「邦子ちゃん、大丈夫?」
マネージャーに声をかけられて、椅《い》子《す》でウトウトしていた邦子は、フッと目を開いた。
「あ、もう?」
「ううん、あと二十分ぐらいあるけど。寝起きの顔じゃ、TVで分かるわよ」
「そうね。——大丈夫。五分前にはシャキッとしてる」
邦子はウーンと伸びをして、「ね、やっぱり何かアクセサリー、ほしいな。胸もとが寂しい」
「そうね……。なくてもいいとは思うけど。じゃ、何か捜して来るわ」
「お願い。あ、それとコーヒーをね」
——邦子は、TV局の一室で、出を待っているところだった。
不思議なもので、映画の撮影なら、どんなに早朝のロケでもパッと体が目覚めるのだが、こうしてTVの「モーニングショー」に出る、なんてときには、なかなか起きられない。
もともと、そう朝に強い方ではないから、いつもなら、こんな番組に出ることはないのだが、今度は何といっても自分の映画の宣伝をかねての出演。これを断るわけにはいかない。
三神は、そういう点、マスコミ嫌いで知られているから、めったに顔を出さない。しかし、いずれにしても、今回の「目玉」は邦子なのである。
「——はい、コーヒー」
と、マネージャーがカップを手に入って来る。
「ありがとう」
マネージャーというのも大変な仕事だ。
ありそうもない物でも、スターが、
「ほしい」
と言えば、どこからか見付けて来る。
「これ、どう? 少し大きいけど、ちょうど画面に入るでしょ」
と、ブローチをつけてくれる。
「うん。悪くないね。——どこで見付けたの?」
「今、廊下ですれ違った子役の子がつけてたの。貸してって頼んで。後で返しとかないとね」
邦子はちょっと笑った。
コーヒーを飲んで、頭をすっきりさせる。
セリフだって、スラスラ憶《おぼ》えてしまえる邦子である。こういうショーの段どりくらいは一度聞けば頭に入ってしまう。
しかし、インタビューでどう答えるかは、シナリオにあるわけではないから、自分で考えて話さなくてはならない。
日本の芸能界では、タレントも役者も、あまりはっきり自分の考えを述べると、
「可愛《かわい》くない」
と思われてしまう風潮がある。
邦子は、そんな空気にいつも反発を覚えていた。
「お願いします」
と、番組のADが顔を出す。
「はい」
邦子は、もう一度鏡で自分の顔をチェックする。
いくらかはれぼったい目をしているが、まあ、他の人は気付くまい。——生番組なので、いくらか緊張する。
「NGでとり直し!」ってわけにはいかないのである。
スタジオへ入って行くと、本番前のあわただしい空気が漲《みなぎ》っていた。
映画の世界は、TVにくらべるとのんびりしている。ロケのとき、一番大変なのは、「天気待ち」——つまり、日が射《さ》してくるのを、気長に待っている間、どうやって時間を潰《つぶ》すかということだ。
その点、時間に合わせて動くことが第一のTVは、全く別の世界だった。
「原口邦子です」
と、司会の女性アナに挨《あい》拶《さつ》する。
「あ、どうも。——朝から大変ね」
いかにも、キャリアウーマンというイメージのスーツ姿。確か子供が二人いて、よく週刊誌などにも顔を出している人だ。
「映画の話が中心になるけど、まるきり宣伝になっても困るのね。だから、一応、あなた自身を紹介するという形で始めて、それから映画の話題に」
「分かりました」
「話の展開はキャスターがリードしてくれるから。答えは短くていいの。映画の話になったら、ここぞ、とばかりしゃべっていいからね」
「はい」
と、邦子は笑った。
生番組にあまり慣れていない邦子に気をつかって、緊張をほぐしてくれようとしているらしい。その心づかいは、ありがたかった。
「カメラテスト」
という声が入った。
「じゃ、こっちへ来て」
と、案内され、「足下、コードに足引っかけないでね」
「はい」
カメラがあちこち動き回るので、長くて太いコードが床を這《は》い回っている。
少し高くなった台の上に上り、しつらえられた席に腰をおろす。
椅《い》子《す》がギイギイ鳴った。
「音がするわね。——ちょっと! 椅子、替えて!」
と、女性アナが指示すると、ADが飛んで来た。
「ライト、まぶしい?」
「いえ、大丈夫です」
代わりの椅子に腰をおろして、邦子は、大きく息をついた。
何度も台本を見直し、段どりのチェックをする。
