「食いものをよこせ!」
「貧しい者にパンを!」
——別にデモのスローガンではない。
花《はな》八《や》木《ぎ》と隆《たか》志《し》の二人、腹《はら》が減《へ》って、放《ほう》っておかれているので、さっきからわめいているのである。
隆志が、「貧しい者——」なんて言い出したのは、ちょうど世界史で、フランス革命をやっていたせいかもしれない。まあ、こんな所で真《ま》面《じ》目《め》さを強調しても、点が上るわけじゃないのだが。
「何か食べるもの……」
「よこせ……」
二人の声は、急速に衰《おとろ》えを見せて行った。ただでさえ空《くう》腹《ふく》なのに、大声を出し続けたので、あんまり腹が空《す》いて、目が回って来たのである。
ダイエットには、大声を出すのがいい、と隆志は悟《さと》った。
「——連中は、俺《おれ》たちを飢《う》え死にさせる気かもしれん」
と、花八木が言った。
「まさか」
と言いながら、隆志の顔から血の気《け》がひいた。
「じゃ——もしそうだったら?」
「やむを得ん」
と、花八木は、じっと目を閉《と》じ、「ここは一つ、覚《かく》悟《ご》を決めるしかない」
「覚悟を……」
「そうだ。お前の墓《はか》には、十年に一回ぐらい、花を供《そな》えてやる」
「誰《だれ》が?」
「私が、だ」
「でも、何で僕だけ死ぬの?」
「ここは、二人とも死ぬか、一人だけでも助かるか、選ばねばならん。辛《つら》い選《せん》択《たく》だが、ここはお前が死ぬんだ」
「僕が死んで、何であんたが助かるの?」
隆志はゾッとした。——こいつ、僕を食料にして生きのびる気だ!
「畜《ちく》生《しよう》、誰が! こっちが殺してやる!」
「やるか!」
二人は、激《はげ》しくわたり合った。といっても、両手両足、縛《しば》られているから、縛られたままの両足で、互《たが》いにけとばし合ったのである。
「こいつ!」
「エイッ!」
「観念しろ!」
「やなこった!」
——あまり男らしいとは言いかねる格《かく》闘《とう》をしていると、
「おい、何してるんだ」
いつの間にか、ドアが開《あ》いて、三《み》船《ふね》の手下の一人が、呆《あき》れ顔で突《つ》っ立っていた。
「飯《めし》か?」
と、花八木が訊《き》く。
「何か食いたいか。よし。じゃ、一人ずつだ」
三船の手下は、花八木の方を先に引っ張って立たせると、足の縄《なわ》を解いて、「来い」
と、ドアの外へ押《お》し出した。
「ねえ! 僕は?」
隆志が悲《ひ》痛《つう》な叫《さけ》びを上げた。
「待ってろ。次だ」
「そうだ。待ってろ」
と、花八木がニヤつきながら言った。
隆志は頭に来た。しかし、今は怒《おこ》ったところで仕方ない。
どうせ花八木のことだ、何を食わしてくれるのか知らないが、アッという間に平らげてしまうだろう。それならきっと、すぐに戻《もど》って来て、こっちの番になる。
隆志は、一秒が一時間にも思える気持で(少しオーバーかな)、花八木の戻るのを、待ち続けた……。
「もう食べるのにも飽《あ》きたなあ」
と、詩《し》織《おり》は言った。
隆志が聞いていなくて良かった。もし、空《くう》腹《ふく》で死にそうな隆志がこれを聞いたら、二人の仲《なか》は終っていただろう。いや、悲《ひ》惨《さん》な殺人という結末になったかもしれない……。
だが、ここは絶海の孤《こ》島《とう》。いくら詩織が大声で叫んでも、隆志の耳に入る心配は、全くない。
詩織は、屋《や》敷《しき》から外へ出て、この小さな島を歩いてみた。
もちろん、どこにも空港もなく、タクシー乗場もなかった。
「泳いで行くにゃ遠すぎるしねえ……」
詩織は、首を振《ふ》った。
「——さて、帰るか。しょうがない」
一人しかいないのでは、一人でしゃべっている他《ほか》はない。
屋敷の方へ歩きかけた詩織は、コトン、という音で、足を止めた。
何かしら?——あの岩の向うだわ。
歩いて行ってみて、目を丸くした。
ボートだ! モーターのついた、小さなボートが、岩の陰《かげ》につないであった。
「やった!」
これで帰れる!
