「物好きですね」
と、田中和子は仏頂面で言った。「どういう関係だったのかって訊かれたら、どう説明するんです?」
「心配するな」
久野原は車を走らせながら、「葬式の客に、いちいちそんなことは訊かない」
「ですが……」
「山倉宝石には、多少儲《もう》けさせてもらったからな。冥《めい》福《ふく》を祈っても罰は当らん」
乾いた木枯しが吹いて、枯葉が舞っていた。
真冬らしい青空が広がって、車の中にいる限りは、暖かった。むろん外はコートのえりを立てたくなる寒さだろう。
「——今、〈山倉家〉って札を持った人が立ってましたよ」
「そうか? 目がいいな」
「そこにも。あれを入るんじゃないですか」
——いやに近代的な、白いモダンな建物が見えて来た。
〈山倉建吉 告別式〉という文字が目に入る。——受付に記帳する、黒いスーツの男たちが十人ほどいた。
車を、案内の係に誘導されて駐車場へ入れると、久野原と和子は車から降りた。
受付で記帳した久野原は、
「おやおや」
と、呟《つぶや》いた。「見ろよ」
久野原の七、八人前に、〈熊沢高《たか》士《し》〉という名がある。
「あの熊沢さんですか」
「そうだろう。〈高士〉って名だったのか。知らなかった」
と、久野原は微《ほほ》笑《え》んだ。
「警部さんが何のご用でしょうね?」
「さあ。——身に覚えはないからな、会っても平気だが、もし山倉宝石の社長の死に不審な点があるのなら……」
「まさか。——心臓発作と聞きましたよ」
「何であれ、みんな心臓が止って死ぬんだ」
久野原は、ともかく斎場の焼香の列に加わった。
——正面の遺影は、いかにもおっとりとした風《ふう》貌《ぼう》の太った男で、久野原は、記憶の中を探った。
「憶《おぼ》えてるか?」
と、後ろの和子へそっと言った。
「はい。チューリヒでのパーティに、出ていらっしゃいましたよ」
「そうか」
——和子は人の顔や名前を憶えることにかけては天才的である。
「うん。——思い出した。女の子たちを両《りよう》脇《わき》に置いて記念写真を撮っていたな。『君たちがスマートに見える』と笑っていた」
「格別太った方でしたわ」
「ああ、そうだった」
人生を楽しんでいるように見えたものだが……。
あれからわずか三か月ほど。——人の運命は分らないものである。
——焼香をすませると、久野原は、真直ぐに背筋を伸して座っている未亡人の前に進み出て、
「この度は、お悲しみのことで」
と言った。「仕事でお世話になった者です」
「そうですか、わざわざどうも」
未亡人は、涙にくれているという風でもなかった。芯《しん》の強い女性らしい。
「——お母さん」
と、若い男が未亡人の後ろに来て、「ちょっと警察の人が……」
「でも、お客様が——。じゃ、お前、座ってて」
「分った」
息子は、父親に似ず細い体つきだった。
「先に出ていてくれ」
と、久野原は和子へ言った。
「あまり、余計なことに首を突っ込まないで下さいね」
和子は渋い顔で言った。
久野原は、出口へ向う列から離れ、親《しん》戚《せき》らしい男たちが何人か集まって話しているところをすり抜けて、奥の廊下へと出た。
「——何も、申し上げるようなことはありません」
と、未亡人の声が響いてくる。
コンクリートの、冷え冷えとした廊下には、熊沢警部の声がした。
「亡くなった夜、あるレストランで、ご主人を見かけたという人がいましてね」
「それがどうしましたの? 主人が食事していたからといって、何かいけないことでも?」
「いやいや、そういうわけでは……。ただ、その一緒だった若い女性のことが——」
「もう主人は死んだんです。確かに、品行方正な人ではなかったかもしれません。でも、今さらそんなことを持ち出して、主人を責めてみたところで——」
と、まくし立てるような未亡人に、熊沢もたじたじである。
そこへ、息子が顔を出し、
「お母さん、葬儀社の人が……」
「分ったわ。——もう戻ってもよろしいですか?」
熊沢も、とても「だめです」と言える状況ではなかった。ただ、
「もしかすると、また他日改めてお話をうかがいに上るかもしれません」
と言うのがやっと。
未亡人はさっさと席へ戻って行ってしまった。
熊沢が、底冷するほど寒いのに、ハンカチで汗を拭《ふ》いているのを見て、久野原は思わず笑った。
「——やあ、久野原さん」
熊沢は、心から嬉《うれ》しそうに、「見ておられたんですか?」
と言った。
「久野原さんが、山倉建吉のお知り合いだったとは……」
と、熊沢は言った。
「特別親しい付合いというわけではありませんよ。単に仕事で二、三度会ったことがあるだけです」
と、久野原は言った。「熊沢さんこそどうしてここへ? 何か死因に不審な点でもあるんですか?」
「近いですな」
