「一体……だ、誰《だれ》が殺したんだ!」
「知らない……わよ!」
「私は……」
「肝《かん》心《じん》の時に、どこへ行ってた……のよ!」
「私は……トイレに……行ってたのだ!」
——詩《し》織《おり》と花《はな》八《や》木《ぎ》刑事の対話である。
なぜ、やたらに「……」が入っているかというと、三《み》船《ふね》の殺された現場周辺、もの凄《すご》い人だかりで、とても静かに話のできる環《かん》境《きよう》ではなかった。従って、詩織と花八木は、何とか人ごみから外へ抜《ぬ》け出そうと、いつ果てるとも知れない人の海の中をかき分けて進んでいたのである。
その間に話をしていたので、どうしても途《と》切《ぎ》れ途切れになってしまうのだ。
「—— 出た!」
やっと人《ひと》垣《がき》から外へ出て、詩織はフウッと息をついた。
それにしても、三船までもが殺されてしまうとは、一体どうなっているのだろう?
もちろん、詩織はそのおかげで命拾いをしたのだ。もし、三船の子分が、駆《か》けつけて来て、
「親分が殺された!」
と叫《さけ》ばなかったら、今ごろ詩織は無事ではいなかっただろう。
それを考えると、確かにゾッとする。しかし、詩織は過ぎたことにこだわらない性格だった。
「おい!」
と、やって来たのは隆《たか》志《し》だった。
「あら、何やってたの?」
そういえば、隆志は、三船の手下にのされて、〈お化《ば》け屋《や》敷《しき》〉の休《きゆう》憩《けい》室《しつ》の床《ゆか》でのびていたのだ。詩織はすっかり忘《わす》れていたのである。
「そりゃないぜ」
と、隆志は、あざのできた顎《あご》をなでながら、「お前を守るために、命を張ったのに」
「その割に、すぐのびちゃったじゃない」
思いやりのある恋《こい》人《びと》らしい詩織の言葉に、隆志はぐっと詰《つま》った。
「ま、まあ——そいつはともかく、無事で良かった」
「でも、三船が殺されたわ」
「うん、今聞いてびっくりした。どうしたんだ?」
「私だって知らないわよ」
と、詩織は肩《かた》をすくめた。「ともかく、手下たちはみんな、私たちを追いかけてたわ。一人だけ、隆志の殴《なぐ》った奴《やつ》が、のびてたわけね。で、それがやっと気が付いて起き上ってみると、親分は、ベンチに座《すわ》って、居《い》眠《ねむ》りしてるみたいだった。で、その手下が肩《かた》でもももうかと思って、後ろへ回ると、三船の背《せ》中《なか》にナイフが突《つ》き立ってた、ってわけよ」
「眠ってる時に肩もむのか? 目を覚《さ》ましちまいそうだな」
「そんなことより!——いい? また、あの人の姿《すがた》が消えてるのよ」
「あの人って?」
「啓《けい》子《こ》さんに決ってるでしょ!」
「あ、そうか。〈お化《ば》け屋《や》敷《しき》〉で会ったって言ったな」
「しっ!」
詩織は、あわてて振《ふ》り向いた。花八木がついて来ていたのを思い出したのだ。
しかし——花八木は、まだ人《ひと》垣《がき》の中を脱《だつ》出《しゆつ》し切れない様子だった。
「おかしいわ。——途《と》中《ちゆう》で潰《つぶ》れちゃったのかしら?」
「簡《かん》単《たん》に潰れるか」
二人でそう言っていると、人垣を押《お》し分けて、ゴリラが——いや、花八木が顔を出した。真《まつ》赤《か》な顔で、ハアハア言っている。
「どうしたの? 途中でバーにでも寄ってたの?」
詩織は、我《われ》ながらいいジョークだ、と思った。
「足を踏《ふ》んだ、と絡《から》まれたのだ」
花八木は、憤《ふん》然《ぜん》として、「踏んどらん、と言ったのに、信用せんのだ。全く、この純《じゆん》潔《けつ》無《む》垢《く》な人間の言うことを信じないとは……」
「で、納《なつ》得《とく》してもらったの?」
「こっちが、足をいやというほど踏まれた」
詩織は、吹《ふ》き出しそうになるのを、必死でこらえた。
——その時、やっとサイレンの音が、近付いて来た。中で、死体に人を近付けまいと必死になっている警《けい》官《かん》はホッとしているだろう。