詩織は、ヤッホー、と声を上げて、早《さつ》速《そく》ボートへ乗り込んだが……。
「これ、どうやったら、動くの?」
と、呟《つぶや》いた。「これで動くんでしょ」
モーターにさわって、詩織はびっくりした。暖《あたたか》いのだ。
つまり、これに乗って、誰かがここへ来たということか……。
敵か、それとも味方か。
詩織は油断なく、ボートをおりると、手近なところで、手ごろな石を拾い上げた。
「来るなら来い……」
何が来るか知らないけど。まあ、間《ま》違《ちが》ってもパンダやコアラは来ないだろう。
屋《や》敷《しき》の方へと、ゆっくり左右を見回しながら戻《もど》って行く。
しかし、あのボートでここへ来て、どこへ隠《かく》れているのだろう?
もしかして——屋敷の中?
詩織は足を速めて、屋敷へと戻って行った……。
案に相《そう》違《い》して、花八木はなかなか戻って来なかった。
隆志は、もう目もかすみ、意識も薄《うす》れて来るようで……。
「詩織……。君を食べたい……。君は可《か》愛《わい》いよ。——まるで大《おお》盛《も》りのラーメンみたいだ」
などと呟《つぶや》いていた。
すると——。
バアン、と凄《すご》い音がして、隆志は飛び上りそうになった。といっても手足が縛《しば》られていては飛び上れないけど。
銃《じゆう》声《せい》だ! 何があったのだろう? そこへ、また——バアン。
都合、三回の銃声が聞こえて、静かになった。隆志は、じっと息を殺していた。
もちろん、誰《だれ》かが助けに来てくれたのかもしれないが、逆に殺しに来たのかもしれない。
何しろ、この場合、「敵の敵は味方」っていうほど単純じゃないのだから。
と、足音がドアの前に来て、止った。
ドアが開くと、そこには……。
「まだ生きてたのか」
と、花八木が立っていた。
「何だ! 縄《なわ》は解けたの? じゃ、早く、僕のも」
「うむ」
花八木は、珍《めずら》しく素直に隆志の縄を解いてやった。
「ねえ、何か食べた?」
「うむ。——カップラーメンがテーブルの上にある」
「カップラーメン!」
一万円払《はら》ってもいい、と思った。もちろん払いっこないが、気持の上では、ということである。
銃《じゆう》声《せい》の方も気にはなったが、今はともかく食べものだ。
廊《ろう》下《か》をよろけつつ進んで行くと、突《つ》き当りのドアが開《あ》いていて、正面に、テーブルと、それにのったカップラーメンが目に入った。
「あれが……?」
「三分はたっている」
と、花八木が肯《うなず》く。
ワーッ。隆志は真《まつ》直《す》ぐに駆《か》けて行って、カップラーメンに飛びついた。
アッという間に——という表現が、リアルに思えるほどのスピードで、隆志はカップラーメンを一つ、空《から》にした。
もちろん、満《まん》腹《ぷく》じゃないが、差し当り、死ぬほどの空腹からは逃《のが》れられたのだ。
「——よく食べられるな」
「そりゃお腹《なか》空《す》いてたからね」
「いや、こんな状《じよう》態《たい》の中でだ」
と、花八木が言った。
隆志は、周囲を見回した。
—— 大して広い部屋ではない。 そこで、三船の手下らしいのが三人。
みんな、撃《う》たれたと見えて、血に染《そま》って倒《たお》れていたのだ。
隆志は、目を回して、その場に失神した……。