パーティーは、夜遅くまで続いた。
食べる物や飲み物も、途切れることなく出て、取材に来ているレポーターやカメラマンも、すっかり仕事は忘れてしまっている。
「もう、部屋へ戻っても」
と、大宮が浩志とゆかりの所へやって来て、言った。
「助かった!」
と、浩志は息をついた。「もう、さっきから頭が痛くて」
「そう言えばいいのに」
少し酔って、目の周りをほんのり赤くしたゆかりが言った。「いつでも部屋へ帰ったわよ」
「しかし、誰《だれ》も帰らないじゃないか。何となく言い出しにくくてね」
確かに、もうずいぶん遅い時間なのに、パーティー会場の混雑は、一向に変わらない。
「みんな、解放感にひたってる、ってとこですかね」
と、大宮が言った。「知ってる顔は沢山いるけど、少なくとも、ここは日本じゃない。それだけでも、ずいぶん気分的に違うみたいですよ」
「なるほどね。そんなもんなのかな」
「この一夜だけのカップル、なんてのもできるんです。——みんな見て見ぬふり」
と、大宮は言って、「ひょっとすると、僕も美人スターに言い寄られるかもしれませんよ」
「そりゃそうよ。大宮さんってすてきだもん。ね、浩志?」
「ああ、同感だ」
「お二人でからかってて下さい」
と、大宮は少しむくれて見せた。「どうせもてやしないんだから」
「あら、本気で言ってんのよ」
「それより——そうだ、一応、Kプロの社長に挨《あい》拶《さつ》だけしといて下さい」
大宮は仕事の顔に戻った。「次の仕事で一緒ですから」
「どこにいる?」
「あそこです。——じゃ、石巻さん、すぐ戻ります」
「どうぞ」
と、浩志は言った。「少しテラスへ出てるよ」
実際、会場は人いきれで暑かったのである。浩志は、会場からつながっているテラスへと、出てみることにした。
ガラス扉が開けたままになっていて、涼しい風が入って来る。外へ出ると、思わず声が出るほど、涼しくて快かった。
テラスから中庭へ降りられるようになっていて、見渡すと、いくつかの人影が月明かりの下を、ぶらついていた。——男と女の、寄り添った影もある。
顔のほてりがさめて来て、浩志はやっと頭痛がおさまっていくのを感じた。
もともと、こういう席は苦手なタイプの浩志である。
ふと、会社の森山こずえのことを思い出した。せっかく温泉に誘ってくれたのを、断って来てしまった。
今ごろは、雪を見ながら、温泉にのんびりつかっているだろうか。——自分はこうしてハワイの夜空の下にいる。信じられないようだが、現実に、ここにいるのだ。
ふと、人の気配を感じて振り向いた。
「やっぱり」
と、神崎弥江子は言った。「後ろ姿が似てたから」
「僕のことですか」
「そうよ。——少しは酔ってるけど、人の顔を取り違えやしないわ」
と、弥江子は笑った。「少しは飲んでる?」
「僕は弱くて」
「ゆかりちゃんは? 可愛《かわい》いアイドル。今、日本で一番よく知られた二十……何歳? 二十一? 二十二?」
「ゆかりは二十三です」
「二十三……。そうか。若いわねえ。昔、私にも二十三のころがあったのよ。信じられる?」
と、弥江子は言って笑った。「何も怖くない、何でも自分の思い通りになる時代がね……。でも、そんな日々はアッという間に過ぎる」
浩志は、この女優の独白に付き合う気はなかった。ゆかりも、もう戻って来るかもしれない。
「——ねえ、石巻さん……だったわよね、確か。私のこと、怒ってるでしょ? 原口邦子の出番をカットさせたから」
浩志は、ちょっと肩をすくめて、
「僕がどう思っても、関係ないじゃありませんか」
と言った。
「いいえ! あるのよ。関係あるの」
と、弥江子は真剣な口調で言った。「お願い。言って。怒ってるって」
「まあ……確かに、怒ってます」
と、浩志は言った。「これでいいですか」
「そう……。当然よ。でもね、あなたには分からない。私がどんなに怖がってるか。一旦手に入れた人気……。それが指の間から、水みたいに、どんどんこぼれ落ちて行くのを、じっと見てる怖さって……。分からないでしょ」
「でも、あなたは大スターじゃありませんか」
「やめて。スターなんて……幻よ。『スター』なんて生きものはいないの。当たり前の女がいるだけよ。そう、ごく普通の、肉体を持った女がね」
神崎弥江子は、浩志の方へ近寄って来ると、
「やさしい人ね、あなたは」
と言った。「あなたがいるだけで、ゆかりちゃんは、私よりもずっと幸せよ」