キャスターの男性は、いつもTVの画面でニコニコしているが、スタジオでは、ニコリともしない。
こんなものなのだろう。——邦子は、こんなときでも、人間を観察している自分に気付いた。役者のくせというものか。
「じゃ、君、生年月日とか、データはもらってるけどね」
と、キャスターが言った。
「私、ちゃんとやります」
と、女性アナが言った。
「頼むよ」
キャスターは、「ネクタイ、曲がってないか?」
と、自分のスタイリストを呼んで、直させている。
女性アナは、ちょっと笑って、
「いつも気にして大変なの。強迫観念ね」
「見かけによりませんね」
「そう。でも、あなた、すばらしいわね。私、この間、試写を覗《のぞ》いたの」
「ありがとうございます」
「巨匠には内緒よ。もちろん、こっちは何も見てないって前提で話をするから」
「はい」
「映画の公開予定とか、言えるわね」
「はい」
「じゃ、結構。——あと五分でスタート。あなたの出番は十五分くらいたってから」
「分かりました」
本番に向けて、緊張が高まる。
邦子も、少し映画の現場を思い出して、快感を覚えた。
「ヨーイ、スタート!」
の声はない。
ディレクターがキュー(合図)を出す。そこから、番組がスタートである。あと三分。
「ちょっと! このネクタイ、だめだ!」
と、キャスターがスタイリストを呼びつける。
「しめにくくてしょうがない。こんなものよこすなよ。そのブルーのでいい」
パッとむしりとって、新しいのをしめる。
どう見ても前の方がいい。しかし、これも気分の問題なのだろう。
ぎりぎりできちんとネクタイをしめ、息をつく。邦子は、そのキャスターの膝《ひざ》が細かく揺れているのを見ていた。
番組が始まる。
「おはようございます」
パッと、みごとに笑《え》顔《がお》が出て来る。邦子は感心した。これも「演技力」の一つかもしれない。
「——今日のお客様は、三神憲二監督の新作『風の葬列』で映画デビューされる、原口邦子さんです」
邦子を捉えたカメラに赤いランプがつく。レンズに向かって、邦子は笑顔で頭を下げた。
番組は無事に進んで、邦子も大分落ちついて来た。
十五分後の出番。——ピッタリに、キャスターと女性アナが移動して、インタビューが始まった。
ありきたりの問いから始まって、邦子のキャリアの説明が続く。そして、今度の映画について、という順序。
「——映画は初出演ということですが、大ベテランと共演して、いかがですか」
「勉強になったことも沢山あります」
と、邦子は言った。「でも、自分なりのお芝居も、少しはやれたと思っています。三神監督のおかげですけど」
「監督も絶賛してらっしゃるようですね」
「はあ……」
——何だか、馬《ば》鹿《か》らしくなるようなやりとりである。
しかし、こういう「決まり文句」のやりとりも、TVの仕事の一つなのだろう。
「ところで」
と、キャスターが言った。「安土ゆかりちゃんとは、幼なじみだそうですね」
「中学時代からです」
「ライバル同士、と言われてますが、どうですか」
「目指しているものが違いますし」
と、邦子は淡々と言った。「それに仲がいいので、会えば昔の通りです」
「そうですか」
キャスターは、映画の説明に入った。モニターTVに、「風の葬列」のいくつかのカットが出ている。
邦子は退屈していた。生放送といっても、三神の映画の本番の緊張には、比べるべくもない。
すると——ADの一人が、何かひどくあわてた様子で、メモを持って来た。キャスターがそのメモを見て、目を丸くする。そして女性アナの方へ、
「君、続き、頼む」
と、小声で言うと、駆け出して行く。
「——何かしら?」
と、女性アナは首をかしげる。
カメラが、また邦子を捉える。
「じゃ、替わって私の方からの質問ですけど、邦子ちゃんは、いつごろから女優を志したんですか?」
「そうですね……。小さいころから、舞台に立つのは好きで——」
話しながら、邦子の目は、あわてて元の席へ戻るキャスターを見ていた。
何か、よほどのことがあったのだろう。
「途中ですが、邦子ちゃん、ごめんなさい」
と、キャスターが言った。「今、ニュースが入ったんです。あなたとも関係のあることで」
邦子は不安になって、眉《まゆ》をくもらせた。
どうやら、あまりいいニュースではなさそうだ。
邦子の頭に真っ先に浮かんだのは、ゆかりの身に何か起こったのかもしれない、ということだった。あの国枝というヤクザとの間は、当然まだもめているはずだ。
