件に関しては、僕に任せてくれ」
 と、三神が言った。「原口邦子の出番を戻したとしても、当然、神崎弥江子は邦子を恨むだろう。今度の映画は、邦子の大切なステップだ。邦子に、余計な精神的負担をかけることは避けたい」
「はい……」
「心配するな。映画では、邦子は神崎弥江子を圧倒するよ。約束してもいい」
 と、三神は微笑んで、ゆかりの肩を軽く叩くと、
「僕の映画は、決して誰にも切らせない」
 と、言った。
「それでいいね?」
 ゆかりは肯いて、
「はい」
 と頭を下げ、「すみませんでした」
「ただ、このプロデューサーは、僕もよく知ってる。一言、おどかしといてやるさ」
「お願いします!」
 と、ゆかりが力強く言ったので、三神は愉快そうに笑った。
「監督、どうもわざわざ……」
 と、西脇が汗を拭いている。
「いい子を持ってるね。大切にしなさい」
 と、三神は言って、「一度、僕の映画に出るか」
「はい」
「おい、気楽に返事するなよ」
 と、西脇は苦笑して、「三神監督の映画に出していただくのは、大変だぞ」
「〈通行人 A〉でもいいです」
 ゆかりの言葉に、三神はもう一度笑うと、
「じゃあ……。いずれにしても、原口邦子の出たシーンは、ビデオが残っているだろう。見せてもらうよ」
 と言って、フラッと部屋を出て行った……。
 ゆかりは、ぼんやりと見送っていたが、
「おい、満足か?」
 と、西脇に言われて、
「うん」
 と、明るく肯いたのだった。
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