「その先を曲れ!」
先頭を走っていたリーダーの男が、振り向いて叫んだ。
オートバイのスピードが落ちる。
公園の裏手。——月明りがなければ、闇《やみ》に包まれる場所だろう。
先頭のオートバイがクルッと向きを変えた。
宏子を後ろに乗せたオートバイは、十三台の、ちょうど真中辺りにいた。カーブを切って、スピードを落とす。
と——宏子の体がオートバイから大きく弾《はじ》けるように飛んだ。
「おい!」
あおりを食らって、そのオートバイが横倒しになる。誰もが呆《あつ》気《け》に取られていた。
宏子は信じられないほど高く宙を飛んで、ピタリと地に四つん這《ば》いになって下りた。
それはとても人間では不可能な、しなやかな四《し》肢《し》を持つものの動きだった。
そして、アッという間に、宏子の姿は公園の木立ちの間へと吸いこまれるように消えていた。タタッという足《ヽ》音《ヽ》。いや—— 走ったのではない。
四つ足で、しなやかな獣のように、走り去ったのである。
「——何だ、あいつは!」
と、リーダーの男が唖《あ》然《ぜん》として、言った。横倒しになったオートバイから転げ落ちた男が、倒れたままなので、リーダーの男はオートバイを寄せて、
「おい。——だらしないぞ!——おい」
気絶しちまったのか?
「おい、起こしてやれ」
一人がオートバイをおりて近寄ると、かがみ込んだ。
「ワッ!」
叫び声を上げて、飛び上がった弾みに、ヘルメットが外れてガラガラと音をたてて転がった。
「どうしたんだ」
「——血《ヽ》が《ヽ》」
声が震えていた。
「何だと?」
リーダーの男は、自分もオートバイをおりて、歩み寄った。
倒れた部下を引っ張り起こす。——頭がぐったりと後ろへ落ちた。
白目をむいて、死んでいる。首の後ろから、血が溢れるように流れ出ていた。
「——畜生!」
「どうしたんだ?」
「何か隠してたんだろう、武器を」
誰もが、呆気に取られているばかりで、実感がないようだった。
「妙な傷だ」
と、リーダーの男が呟《つぶや》いた。
刃物ではない。突いた傷でも、切った傷でもなかった。
ぎざぎざの、まるで引き裂いたような傷なのである。
あの女が? こんなことをやったのか?
「——あの走り方、見たか」
と、一人が言った。
「犬みたいだったぜ」
「いいか」
と、リーダーの男が声を荒げた。「仲間を殺《や》られたんだぞ! 何が何でも、見付けるんだ! 八つ裂きにしてやれ!」
オートバイのエンジンが唸《うな》った。
「どうします?」
「手分けして捜せ。公園の中へ逃げ込んだからな。どこかに隠れてる。——いいか、見付けたら、思い切りクラクションを鳴らせ」
リーダーの男はヘルメットをかぶり直した。
「——よし、行け!」
一斉にオートバイが走り出す。
公園へ入る、幅の広い階段を、次々にオートバイは駆け上って行った。
そして左右に分れ、さらに散って行った。——公園はかなりの広さがある。
中央の広場に、大きな丸い池と噴水があって、その周囲のベンチは、夏のころにはアベックの名所になる。この季節にも、五、六組のアベックが体を寄せ合っていたが、爆音をたててオートバイが何台も駆け抜けて行くと、みんなびっくりして、あわてて立ち上がり、公園から出て行ってしまった。
十三台の——いや、今は十二台になったオートバイも、広い公園の中に散れば、ほとんど互いに目には入らない。
木立ちや茂みの多い公園の中、遊歩道がくねくねと続いている。隠れる場所はいくらもありそうだった。
夜の公園に、オートバイの爆音が、こだまのように響き合っている……。
あれは何だったんだろう?
あの飛び方、四つ足の走り方。——あれは人間じゃない。
それじゃ何だっていうんだ? ゆうべは、あの女を兄貴たちが犯したじゃないか。あの時、あの女は確かに、生身の女だったんだ。
でも……。さっきの、あの女は、まるで別の生きものみたいだった……。
サブは、さっきリーダーに言われて、倒れていた仲間を起こそうとして飛び上がった。
あの女が、刃物を持っていたとしても、あんなに素早く、行動できただろうか?