邦子は自分の出番が途中で打ち切られたことなど、何とも思わなかった。
緊張して、ニュース原稿に目を落とすキャスターの方を見ていた。
「——たった今入ったニュースです」
キャスターの声も少し上ずっている。「俳優の沢田慎吾さんの運転する乗用車が、N市郊外の山道で誤って崖《がけ》から転落しました」
スタジオ内がざわつく。
しかし、とりあえず邦子はホッとした(といっては申しわけないが)。「邦子にも関係がある」と言われたので、何ごとかと思ったのだ。
キャスターは、「風の葬列」の中で共演している、という意味でそう言ったのだろう。もちろん邦子にとっても、驚きではあったが、沢田と親しかったわけでも何でもない。
「——車は崖の下、かなり深い谷の間に落ちており、今のところ救助の手の届かない状態ということで、乗っている沢田さんの安否が気づかわれています」
と、キャスターが続ける。
でも、と邦子は思った。どうして沢田が乗った車だと分かったのだろう? 当然、誰《だれ》か同行していた人間がいるということになる。
「——なお、沢田さんは、女優の神崎弥江子さんとドライブをしている途中だったとのことで——」
神崎弥江子の名が出て、邦子も一瞬ドキッとした。もちろんあり得ることだ。
「たまたま神崎さんは車を出ており、その間に、停めてあった車のブレーキが外れ、沢田さんを乗せたまま、崖から落ちたらしいということです。神崎さんは、現在近くの警察で、事情を話しているとのことですが……。偶然ではありますが、今日のゲスト、原口邦子ちゃんの出演している『風の葬列』にも、沢田さん、神崎さんは出演されているわけで……」
神崎弥江子が一緒で——。しかし、どうしてそんな所へ行ったんだろう? 邦子に分かるはずもなかったが。
「沢田さん、無事だといいんですが……。ここでコマーシャルです」
どんな大事件も、スポンサーには勝てないのである。
キャスターが立って邦子の方へやってくる。
「やあ、ごめんね、あんなことで」
「いいえ」
と、邦子は首を振った。
女性アナは、邦子に気をつかって、
「あれじゃ失礼よ。後で少し入れましょう」
と、キャスターに言った。
「うん……。しかし、次のコーナーはいつも時間が足りなくなるんだぜ」
キャスターは気が進まないようだ。
「ともかく、『今日はありがとうございました』も言わないで終わりってわけにはいかないわ」
邦子は、その女性アナが、「可哀《かわい》そう」とか、「気の毒」とかでなく、「失礼よ」と言ってくれたことが嬉《うれ》しかった。
邦子を一人前の「女優」と見てくれているからだろう。
「うん、それはそうだな」
と、キャスターも女性アナの言葉に肯いた。
どうやら、「形式」にこだわるタイプらしい。——人間というのは面白いものだ。
「でも、沢田さん、助かるといいですね」
と、邦子は言った。
「うん。——ま、今のところ入ってる情報だと、とても助かるとは思えないってことだ」
「神崎さんは、別にけがもないんですか」
「そうらしい。興奮してて、とても取材に応じられる状態じゃない、ということだ」
キャスターは首を振って、「まあ、あの二人のことは、誰でも知ってたけどね」
「もう席に戻って」
と、女性アナが言った。
「おっと、そうだな」
「じゃ、邦子ちゃんに、今後の仕事の予定と、抱負みたいなことを訊いて、終わりにするから」
「分かった。じゃ、こっちへ振るよ」
と、キャスターは肯いて、「事故のことは出さない方がいいな」
「そうよ。まだ、どうなってるかもはっきりしない内に」
キャスターが定位置に戻り、再び番組に戻る。
「——失礼しました」
と、女性アナが口を切って、「で、邦子ちゃん、これからの仕事の予定とか、分かっている範囲で結構ですけど——」
自分のPRは、邦子にとって苦手なことの一つである。
スターがこんなことじゃ仕方ないと思うけれど、性格というものだ。
とりあえず、映画の公開までは、いくつかTVの仕事。そして舞台やTVドラマの話もいくつかあるが、決定ではない。
「でも」
と、女性アナが暖かい笑《え》顔《がお》を見せて言った。「この映画が公開されたら、きっと出演依頼がドッと押し寄せますね」
邦子も微笑《ほほえ》んで、
「そうなってくれるといいと思います」
と、答えていた。