「だらしのない連中だ」
と、その三つ揃《ぞろ》いの白いスーツの青年は、微《ほほ》笑《え》んだ。
詩《し》織《おり》はゾクッとした。——風《か》邪《ぜ》を引いたのだ。いや、そうじゃない! その青年の笑《え》顔《がお》に、一発でしびれちゃったのである。
「空へ向けてこいつを発《はつ》射《しや》してやったら、一度に逃《に》げちまいましたよ」
と、機《き》関《かん》銃《じゆう》を、まるでバトンガールがバトンを回すように、クルクルッと回して見せた。
「ど、どうも」
と、詩織は、ペコンと頭を下げて、「あの——私、成《なる》屋《や》智《とも》子《こ》です。あれ? いえ、それはここにいる母です。私は父です。いえ、私は父と母の詩織で、娘《むすめ》といいます」
相当に混乱している。
「おい、動くな!」
と、突《とつ》然《ぜん》、花《はな》八《や》木《ぎ》のだみ声が響《ひび》き渡《わた》った。
詩織は振《ふ》り向いて、目をみはった。花八木が、拳《けん》銃《じゆう》を構えて、銃《じゆう》口《こう》を白いスーツの青年に向けているのだ。
「ちょっと! 何するのよ!」
と、詩織は花八木に向って、怒《ど》鳴《な》った。「この人は、この家を助けてくれたんじゃないの!」
「それはそれ、これはこれだ」
と、花八木は言い返した。「明らかに、銃器不法所持だ!」
「この人が助けてくれなかったら、あんた、今ごろこの家と一《いつ》緒《しよ》に逆さにされてたのよ! それを、今になって——。自分はどうにもできなかったくせに!」
「それはそれ——」
「このヘボ刑事! 能なし! 役立たず!」
詩織の悪口に、花八木は顔を真《まつ》赤《か》にしながら、じっと耐《た》えていた。
「それはこれ、これはそれだ!」
「詩織、お前、何てことを言うの」
と、さすがに母の智子がたまりかねたように、
「せめて、間《ま》抜《ぬ》けとかトンマとかにしておきなさい」
「いや、刑事ってのは、いつもこれぐらいの元気が必要ですよ」
と、白いスーツの青年は、落ちついたもので、「じゃ、一つ、やるか?」
と、機《き》関《かん》銃《じゆう》の銃口を花八木へ向けた。
「抵《てい》抗《こう》するのか!」
「したら、どうする?」
「降《こう》参《さん》する」
花八木は、拳《けん》銃《じゆう》を捨《す》てて両手を上げた。
「じゃ、そっちの隅《すみ》で、おとなしくしてな。——お嬢《じよう》さん」
「は、はい!」
詩織は、お嬢さん、なんて呼《よ》ばれたことがあまりないので、面《めん》食《く》らいながらも嬉《うれ》しそうに身を乗り出し、手を出して尻《しつ》尾《ぽ》を振《ふ》り——これじゃ犬だ。
「ここに啓《けい》子《こ》さんが来たそうですね」
と、青年は言った。
「ええ……。啓子さんをご存知?」
「僕と彼女は愛し合っていたのです」
「愛し合って——?」
「申し遅《おく》れました。僕は九州では、ちょっとした顔の、緑《みどり》小《こう》路《じ》金《きん》太《た》郎《ろう》といいます」
「緑小路—— 金太郎?」
姓《せい》と名が、これほどアンバランスな名前も珍《めずら》しいだろう。
「啓子さんの父と、僕の父とは、昔からの宿敵同士。いわば、許されざる恋《こい》だったのです。しかし、人目を忍《しの》んで、束《つか》の間《ま》の逢《おう》瀬《せ》に二人の恋は燃え上り、未来を固く誓《ちか》ったのでした。それから十年……」
「あの—— 失礼ですけど」
と、詩織は言った。「十年も前というと、お二人とも、大分お若かったんじゃありません?」
「僕が小学校五年生、啓子さんは幼《よう》稚《ち》園《えん》を出るか出ないかのころでした」
「はあ……」
そりゃ古い恋だ。
「——こうして啓子さんを追ってやって来たのですが、どうも、三《み》船《ふね》や種《たね》田《だ》も押《お》しかけて来たらしい。啓子さんは姿《すがた》を隠《かく》していた方がいいようだ」
「私、どこにいるのか知らないんです」
「信じますよ」
と、緑小路は肯《うなず》いた。
詩織はホッとした。 —— 大体、みんな詩織の言うのを信じないで、大暴れするのだから。
「もし啓子さんから連絡があったら、僕が来ていることを伝えて下さい」
「分《わか》りました」
「そして、一言——愛してる、と言ってやって下さい」
そういうと緑小路は、「では、失礼します」
と会《え》釈《しやく》して、素早く姿《すがた》を消した。
「待って!」
詩織は、急いで玄《げん》関《かん》から外へ出た。
緑小路が、車に飛び乗ると、エンジンの音を響《ひび》かせて、走り去る。——そうだわ! ああでなくちゃ!