「どうかしたんですか」
と浩志が訊《き》くと、神崎弥江子はちょっとドキッとした様子で、
「どうか、って?」
「いや、何だか……。何て言うのかな。落ち込んでる、とでも言うんですか。そんな風に見えるから」
涼しい風が吹いて来た。
「落ち込んで? そうね。確かにそうかもしれないわ」
弥江子は、声を上げて笑った。少しも楽しくなさそうに聞こえる笑いだった。
「邦子と何かあったんですか?」
と、浩志は訊いた。
「あの子? いいえ、ちっとも。あの子は、スターになるわ。あの、安土ゆかりみたいなアイドルとは違ったタイプの、『通好み』のスターにね。——今度の映画は、一応私が主役だけど、事実上、あの子の映画よ」
浩志が意外に思うほど、弥江子の言い方はアッサリとして、裏がない印象だった。
「三神監督とは本当に……?」
と、浩志が訊くと、初めて少し皮肉っぽい表情を見せて、
「気になる?」
「もちろんです。でも、邦子は、ただ相手が監督だからというだけで、寝るような子じゃない」
「よく分かってるのね、あの子のことが」
「古い付き合いですから」
「三神監督もね、そうなったからって、女優を甘やかす人じゃない。ただ、映画の中で、あの子はますます輝くでしょうね」
と、弥江子は庭園の方へ目をやりながら、言った。「そして私や沢田慎吾は、太陽のそばの月の如く、影が薄くなるってわけ」
「沢田慎吾もここに?」
「ハワイにってこと? いいえ。あれは日本でおとなしくしてるわ。このところ神妙なの」
「邦子もそう言ってました。監督に絞られてるんですか」
「絞っても、もともと何もなきゃ何も出ないわ」
と、弥江子は首を振って、「私はあいつとは違う。原口邦子が、どう輝いて、どうすばらしいかぐらいは、分かってるつもり」
「あなたも立派な女優じゃありませんか。どうして、そんな風に言うんです?」
弥江子は、不思議な目つきで浩志を見ると、
「あなたって、本当にやさしい人ね」
と、言った。「私は……怖いの」
「怖い?」
「そう。もし……。あのことが——」
と、呟《つぶや》くように言って、「おやすみなさい。少し飲みすぎたみたいだわ」
と、浩志に微笑《ほほえ》みかけ、足早にテラスから、パーティー会場の中へと姿を消した。
入れ違いに、ゆかりが出て来る。
「あの人と話してたの?」
ゆかりは、浩志をにらんで言った。
「もう、すんだのかい?」
浩志は、ゆかりの肩に手をかけて、「じゃ、部屋へ戻ろう」
「うん……」
ゆかりは、何だかすっきりしない顔で、一緒に歩き出した。
パーティーの中を抜けていくと、あちこちから、
「ゆかりちゃん! おやすみ!」
「お二人さん! お似合いよ!」
といった声がかかる。
ゆかりも笑って応えた。これは仕事の内である。
大宮が会場の外で待っていた。
「じゃ、ルームキー、渡しときます」
「大宮さん、これからどこかに行くの? 分かった。悪いことしに出かけるんでしょう」
「悪いことですか」
と、大宮は澄まして言うと、「マネージャーはね、パーティーでパクパク食べちゃいられないんです。これから一人でレストランへ行って、夕食です」
「あら、お気の毒」
「どういたしまして」
と、大宮は会釈して見せ、「じゃ、明日は九時ごろ起こします」
「了解。おやすみ」
「おやすみなさい」
大宮が行ってしまうと、ゆかりと浩志は何となく一緒に笑った。
「おかしな人」
「しかし、いい人だ」
「そうね。私、好きよ」
ゆかりは浩志の腕をとって、「浩志と邦子の次にね」
と、言った。
共通のドアを開けると、左右に一つずつドアがある。
浩志とゆかりはここで別れて、泊まっているのである。
おやすみ、を言って、浩志は自分の部屋へ入った。
一人になって、急に疲れを感じる。——慣れない場に出ていたせいもあるし、昼間、あの国枝の息子に会ったことも、微妙に影響しているのかもしれない。
アメリカのホテルは、ベッドもバスルームも、ともかくビッグサイズで、体を休めるにはいいが、少々寂しいくらいでもある。
大きなバスタブにお湯を入れて、浩志はゆっくりとつかった。
体の中の疲れが、お湯へ溶けて出て行くようだ。——ふと、邦子のことを考える。
三神の腕の中で、燃え立っている邦子。
浩志の胸に、痛みがはしらないわけではない。自分の恋人ではないといっても、邦子は「親友」である。——これは嫉《しつ》妬《と》なのだろうか?