二人は、式場から出た。
「ベッドで心臓発作を起し、そう長くは苦しまなかったろうに……」
と、熊沢は首を振った。
「他殺とでも? それなら死体を預かって——」
と、久野原が言いかけると、
「もう、ないのです」
と、熊沢は言った。
「ない?」
「ええ。もうお骨になってしまっているのです。今日のように、告別式を一般の人に向けて開くこともないではありませんが、山倉建吉のようなビジネスマンでは珍しいでしょう」
久野原は、信代という名の未亡人が、ハンカチで涙を拭《ぬぐ》いながら出てくるのを見ながら、
「何か、若い女と一緒だったとかおっしゃっていましたね」
「ええ。〈山倉宝石〉の社員から聞いたのですが、女子大生で、アルバイトにビル掃除をしていたと」
「女子大生?」
「ええ、その子のことをとても気に入って、食事に連れて行ったりしていたようなんです」
「亡くなった夜もその子と一緒にいたんですか」
「若い女と食事をしていたのは確かですが、女の写真があるわけでもないし」
と、熊沢は首を振った。
「——山倉さんの死に、何か怪しい点があるんですか」
「ちょっと、探りを入れている状態だったのです……」
「分りました。無理には訊《き》きません」
山倉の未亡人、信代が、会葬者へお礼を述べるのを聞いていた熊沢は、
「——その女子大生というのも、妙でして」
と小声で言った。
「ほう?」
「山倉建吉の死んだ翌日から、アルバイトに出てこなくなったのです。やめるという電話もなしに」
「その女子大生に話を聞く必要がありそうですね」
「ところが、その掃除会社から聞いた住所はでたらめでした。連絡は携帯電話へ入れていたようですが、その番号も今、使われていない」
「大学がどこかは?」
「大学に当ってみましたが、そういう名の学生はいなかったのです」
熊沢はため息をついて、「むろん、それで怪しいとは決めつけられません。ああいうバイトでは、身許をそううるさく訊きませんから、名前も住所も適当にこしらえてしまうのも珍しくないそうで。——といっても、その翌日から姿を見せないというのが気になります」
「その子が山倉さんを——」
「あるいは、巻き込まれて、一緒に殺されたか……。あの未亡人が、何か知っていると思うんですがね」
——会葬者たちが、それぞれに挨《あい》拶《さつ》を交わしながら、散って行く。
「では、いずれまた」
熊沢がていねいに会釈して立ち去ると、
「旦《だん》那《な》様」
と、和子がいつの間にかそばに来ていた。
「——そこにいたのか」
「今、ベンツに乗られる白髪の方、憶《おぼ》えておいでですか」
「ああ、あのパーティにいたな」
「私もそう思いましたので、近くで話を聞いていました」
「何の話を?」
「同業の方同士、四人ほど集まって、小声で話しておられたんです。——『よく死ぬな、このところ』と一人が言って、他の人が『この他に、このひと月に三人だぜ。縁起でもない』と」
「ひと月に三人?」
「あの白髪の方が、それを訊いて『偶然に決ってるだろう。変なことを言うな』と怒っておられたんです。——あれは、どう見ても、怯《おび》えておいででした」
「つまり……自分もそうなるかもしれない、ということか」
久野原は眉《まゆ》を寄せて考え込んでいたが、「——その『三人』というのを当ってみてくれないか」
「そうおっしゃると思いました」
和子は心得た様子で、「あの白髪の方のことは?」
「僕の方で調べるよ」
と、久野原は言った。
「やっぱり、物騒なことになりそうですね」
和子だって、そういうことが嫌いじゃないのだ。
久野原は、和子と車へ戻った。
「——一《いつ》旦《たん》家へ戻ろう。この服装じゃな」
「当然です。お浄めの塩をかけてさし上げます」
そういう点にこだわるのも、和子らしいところで、
「昔の人の知恵には、学ぶことがあるんです」
というわけだ。
久野原が、車を出そうとすると、長い車体のリムジンが道に停った。
「誰かな。遅れて来たのか」
久野原は、そのリムジンが邪魔で、車を出せずに待っていた。
リムジンから、黒いスーツの女が降り立った。
「——あら。日本へ帰られているんですね」
と、和子が言った。
「そうらしいな」
久野原は、秋月沙織が案内係の男に何か訊いているのを、車の中から見ていた。
秋月沙織はリムジンの運転手の方へ何か言うと、斎場の方へときびきびした足どりで歩いて行った。
——若い。もう五十になっているのに、あの足どりの早いこと、一分のむだもないところ。
久野原は感心した。
「——旦那様」
と、和子が言った。「もう、お車は出られますよ」
リムジンは、どこか一周して戻ることにしたのか、消えていた。
「分ってるよ」
久野原はそう言って車を出したのだった……。