真《まつ》赤《か》なスポーツカー。それがあの美青年には似合うはずだ、と詩織は思ったのである。
真赤だ、という点は予想通りだった。ただ車はスポーツカーでなく、消防車だった……。
「——何がどうなってんだ?」
と、隆志が言った。
「知るか」
と、詩織は肩をすくめた。「こっちはね、忙《いそが》しいの。おしるこ食べるので」
「俺《おれ》は何を取りゃいいんだ?」
女の子だらけの甘《かん》味《み》の店で、隆志はメニューを広げてため息をついていた。
「コーヒーぐらいあるでしょ」
と、詩織が言うと、
「うん……。しょうがねえや。ちょっと。おしるこ、もう一つ」
「何だ。初めから素直に頼《たの》みゃいいでしょうに」
「しかし、本当にどうなってんの? あの種田という殺された男。三船って、やたら家を壊《こわ》したがる男。プラス、そのキザの塊《かたまり》みたいな奴《やつ》」
「ちゃんと緑小路って名があるわよ」
「緑小路でもタヌキ横丁でもいいけどさ、それもヤクザなのか?」
「あの花八木刑事の、あんまり当てにならない説明によると、例の、啓子って子の父親の古い仲《なか》間《ま》だったらしいんだけど、最終的に縄《なわ》張《ば》りを二人で分けるわけにいかないので、結着をつけたらしいのね。その緑小路の父親っていうのが」
「決《けつ》闘《とう》したのか」
「ううん、ジャンケンだったって」
隆志は、ガクッと来た。
「ずいぶんつまらないことで決めるんだな」
「で、あの緑小路の父親は失意の内に死に、今、あの息子が跡《あと》を継《つ》いで、どんどんのして来てるんですって」
「へえ。——じゃ、本当に啓子って子の恋人なのかな」
「そりゃそうよ。当人がそう言ってるんだもの」
「でも、嘘《うそ》かもしれないぜ。そんなヤクザの言うことなんか、大体あてにならない……。おい、どうした?」
隆志は、また詩織が目にジワッと涙《なみだ》をためているのを見て、訊《き》いた。
「あの人は嘘なんかつかないわ」
「どうして?」
「目が、とっても澄《す》んでるわ。それに、ハンサムだし、足も長いし……」
「じゃ、俺《おれ》とそっくりなんだ」
と、隆志は肯《うなず》いて、「それなら、きっと嘘はつかないよ」
どっちもどっちである。
「——でも、あの花八木ってヘボ刑事は、そうじゃない、と言って、嘲《あざ》笑《わら》うのよ」
「へえ」
「つまり、今、啓子さんを見付けて、自分の女にしてしまえば、争わずして、一番大きな組織が手に入るわけ。それを、あいつは狙《ねら》ってるんだって。——心の醜《みにく》い人は、見方までひねくれて来るのよ。やねえ、本当に」
しかし、隆志は、花八木の言う通りかもしれないと思った。
「——はい、どうぞ」
と、隆志の方に、おしるこが来て、伝票を置いて行く。
何気なく伝票を見て、隆志は目を丸くして、
「ちょっと! おしるこ五《ご》杯《はい》も頼《たの》んでないじゃないか!」
と、声をかけた。
「あちらの方が三杯召《め》し上ってます」
と、指さした方を見ると……。
花八木が、隅《すみ》っこの席で、三杯目のおしるこに取りかかっているところだった。
「——参ったな!」
と、隆志がこぼしていると、
「成《なる》屋《や》さんって、そちら?」
と、店の女の子がやって来る。
「私ですけど」
と、詩織が顔を上げる。
「お電話です」
「誰《だれ》かしら。——すみません」
立って行って、受話器を取ると、
「あ、啓子です」
と、声がして、詩織は仰《ぎよう》天《てん》した。