「啓《けい》子《こ》さん……。あの——元気?」
と、詩《し》織《おり》は言った。
他《ほか》にも色々言いたいことはあるのだが、前もって電話がかかって来ると分《わか》ってりゃともかく、とっさにはごく当り前の言葉しか出て来ないのである。
「ええ、元気です。色々私のせいでご迷《めい》惑《わく》をかけてるようで、申し訳ありません」
「いえ、別に。ちっとも構わないのよ、そんなこと」
そりゃ、詩織は大して「実害」をこうむってるわけじゃないから、構わないのだ。学校の寮《りよう》から追い出された人たちがこれを聞いたら、頭に来るだろう。
「でも、どうしてここにいるって分《わか》ったの?」
と、不思議に思って、詩織は訊《き》いた。
「ええ、お宅《たく》へかけたら、お母さんが出られて。たぶん、こちらじゃないか、って……」
「へえ。こんな店のことまで、よく知ってるわね」
詩織は、しゃべっていて、ハッとした。店の中に花《はな》八《や》木《ぎ》がいるのだ。
チラッとそっちへ目をやったが、花八木は三《さん》杯《ばい》目《め》のおしるこをせっせと食べていて、気付いている様子はない。
「——ね、啓子さん。どこにいるの?」
と、詩織は少し声を低くした。
「それはちょっと言えないんです。——ごめんなさい」
と、啓子が申し訳なさそうに言った。
「そう……。でも、色んな人が、あなたを訪《たず》ねて来てるのよ」
あれを「訪ねて」と言えるかどうかは、疑問だったが……。
「あなた——緑《みどり》小《こう》路《じ》って人、知ってる?」
「金《きん》太《た》郎《ろう》さん? あの人、来たんですか」
と、啓子がびっくりしている様子。
「ええ。あなたの古い恋《こい》人《びと》だって……。本当なの?」
「ま、古いことは確かですけど……。幼《おさな》なじみで。でも、恋人なんかじゃありません」
なんだ。詩織はがっかりした。
「ともかく、種田って人は殺されるし、てんやわんやよ。——ねえ、一度会えない? ここ、刑事もいるから、話しにくいの」
「そうですね……。詩織さん一人で来て下さるなら」
「もちろんよ」
「あ、それから、隆《たか》志《し》さんという方も」
「隆志?」
詩織は、ちょっとむくれて、「あなた、隆志に気があるの?」
そんなことを言ってる場合じゃない!
「おい……」
まずい! 花八木が、電話の方へ歩いて来たのだ。
「あ、あの——それじゃ二人で行くわ」
と、詩織は急いで言った。
「お願いね。じゃ、今度の日曜日に、〈××ランド〉で」
〈××ランド〉というのは、「ばつばつ」でも「エックスエックス」でもなく、さる有名な遊園地なのである。
「日曜日ね。分ったわ。じゃ、楽しみにしてるわ」
花八木が、すぐそばに来て立っているので、詩織は、急いで電話を切った。
「誰《だれ》と話してたんだ?」
と、花八木が言った。
「誰とでもいいでしょ。お友だちよ」
「フン、友だちか」
「友だちと電話でしゃべっちゃいけないっての?」
詩織もかなりむきになっている。
詩織が席に戻《もど》ると、花八木もついて来て、一《いつ》緒《しよ》に座《すわ》った。
「何かご用ですか?」
「桜《さくら》木《ぎ》のことを聞きたいかと思ってな」
と、花八木は言って、「ま、目ざわりだと言うなら、向うへ行くか——」
「ま、ちょっと落ちついて!」
詩織はあわてて言った。「——あの、おじさんのこと、何か分ったの?」
「保釈になって、行《ゆく》方《え》を捜《さが》していたのだ」
「それは聞いたけど。見付かったの?」
「まだだ」
詩織はムッとして、
「あっち行ってよ!」
「これから、捜しに行こうと思っとるのだ。ついて来るか?」
