詩《し》織《おり》は少々のことではびっくりしないが、さすがに、〈お化け屋敷〉で啓《けい》子《こ》に会おうとは思わなかった。
「あの——啓子さん、私、刑事と一《いつ》緒《しよ》にいるのよ!」
と、詩織は小さな声で言った。
「分《わか》ってますわ」
何しろやたらに暗いので、啓子の姿《すがた》もぼんやりとしか見えない。
「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》なの?」
「あの刑事さん、今、道に迷《まよ》ってウロウロしてるから……。こっちに来て」
「そう」
何だかよく分らなかったが、ともかく啓子に手を引かれるままに歩いて行くと——ガイコツの出て来る古井戸の裏《うら》側《がわ》の方へ回り、壁《かべ》を押《お》すと、そこがクルリと回って、アッと思った時には、詩織は、何の変《へん》哲《てつ》もない部《へ》屋《や》の中に立っていた。
安っぽい椅《い》子《す》とテーブル、そしてコーラの自動販《はん》売《ばい》機《き》なんかが置いてあるだけの、殺《さつ》風《ぷう》景《けい》な場所である。
「ここ、何なの?」
と、詩織が振《ふ》り向くと—— 白いドレスに、 血が散って、口から鋭《するど》い牙《きば》をむき出した女《おんな》吸《きゆう》血《けつ》鬼《き》が立っていた。
「キャーッ!」
と、詩織が腰《こし》を抜《ぬ》かす。
「ごめんなさい。——私、啓子です」
と、その女吸血鬼が、口から牙を外《はず》して、金《きん》髪《ぱつ》のカツラを取った。
「——ああ、びっくりした!」
詩織は、まじまじと眺《なが》めて、「本当だ! 啓子さんね……」
「ここで働いてるの。ごめんなさいね。もっと詳《くわ》しく説明しておけば良かったですね」
「そんなこといいけど……」
詩織はやっとこ立ち上ると、「この部屋は?」
「休《きゆう》憩《けい》室《しつ》。—— 交《こう》替《たい》で休まないと、 疲《つか》れちゃうでしょ」
啓子は、椅《い》子《す》を引いて、「座《すわ》って下さい。何もないけど——コーラでも飲みます?」
「いただくわ」
詩織は、まだ胸《むね》がドキドキしていた。
なるほど、ここで待ち合せるといっても、働いている場合もあるわけだ。そんなこと、考えてもみなかったけど。
「——あの、隆《たか》志《し》さんって人、一《いつ》緒《しよ》じゃなかったんですか?」
と、啓子が訊《き》いた。
「今、医務室で寝《ね》てるわ」
詩織が説明すると、啓子は愉《たの》しげに笑った。
「情ない人、全く!」
と、詩織の方は腹《はら》を立てている。
「デリケートな人なんですね」
「ま、そういう言い方もあるけど」
と、詩織は肩《かた》をすくめて、「あの刑事、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》かなあ」
「しばらく大丈夫です。さっき、あの人が来たとき、順路の矢印を逆にしておいたんです。同じ所をグルグル回ってますわ」
「ハハ、面《おも》白《しろ》い」
詩織は愉《ゆ》快《かい》になって、手を打った。
「色々ご迷《めい》惑《わく》かけたようで、すみません」
と、啓子が頭を下げる。
「そんなこといいけど。ねえ、一つだけ教えてほしいことがあるの」
「トイレはこの裏《うら》ですけど」
「ありがとう。——いえ、そんなことじゃなくて……。あなた、種《たね》田《だ》って男を殺したの?」
そうなのだ。詩織はその点だけが気になっていた。
いや、もちろん、他《ほか》にも色々気になっていることはあった。このコーラのお金は払《はら》った方がいいのか、とか、今夜のおやつはどこで買って帰ろうか、とか……。
しかし、こと、啓子に関して一番気になっていたのは、果して啓子が「人殺し」なのかどうか、という点であった。
まあ、種田という男、あまり殺されても文句の言える人間じゃなかったのは事実だろうが、それでも殺していい、ということにはならない。
「種田のことですか」
と、啓子が、ちょっと目を伏《ふ》せた。「私……残念でした。殺そうと思ってたのに、もう先に誰《だれ》かが——」
「先に? 他《ほか》の人間が殺したの?」
詩織は勢い込んで言った。
「ええ。でも、今度はしくじらないつもりです」
「しくじらない?」
「ええ、この次の奴《やつ》は必ず私が殺してやります」
「ちょっと——ちょっと待ってよ! あなたまだ——」
と、詩織が言いかけると、例の回転ドアが開いて、
「ああ、くたびれた!」
と、〈お岩《いわ》さん〉が入って来た。「休みなしだもんな、たまんねえよ」
アルバイトの学生か何かだろうとは分《わか》っていても、やはり一瞬、ギクリとする。
「——あれ、この子、何?」
と、そのお岩さんは、コーラの缶《かん》を手に、椅《い》子《す》にかけるとタバコをふかし始めた。
「私の友だち」
と、啓子が言った。
「そうか。何のお化《ば》けだったかな、って考えちゃったよ」
失礼ね! 私のどこがお化けよ!
