チャイムがくり返し鳴った。
「誰《だれ》か出なきゃ」
と、添《そえ》子《こ》がしごくもっともな意見を述べる。
「そう言うんなら、お前出ろよ」
と、隆《たか》志《し》が言った。
何しろたった今、拳《けん》銃《じゆう》をつきつけられたばかりである。また同類のお客が来たのかもしれないと思うと、玄《げん》関《かん》へ出て行く気にはなれない。
「何よ、あんた男でしょ」
と、添子が隆志をけっとばした。
「いてっ! 男だって、死にたかないよ」
「静かに!」
と、詩織が、大声で(!)怒《ど》鳴《な》った。「静かにしてりゃ、留守だと思って帰るかもしれないでしょ!」
その声は、玄関にも当然聞こえていると思われた……。
みんながじっと息を殺していると、チャイムがさらにしつこく鳴って、それから沈《ちん》黙《もく》した。——すると、
「すまんけどね」
と、成《なる》屋《や》が遠《えん》慮《りよ》がちに言い出した。
「何よ、パパ! 静かにして!」
「うん。しかし……。一体何があったんだね?」
なるほど。考えてみれば、成屋はことのいきさつを知らないのだ。詩を完成して、いい気分でリビングルームへ入って来ると、何だかいきなり乱《らん》闘《とう》が始まって、男が一人飛び出して行き、後には拳銃が残った。
これで事情を理解しろと言われても無理というものだろう。
「今は説明してる暇《ひま》ないの。ともかく、隅《すみ》っこの方でおとなしくしてなさい。エサは後であげるから」
まるで犬《いぬ》扱《あつか》いである。
「しかし——」
「黙《だま》って!」
成屋は肩《かた》をすくめた。そしてブツブツと、
「庭に誰《だれ》かいるみたいだ、と言おうとしたのに……」
と呟《つぶや》く。
「諦《あきら》めたみたいだ」
と、隆志が低い声で言った。
「そうかしら。油断しない方がいいわよ」
と、詩織はそろそろと立ち上り、リビングルームのドアを細く開《あ》けて、玄関の方を覗《のぞ》き込《こ》んだ。
そのとき——ドカン、と凄《すご》い音がしたと思うと、庭の方で、
「ワーッ!」
という叫《さけ》び声が聞こえた。
みんながびっくりして飛び上る。
「誰かいるわ!」
「だから私が——」
と、成屋が言いかけた。
「静かに! 隆志君、カーテンを開《あ》けて! 添子、戸を開けて! ママ、包丁を持って来て!」
「お前、何もしないんじゃん」
と、隆志は言いながら、渋《しぶ》々《しぶ》カーテンを開け、「——誰か庭で寝《ね》てらあ」
「寝てる?」
「うん」
戸をガラッと開けると、みんな一《いつ》斉《せい》に庭を見《み》下《お》ろした。——確かに、さっきの種《たね》田《だ》とは全然違《ちが》う、かなり太ってコロコロした感じの中年男が、大の字になってひっくり返っている。
「死んでるのかしら?」
と、添子が言うと、それに答えるように、
「ウーン」
と呻《うめ》いて、その男が起き上り、ブルブルッと頭を振《ふ》った。
飛び出しそうに大きな目をギョロつかせて詩織たちを眺《なが》め、
「おや、生きとったのか」
「そりゃこっちのセリフよ」
と詩織は言い返した。「あんた誰よ? 人の家の庭に勝手に入り込《こ》んで——」
「勝手ではない!」
男は、肩《かた》をさすりながら、起き上ると、「いてて……。私は、こういう者だ」
と、ポケットから、アイドルスターのテレホンカードを出して見せた。
「NTTの人?」
「いや、これじゃない!」
と、あわててカードをしまうと、今度は、
「これが目に入らんか!」
と、『水《み》戸《と》黄《こう》門《もん》』みたいなセリフと共に、警《けい》察《さつ》手《て》帳《ちよう》を出して見せたのだった。
「じゃ、あの種田って男を尾《び》行《こう》して来たんですか?」
と、隆志は訊《き》いた。
「そうなのだ。表で様子をうかがっていると、銃《じゆう》声《せい》がして、種田が走り出て来た。てっきり中で殺人が起ったものと思って、チャイムを鳴らした。それなのに誰《だれ》も出んのだから!」