サブは怯《おび》えていた。——だらしのない話だが、左右の木立ちの闇《やみ》が、怖くてたまらなかったのだ。
サブは十九歳である。このグループでは、一番若くて、下っぱということになる。
だから、ゆうべだって、あの女を犯すのには加わらなかった。いくらかは残念だったが、内心ホッとしてもいたのである。
女は嫌いじゃない。しかし、あんな風に、無抵抗の女を大勢で犯すというのは、サブの好みじゃなかった。
しかし、今夜のあの女は、はっきり、ゆうべとは違っている。何が起こったのか分らない。もちろん、「人間じゃない」と思ったのは理屈じゃなく、直感的なもので、じゃあ何なのか、と訊《き》かれたら、サブにも答えられなかったろう。
ともかく——今夜はどこか狂ってるんだ。
こんな夜は、早く帰って寝ちまうのが一番だ。
そう思っても、もちろん勝手に帰ったりするわけにはいかないのだ。
「ワッ」
カーブを曲って、目の前に誰かが突っ立っているのを見て、仰天する。
キーッとタイヤが鳴った。危うく、引っくり返らずに済んだ。
「——何だよ。はねちまうところだぜ」
と、息をついて、サブは言った。
オートバイが見当らない。ヘルメットが転がっていて、その仲間は、サブの方に背を向けて、ぼんやりと突っ立っているようだった。
「おい。——どうしたんだよ」
手をのばして、肩を叩《たた》くと、その仲間がゆっくりと振り向いた。
「助けてくれ……」
と、その男は言った。「死んじまうよ……」
サブは真青になった。仲間の腹が、獣に食い破られたように裂けて、血が溢《あふ》れ出していた。
「サブ……」
一歩前に出て、そのまま、その男は倒れてしまった。血だまりが、池のように広がって行く。
どうなってるんだ! こんなことが……。あの女がやったのか?
サブは、仲間を捜そうとした。知らせなきゃ。また誰かがやられる!
サブはオートバイを駆って、中央の池までやってきた。
「おい! 誰か!」
と、怒鳴ってみる。
オートバイのエンジンの音は、公園のあちこちから聞こえて来る。みんな走り回っているのだ。一《ヽ》人《ヽ》ず《ヽ》つ《ヽ》、ばらばらに。
危い。何人か固まっていないと、やられるかもしれない。
オートバイの音が、近付いて来た。
良かった! 誰かここへ来る。
木立ちの間から、オートバイが進んで来た。いやにゆっくり、真直ぐに走って来る。
木立ちの陰からそ《ヽ》れ《ヽ》が抜け出して来た時、サブは目を疑った。——何の冗談だ?
誰がやって来たのか、サブには分らなかった。
オートバイにまたがったその男には、首《ヽ》が《ヽ》な《ヽ》か《ヽ》っ《ヽ》た《ヽ》からだ。
やがてゆっくりとオートバイは横倒しになって、火花が飛んだ。
車輪が回り続けている。
サブは叫び出したかった。——やめてくれ! もうやめてくれ!
「——おい」
突然、後ろから声をかけられて、サブは叫び声を上げた。
「何をびびってるんだ」
「兄貴……」
サブは息をついた。グループでは、リーダーに次いでナンバーツーの男だ。
「あれは?」
「今、フラッと走って来たんだよ」
「——首がないぞ」
「向こうでも一人やられた」
「何だと?」
「オートバイを持ってったらしいよ」
と、サブは言った。
「畜生!——あの女がやったのか、こんなことを?」
「あの女、普通じゃねえよ」
「どうでもいい! このまま逃がすわけにゃいかねえぞ。一緒に来い」
「うん」
サブはほっとした。一人でないというだけで、救われたような気分になる。
木立ちの間を、少しゆっくり走らせる。
「よく左右を見てろよ」
「うん」
サブは、つい、後ろにも目をやってしまう。誰かがついて来るような気がするのだ。
「いたぞ」
「兄貴、どこに?」
訊《き》くまでもなかった。——行く手に、あの女がオートバイにまたがって、片足を地面に下ろし、立っていた。
こっちを見ている。——離れてはいたが、女の上半身が血で光っているのが見えた。返り血だ。サブはゾッとした。
「兄貴。みんなを呼ぼう」
「俺《おれ》一人で充分だ」
バシッと音がしてナイフが光る。「駆け抜けざま、あいつの首をかっ切ってやる」
エンジンが唸《うな》り、サブは、「兄貴」があの女に向かって突っ込んで行くのを見送っていた。——いやな予感がした。
女が、まるで動こうともしなかったからだ。
突然、途中でオートバイが転倒した。油だ! ガソリンをまいてあったのだ。
ちょうど影になった所で、目に入らなかったのである。
投げ出された兄貴が、立ち上がった。
その時、女が、何か光るものを投げるのが見えた。火が——一面の炎が、サブの視界を覆った。
炎の中に、「兄貴」が転げ回り、飛びはねるのが見えた。そしてすぐに、「兄貴」は動かなくなった……。
サブは身震いした。全身から汗がふき出す。
もう……もう沢山だ!