と——警官の気が緩《ゆる》んだのか、それとも人垣の押して来る圧力に堪《た》え切れなくなったのか、人垣が、ドドッと内側へ崩《くず》れたのだった……。
「おい」
と、隆志が詩織をつついた。
「何よ」
「いいのかよ、黙《だま》ってて」
「何のこと?」
「もちろん、あの子のことさ」
詩織だって、隆志に言われるまでもなく、分っちゃいるのである。
「だって……今さら言える?」
「うん。——だから、初めから言っときゃ良かったんだ」
「今さら遅《おそ》いわ」
と、詩織は言った。
確かに、遅い時間だった。といっても、夜中ではないが、この遊園地が閉《し》まってもう二時間近くたつ。
やっと、客の姿《すがた》もなくなり(当然のことであるが)、警《けい》察《さつ》も落ちついて現場検証をすることができたのだった。
「——なっとらん!」
と、花八木が、ふてくされた顔でやって来た(つまり、いつもの顔で、ということだ)。
「何を怒《おこ》ってるの?」
「全く、ここの警察は何をしとるんだ? 容疑者が帰るのを、黙《だま》って見ているとは」
「容疑者って?」
「ここへ入園していた人間は、全部容疑者だ。当然、足止めして、調べるべきだった」
無茶言って!——何万人いたと思っているのだろう。
しかし——正直なところ、詩織も気が重いのである。
つまり、三船を殺したのが、啓子らしいからだ。いや、別に啓子だという証《しよう》拠《こ》はない。しかし、まさか三船と何の関係もない人間が、
「せっかく来たんだ。ついでに一人、人でも殺して帰ろうか」
てな具合で三船を刺《さ》し殺したとは思えないし、何かちょっとした間《ま》違《ちが》いで、手にしていたナイフを三船に刺してしまい、
「あら、いけない。ごめんなさいね」
ということも……あまり考えられない。
そうなると、やはり、犯人は啓子、という可能性が高くなる。
〈お化《ば》け屋《や》敷《しき》〉から、いつしか啓子の姿《すがた》は消えていたのだし……。
詩織は、花八木に言った。
「犯人の目星はついたの?」
「ついたか、だと? このベテラン刑事を何だと思ってるんだ」
「じゃ、誰《だれ》だか分ってるの?」
「もちろん」
花八木は肯《うなず》いた。「犯人は緑《みどり》小《こう》路《じ》だ」
これには詩織もびっくりした。
「あの—— 金《きん》太《た》郎《ろう》さん?」
「そうとも。三船は緑小路に機《き》関《かん》銃《じゆう》をお見《み》舞《まい》した。緑小路がその仕返しをするのは当然のことだ」
なるほど。——詩織も、花八木の説に、一理あることは、認めないわけにはいかなかった。この人も、まんざら馬《ば》鹿《か》じゃないんだわ。
「しかし——」
と、花八木は考え込《こ》んで、「なぜナイフを使ったのかな、金太郎ならまさかりだが」
やっぱり馬鹿なのかもしれない。
「死体を運び出します」
と、係官たちが、三船の死体を担《たん》架《か》にのせて、白い布で覆《おお》うと、運んで行った。
それを、三船の手下たちが、一列に並《なら》んで見送っている。 —— 中にはグスグスと涙《なみだ》ぐんでいるのもいて……。
ま、三船のことなんかちっとも悲しんじゃいないのだが、詩織は、それを見て、またしても涙ぐむのだった。
「——よし!」
と、手下の一人が怒《ど》鳴《な》った。「このかたきは討《う》ってやる! 行くぞ!」
「オー!」
と、声を合せ、拳《こぶし》を振《ふ》り上げると、ゾロゾロ歩いて行く。
何だか労働組合の決起集会みたいなムードだった。
「これは、えらいことになる」
と、花八木が言った。
「どうして?」
「ボスを殺されてはな。面《メン》子《ツ》ってものがある。全面戦争に突入するかもしれない」
詩織も、そこまでは考えていなかった。
——うちは大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》かしら?
また引っくり返されたりしないだろうか。詩織は、専《もつぱ》らそのことばかり、気にしていた。