「そんなこと言ったって……」
と、詩織が口を尖《とが》らす。「怖《こわ》かったんだもん」
「一応相手を確かめてから、『留守です』と言えば良かったのだ」
この刑事 —— 名は花《はな》八《や》木《ぎ》といった。
日本舞《ぶ》踊《よう》の花《はな》柳《やぎ》とは何の関係もないらしい。
「そんな馬《ば》鹿《か》な」
と、隆志がふくれた。「こっちは死ぬほど怯《おび》えてたんですから」
「しかし、そのせいで、私は肩《かた》を痛《いた》めた」
てっきり、中で誰か死んでいると思った花八木刑事、庭に面したガラス戸を破って入ろうと、体当りをして、みごとにはね返されたのだった。それがあの、ドカンという音だったのだ。
「そんなに簡《かん》単《たん》に壊《こわ》れませんよ」
と、隆志は苦《にが》笑《わら》いした。
「しかし、映画でよくそういう場面がある」
かなりいい加減な刑事である。
「でも、刑事さん」
と、詩織が言った。「どうしてあの種田って人を尾《び》行《こう》してたんですか?」
「いい質問だ」
と、花八木刑事は肯《うなず》いて、「しかし、それは業務上の秘《ひ》密《みつ》だ」
「そんな! こっちは殺されかけたんですよ。教えてくれたっていいじゃないの。それとも——私の話を信じられないとでも? 私が嘘《うそ》をついてるって言うんですか? ひどいわそんな!」
たちまち詩織、ワーッと泣《な》き出した。花八木刑事が、大あわてにあわてて、
「おい、泣くな。いい子だから——アメをやるから——」
となだめるのを、隆志はソッポを向いて、横目でチラチラ眺《なが》めていた。
「分《わか》った、話す! 話すから泣くのをやめてくれ!」
と、花八木刑事は、少し——いや、かなり禿《は》げ上った額《ひたい》を、クシャクシャのハンカチで拭《ぬぐ》った。「あの種田というのは、九州の方の、さる大きな暴力組織の幹《かん》部《ぶ》の一人なのだ」
「まあ、道理で」
と、母親の智《とも》子《こ》が言った。「眉《まゆ》毛《げ》が太いと思いましたわ」
「ママ、変な感心の仕方、しないでよ。で、どうして東京へ?」
「今、その組織が後《あと》継《つ》ぎをめぐってもめてるんだ。大ボスが去年の正月、宴《えん》会《かい》の席で突《とつ》如《じよ》死んでしまって——」
「毒でも盛《も》られて?」
「いや、モチを喉《のど》に詰《つま》らせたのだ」
「はあ……。気の毒に」
「で、後《こう》継《けい》者《しや》を決めていなかったところから、その座をめぐって、組織が二つに割れてしまった」
「分るわ」
と、添子が肯《うなず》いて、「うちのクラスでも、委員長選ぶのに、同数になってもめたものね」
「次元の違《ちが》うこと言わないの」
と、詩織は添子をつついた。
「どっちの派にしろ、ボスの座につくには、それなりに大《たい》義《ぎ》名《めい》分《ぶん》が必要だ。そういう世界だからな」
「それが何か関係あるんですか」
「死んだ大ボスには、娘《むすめ》がいた」
と、花八木刑事は言った。「かなり遅《おそ》く生れた子で、目の中に入れても痛《いた》くないほど可《か》愛《わい》がっていたが、その娘が、父親の職業を嫌《きら》って家出してしまったのだ」
「はあ」
「二つの派とも、その娘を捜《さが》し出して、自分たちが後継者だと名乗ろうとしているのだ。種田が上京して来たのは、たぶん東京に、その娘がいるという情報をつかんだからだろう……」
詩織と隆志は顔を見合せた。
「あ、あの——」
と、詩織は、おずおずと言った。「その娘さん、いくつぐらいの方ですか?」
「今年、十七になるはずだ」
「十七……。で、名前は?」
「啓《けい》子《こ》、というんだ」
詩織と隆志は、もう一度顔を見合せた。——二人とも、多少、前のときより青ざめていた……。