詩織は隆志と顔を見合せた。詩織としても、あの桜木という男がどうなったか、興味はある。しかし、花八木に「ついて行く」というのも、少々しゃくに触《さわ》る。
しかし、ここは好《こう》奇《き》心《しん》の方がプライドにうちかった!——というほどのことでもないか。
かくて、花八木、詩織、隆志の三人で町を行くという妙《みよう》なトリオになったのだった。
「だけど——」
と、隆志が電車の中で言った、「どうして僕らのことを連《つ》れて行く気になったんです?」
タクシーで、という詩織に対し、花八木は、電車で行かねば、税金を納めている国民に申し訳ない、と主張したのだった。
「そりゃ、簡《かん》単《たん》だ」
と、花八木は肯《うなず》いて、「桜木も捜したい。しかし、同時にこの娘《むすめ》も見張りたい。何をしでかすか分《わか》らんからな。そうなれば、連れて行くしかないではないか」
詩織はムッとした。大体花八木と一《いつ》緒《しよ》にいるだけでムッとして来るのだ。
しかし、ここはぐっとこらえて、
「どこへ捜《さが》しに行くの?」
と、訊《き》いた。
「交番へ行って、捜《そう》索《さく》願《ねが》いを出す」
と花八木は言ってから、ニヤッと笑い、「安心しろ。冗《じよう》談《だん》だ」
本気だったら、今ごろ電車の窓《まど》から放り出されているだろう。
「東京に、昔、桜木に世話になった女がいることが分《わか》ったのだ。身を寄せるとすれば、そこしかない」
「いなかったら?」
「他《ほか》にも身を寄せる所があった、ということだな」
どうもいい加減な刑事である。
——電車、バス、と乗り継《つ》いで、一時間以上かけて着いたのは、うらぶれたボロアパート——かと思えば、大《おお》違《ちが》いで……。
「ここ?」
詩織が唖《あ》然《ぜん》として見上げたのは、二十階以上はある高《こう》層《そう》ビル。真新しく、ピカピカに光っている。
「住所はここだが……」
と、花八木も、少々不安な様子。
「だって、ここ、会社が入ってるんだろ」
隆志は、ビルの入口にかかったプレートを見て、「人は住んでないんじゃない?」
「ともかく、物はためしだ」
と、ビルの広々としたロビーフロアへ入って行くと、花八木は、ツルツルの床《ゆか》で、みごとにステンと転《ころ》んでしまった。
「——見ちゃいらんない」
と、詩織はため息をついた。「離《はな》れてようよ。連《つ》れと見られちゃ恥ずかしいわ」
「さっきの電話は?」
「啓子さんよ」
と、声を低くする。
「やっぱり、そうか」
と、隆志は肯《うなず》いた。「何か言ってたのかい?」
「今度の日曜日に会うことにしたわ」
と、詩織は言った。「〈××ランド〉でね。あなたも一《いつ》緒《しよ》に来て」
「いいよ。どうせ暇《ひま》だし。日曜日の何時に?」
「時間?——決めなかったわ。適当に行ってりゃいいんでしょ」
「ええ? じゃ、〈××ランド〉のどこだよ?」
「決めなかったの」
隆志は、〈××ランド〉の広い敷《しき》地《ち》の中を、一日中うろつき回っている自分の姿《すがた》を想像してゾッとした……。
——一方、花八木は、やっと立ち上ると、クスクス笑っている受《うけ》付《つけ》嬢《じよう》の方へ歩いて行った。
「こういう者だ」
と、警《けい》察《さつ》手帳を覗《のぞ》かせ、「ここに『お竜《りゆう》』という女は住んでるか?」
「は?」
受付嬢が目を丸くした。当然だろう。
「本名、竜《りゆう》崎《ざき》幸《さち》子《こ》という女だ」
これを先に言えばいいのだ。
「ああ、竜崎さんでいらっしゃいますね。はい、最上階におられますが」
詩織はびっくりした。こんなオフィスビルに人が住んでるの?
「ここの管理人でもやってるのかしら」
と、呟《つぶや》いた。