詩織はムッとした。こんなに可《か》愛《わい》い、美人のお化けがいるもんですか。
「二人も休んでるとまずいわ」
と、啓子が立ち上った。「じゃ、詩織さん、ちょっと待ってていただけます?」
「私も見てていい? 面《おも》白《しろ》そう」
「どうぞ」
啓子は、カツラをつけて、口の中へ、牙《きば》を押《お》し込《こ》んだ。「——しゃべりにくくって」
何だかモゴモゴするのも当然だろう。
詩織は、暗がりの中から、こわごわ通っていく客たちを眺《なが》めていた。
なかなか面《おも》白《しろ》いみものである。
やたら強がって、
「何でえ、こんなもん」
とか言ってる男が、首《くび》筋《すじ》を柳《やなぎ》の葉でなでられると、
「キャーッ!」
と飛び上ったりする。
中にはデートコースと間《ま》違《ちが》えて、長々と抱《だ》き合ったりしてるアベックもいて、バイトのお化《ば》けが、やっかみ半分、ワーッとおどかしたりしている。
さて……。花《はな》八《や》木《ぎ》はどうしたのだろう?
詩織は、きっともう外へ出て待ってるんだわ、と思ったのだが。
「——あの遠《とお》吠《ぼ》えは?」
と、通りかかったアベックの女の方が言った。
「オオカミだろ」
「でも、何か変な声よ」
「テープが伸《の》びちまったのさ」
——そう。何だかおかしな声だった。
「出してくれ!——おい、誰《だれ》か来てくれ!」
というようにも聞こえた……。
「あれ、花八木だわ」
と、詩織は呟《つぶや》いた。「まだ同じ所をグルグル回ってるのかしら?」
と—— 突《とつ》然《ぜん》、 メリメリ、バリバリ、という音がして、ベニヤ板の壁《かべ》が裂けた。
「キャーッ!」
と、女の子が悲《ひ》鳴《めい》を上げた。「何か出て来た!」
「ゴリラよ!」
「違《ちが》うわ! フランケンシュタインだわ!」
やばい、と思った。
花八木が、ハアハア息をつきながら、現れたのだ。
「畜《ちく》生《しよう》! どこへ隠《かく》れた!」
まずいわ。詩織は、啓子の方へ、
「また来るわね!」
と、声をかけると、ノコノコ出て行った。「あら、刑事さん! どこに行ってたの?」
「お前か! 私をあんな所へ閉《と》じこめて」
「閉じこめたりしないわよ。だって、いつの間にかいなくなっちゃうんだもの。——さ、もう出ましょ」
詩織に腕《うで》など取られて、花八木もはぐらかされてしまった様子。
二人で歩いて行くと、今逃《に》げて行った女の子たちが見付けて、
「あら、見て! フランケンシュタインが」
「あの女の子は?」
「フランケンシュタインの花《はな》嫁《よめ》じゃないの?」
詩織は頭に来た。
私がなんでこんなのの花嫁なのよ!
「あのね」
と、詩織は訂《てい》正《せい》してやることにした。「これは〈美女と野《や》獣《じゆう》〉なの!」