サブはオートバイを投げ出し、駆け出した。
逃げることしか、サブの頭にはなかった。見えない影に追われて——。
仁美と進は、道を進んで行った。
一体、あの銃声と悲鳴の下で、何が起こっているのか、考えたいとも思わなかった。考えたところで、何の役にも立たない。
今はともかく、何も恐れず、何にも怯《おび》えないことだけが必要なのだ。
仁美は、日本刀をしっかりと握りしめていた。何もないよりはましだろう。
——銃声がやんだ。
「終ったのかしら」
進は、
「ルミが——」
と、言ったきり、言葉を切った。
ルミが殺されたかもしれない、と思っているのだろう。たとえ獣の歯を持っていても、妹は妹なのだ。
二人は足を止めた。
月光の下で、三人の男が倒れていた。死んでいるのは一目で分かる。
一人は、喉《のど》を食いちぎられていた。
他の二人は——撃ち殺されている。何発も弾丸を撃ち込まれたのだろう。ずたずたになって、顔もほとんど見分けがつかない。
「ひどい……」
と、仁美は呟《つぶや》いた。「この人たちは……」
「あ《ヽ》れ《ヽ》だ《ヽ》っ《ヽ》た《ヽ》んだよ」
と、進が言った。
「そう……」
町の男たちが殺したのだ。
「他の人たちはどこに行ったのかしら?」
「先だよ、もっと。ルミもいる」
「そう。——町の人たちは、かまれてしまった人を、皆殺しにしようとしてるのね」
「うん」
進は肯《うなず》いた。「しょうがないのかもしれないけど、でも、ルミが撃ち殺されるのなんていやだ!」
「でも……進君を見ても、分るの?」
進は黙って首を振った。進にも、それは知りようのないことなのだろう。
「ごめんね、悪いこと訊《き》いて」
と、仁美は進の肩を抱いた。「じゃ、行こう」
「うん」
二人は歩き出した。
少し行って、足を止める。
「——向こうで声がしたね」
と、仁美は言った。「その細い道の奥じゃない?」
「危いかもしれないよ」
と、進が仁美を見る。「僕一人で行く」
「何言ってるの」
仁美は、微《ほほ》笑《え》んで言った。
どうして、こんな時に落ちついていられるんだろう、と仁美は自分でも不思議だった。
「一度、死ぬつもりだったのよ、私」
と、細い道へ入りながら、仁美は言った。
「どうして?」
「うん……。色々あってね。一家で死のうとしてたの」
「それで……やめたの?」
「そう。だけどね、一度そういう覚悟をすると、強くなるのよ、人間って」
「そうでなくとも、強そうだよ」
「まあ、何よ、その言い方」
と、仁美はポンと進の頭を叩《たた》いた。
「——ね、明りが」
「隠れよう」
二人は木立ちの中へと入って身を潜めた。
足音がして、町の男たちが三、四人、やって来る。
「——また、やり直しか?」
「仕方ないだろう」
「それまでが長いぞ」
「ああ、分ってる」
話しながら、仁美たちの目の前を通り過ぎて行った。
「——もっといたよね」
「うん。他の方へ行ってるのかもしれないけれど」
「そうか。でも、もう少し待ってみよう」
二人は、しばらくじっと息を殺していた。しかし、続いて誰かがやって来る気配はなかった。
「行ってみようか」
「うん」
二人は、そっと道へ出ると、さらに奥へと足を進めた。
ゆるい曲りだった。そこを曲った時、そ《ヽ》れ《ヽ》が目の前にあった。
仁美も、さすがに青ざめて、よろけた。目をそむけずにはいられない。
もう、それが誰だったのか、見分けることなどできなかった。それは単に残《ざん》骸《がい》にすぎなかったのだ。
「町の人じゃないと思うよ」
と、進が言った。
「じゃ、誰?」
「分んないけど、たぶん、おびき寄せるためのえ《ヽ》さ《ヽ》だったんだ」
「そこを狙《ねら》うつもりで」
邪魔が入って、間に合わなかったのだろう。何人かが(あるいは何《ヽ》匹《ヽ》かと言うべきか)、町の男たちを途中で妨害する役目だったのだ。
「じゃあ、もう今日は引き上げたのね、町の人たち」
と仁美は言った。
「そうじゃないぞ」
突然、背後で声がした。
とっさのことだった。仁美は、
「逃げて!」
と、進を押しやった。
進が木立ちの中へ飛び込む。仁美は反対側へ駆け出そうとして、銃声と共に目の前の地面がえぐれるのを見た。撃たれる!
「動くなよ」
と、男が近付いて来た。「おとなしく手を上げろ。そいつを捨ててな」
仕方ない。進はうまく逃げたようだ。
仁美は両手を上げた。
銃声を聞いたのか、男たちが五、六人、駆けつけて来た。
「どうした?」
「この娘が尾《つ》けて来てたんだ。例のガキと二人で」
「顔を見せろ」
月明りの方へ、仁美は向いた。
「新しく越して来た家の娘だ」
と、一人が言った。「どうして尾けて来たんだ?」
仁美は答えなかった。
「——困ったな。どうする?」
「何かあるんだ、こいつも。仲間かもしれない」
「そうじゃないだろう……」
「おい、待て」
と、仁美に銃を突きつけた男が、言った。
「いい機会だ」
「何のだ?」
「も《ヽ》う《ヽ》一《ヽ》度《ヽ》、チャンスがあるってことさ」
しばらく、男たちは黙っていた。
「——この娘を?」
「悪いか? 次の満月までに、また誰かやられるかもしれん」
「そうだ。どうせよそ者だ」
男たちが肯く。——仁美は膝《ひざ》が震えた。
「気の毒だな」
と、男の一人が仁美の後ろへ回った。「さぞいい匂《にお》いがするだろう」
次の瞬間、仁美は後頭部を殴られて気を失い、地面に倒れていた。