浩志には、自分の胸の内が、よく分からなかった。
ゆかりと邦子。
どちらも、浩志にとっては「友だち」である。しかし、浩志も男だ。二人に対して、自分が全く同じ気持ちで接していられるわけでないことは、分かっていた。
その違いを、どう言ったらいいのか、自分でもよく分からないが、あえていえば、ゆかりは「妹」に近い。
もちろん、本当の妹である克子とは全然違うにしても、ゆかりが甘え、それを浩志が抱いて許してやるという点で、二人の間は「兄妹」に近いかもしれない。
それに比べると、邦子は決して浩志に甘えない。甘えたいと思うときもあるだろうし、実際、浩志がそれと察して、やさしく接することもあるが、邦子には人に弱味を見せまいとするところがある。
邦子が男に抱かれていると考えると、浩志はふと胸苦しさを覚えるのだが、それは「恋人としての嫉妬」より、娘を他の男にとられた父親のような気分、と言うべきかもしれない。
——いずれにしても、浩志は二人のどっちとも「恋人」ではいられない。それだけは、よく分かっていた。
バスルームを出て、分厚いタオル地のバスローブをはおった浩志は、ソファに腰をおろして、ほてった顔で息をついた。
こんな正月休みは二度と来ないかもしれないな、と思う。
そういえば、克子はどうしているか。スキーをやって、足でも折らなきゃいいが。
電話が鳴り出した。何だろう、と取ってみると、
「——お兄さん?」
「克子か。ちょうどお前のこと、考えてたんだ」
「あら、お上手ね」
「本当だよ。もうスキーから帰ったのか」
「ついさっきね。そっちは今、夜でしょ?」
「風《ふ》呂《ろ》を出たとこさ」
「週刊誌のグラビアで、ゆっくり拝見するわ」
「からかうな」
「私の方はね、某社長のお坊っちゃんに言い寄られちゃった」
「何だって?」
「帰って来たら、ゆっくり話したげる。ゆかりさん、元気?」
「うん。もう寝てるだろ」
「お兄さん……」
「何だ?」
「ゆかりさんと、寝てないの?」
浩志はちょっと絶句した。
「そういう約束だよ」
「約束ね。——可哀《かわい》そうに」
と、克子は言った。
そのとき、ドアを小さく叩《たた》く音が聞こえて、浩志は、ギクリとした。「可哀そうに」という克子の言葉が、耳からまだ消えていなかった。
「もしもし」
と、克子が言った。「どうかしたの?」
「誰《だれ》かドアを叩いたんだ。ゆかりだろ」
「じゃ、切るわ」
「ああ、しかし——」
「ゆかりさんによろしくね」
そう言って、克子からの電話は切れた。
浩志は立って行ってドアを開ける。
「——電話してた?」
ゆかりが、浩志と同じバスローブ姿で立っていた。ほてった肌の、しっとりした匂《にお》いが、浩志を包む。
「うん」
「邦子から?」
「いや、違うよ。克子だ」
と、浩志は言って、ゆかりを中へ入れた。「どうかしたのかい?」
「うん……」
ゆかりは、大きなサイズのベッドに腰をおろした。「どうかした、と言えばしたし、してないと言えばしてない」
浩志は、ちょっと笑った。
「分かってるの」
と、ゆかりは、ベッドの上に仰向けに寝た。
「こんなことしちゃいけないって……。私一人の浩志じゃないもの。邦子と私と浩志……。三人で『一つ』なんだものね」
浩志は、胸苦しいものが、急にふき上げて来るのを感じた。
男一人と女二人の「仲間」たち。それは、高校生のころなら可能だったかもしれないが、もう、三人とも「大人」である。それでいて、互いに何も感じないでいる方が不自然だ。
「邦子は、三神監督と寝てる。——浩志のこと、好きなくせに。私とここへ来てることも、知ってるくせに。ずるいよ、邦子……」
ゆかりは遠い邦子へ呼びかけるように、言った。「私を恨まないで、浩志を誘惑したからって」
「ゆかり——」
と、浩志はベッドへ近付きかけて、足を止めた。
ゆかりが仰向けに寝たまま、片方の膝《ひざ》を立てた。ローブの裾《すそ》が割れて、白くまぶしいような太《ふと》腿《もも》があらわになる。
浩志は、ゆかりを抱きたい、と思った。これほど、その思いに圧倒されそうになるのは初めてだ。
「浩志……」
ゆかりが、左手の甲を自分の額に当て、光のまぶしさを遮るようにして、「ここへ来て」
「ゆかり」
「分かってる。いいの。何もしてくれなくて。ただ、ここへ来て、そばに寝て。——お願いだから」
ゆかりの声も、少しかすれていた。邦子を裏切っているという気持ちと、闘っているのだ。
浩志には、それがよく分かった。
浩志はなおも、しばらくためらっていた。
何もしないで? ゆかりに添い寝して、何もせずにいられるだろうか?
ゆかりの目が、訴えるように浩志を見ている。せつない、哀しい目だった。
拒むことはできなかった。
ベッドへ上り、ゆかりのすぐわきに、並んで横たわる。ゆかりが体を浩志の方へ向けて、半身を浩志の胸に預けた格好になった。
ゆかりの体温が伝わって来る。柔らかな手と、ローブ越しに感じる胸のふくらみと……。
「浩志の心臓の音が聞こえる」
ゆかりは、浩志の胸に耳を当てた。「私の音? どっちかな……」
浩志は、そっと左手でゆかりの髪をなでてやった。ゆかりが目を閉じる。可愛い子猫のように。
「このまま……。じっとしてて。このままで、いさせて……」
ゆかりは、眠ってしまうかとも見えた。しかしそうでないことは、少しずつ高まっていく互いの鼓動で分かる。
ゆかりが頭を上げた。浩志がゆかりを抱き寄せる。そのとき——。
ドアを、誰《だれ》かが叩《たた》いた。
「——誰かしら」
と、ゆかりが体を起こす。
ドアを叩く音は、少しこもって聞こえる。
直接浩志の部屋のドアを叩いているのでなく、その外の、共用のドアを叩く音なのだ。
トントン。トントン。
叩く音は続いた。
「出よう」
浩志がベッドをおりた。
「気を付けてね」
ゆかりは、国枝のことを思い出しているのだろう。
浩志は自分の部屋のドアを開けて、
「どなた?」
と、少し大きな声で言った。
「大宮です!」
「あら、何だ。もう食べ終わったのかしら」
と、ゆかりもやって来る。
浩志はドアを開けた。
「キャッ!」
ゆかりが、短く叫んだ。
「どうした!」
と叫ぶ浩志の腕の中へ、大宮はよろけてもたれかかって来た。
顔ははれ上がって、あざだらけだ。口の端が切れて、血が出ている。
「いきなり……ものかげに引っ張り込まれて……」
「大丈夫ですか? すぐ医者を呼ぶから。ゆかり、フロントへ電話して」
「はい!」
浩志は、腹を押さえて呻《うめ》く大宮を、自分のベッドまで、何とか連れて行って寝かした。
殴られたのだ。——浩志は、厳しい顔で首を振った。