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怪盗の有給休暇10

时间: 2018-07-30    进入日语论坛
核心提示:9 黒い葬列「物好きですね」 と、田中和子は仏頂面で言った。「どういう関係だったのかって訊かれたら、どう説明するんです?
(单词翻译:双击或拖选)
 9 黒い葬列
 
「物好きですね」
 
 と、田中和子は仏頂面で言った。「どういう関係だったのかって訊かれたら、どう説明するんです?」
 
「心配するな」
 
 久野原は車を走らせながら、「葬式の客に、いちいちそんなことは訊かない」
 
「ですが……」
 
「山倉宝石には、多少儲《もう》けさせてもらったからな。冥《めい》福《ふく》を祈っても罰は当らん」
 
 乾いた木枯しが吹いて、枯葉が舞っていた。
 
 真冬らしい青空が広がって、車の中にいる限りは、暖かった。むろん外はコートのえりを立てたくなる寒さだろう。
 
「——今、〈山倉家〉って札を持った人が立ってましたよ」
 
「そうか? 目がいいな」
 
「そこにも。あれを入るんじゃないですか」
 
 ——いやに近代的な、白いモダンな建物が見えて来た。
 
〈山倉建吉 告別式〉という文字が目に入る。——受付に記帳する、黒いスーツの男たちが十人ほどいた。
 
 車を、案内の係に誘導されて駐車場へ入れると、久野原と和子は車から降りた。
 
 受付で記帳した久野原は、
 
「おやおや」
 
 と、呟《つぶや》いた。「見ろよ」
 
 久野原の七、八人前に、〈熊沢高《たか》士《し》〉という名がある。
 
「あの熊沢さんですか」
 
「そうだろう。〈高士〉って名だったのか。知らなかった」
 
 と、久野原は微《ほほ》笑《え》んだ。
 
「警部さんが何のご用でしょうね?」
 
「さあ。——身に覚えはないからな、会っても平気だが、もし山倉宝石の社長の死に不審な点があるのなら……」
 
「まさか。——心臓発作と聞きましたよ」
 
「何であれ、みんな心臓が止って死ぬんだ」
 
 久野原は、ともかく斎場の焼香の列に加わった。
 
 ——正面の遺影は、いかにもおっとりとした風《ふう》貌《ぼう》の太った男で、久野原は、記憶の中を探った。
 
「憶《おぼ》えてるか?」
 
 と、後ろの和子へそっと言った。
 
「はい。チューリヒでのパーティに、出ていらっしゃいましたよ」
 
「そうか」
 
 ——和子は人の顔や名前を憶えることにかけては天才的である。
 
「うん。——思い出した。女の子たちを両《りよう》脇《わき》に置いて記念写真を撮っていたな。『君たちがスマートに見える』と笑っていた」
 
「格別太った方でしたわ」
 
「ああ、そうだった」
 
 人生を楽しんでいるように見えたものだが……。
 
 あれからわずか三か月ほど。——人の運命は分らないものである。
 
 ——焼香をすませると、久野原は、真直ぐに背筋を伸して座っている未亡人の前に進み出て、
 
「この度は、お悲しみのことで」
 
 と言った。「仕事でお世話になった者です」
 
「そうですか、わざわざどうも」
 
 未亡人は、涙にくれているという風でもなかった。芯《しん》の強い女性らしい。
 
「——お母さん」
 
 と、若い男が未亡人の後ろに来て、「ちょっと警察の人が……」
 
「でも、お客様が——。じゃ、お前、座ってて」
 
「分った」
 
 息子は、父親に似ず細い体つきだった。
 
「先に出ていてくれ」
 
 と、久野原は和子へ言った。
 
「あまり、余計なことに首を突っ込まないで下さいね」
 
 和子は渋い顔で言った。
 
 久野原は、出口へ向う列から離れ、親《しん》戚《せき》らしい男たちが何人か集まって話しているところをすり抜けて、奥の廊下へと出た。
 
「——何も、申し上げるようなことはありません」
 
 と、未亡人の声が響いてくる。
 
 コンクリートの、冷え冷えとした廊下には、熊沢警部の声がした。
 
「亡くなった夜、あるレストランで、ご主人を見かけたという人がいましてね」
 
「それがどうしましたの? 主人が食事していたからといって、何かいけないことでも?」
 
「いやいや、そういうわけでは……。ただ、その一緒だった若い女性のことが——」
 
「もう主人は死んだんです。確かに、品行方正な人ではなかったかもしれません。でも、今さらそんなことを持ち出して、主人を責めてみたところで——」
 
 と、まくし立てるような未亡人に、熊沢もたじたじである。
 
 そこへ、息子が顔を出し、
 
「お母さん、葬儀社の人が……」
 
「分ったわ。——もう戻ってもよろしいですか?」
 
 熊沢も、とても「だめです」と言える状況ではなかった。ただ、
 
「もしかすると、また他日改めてお話をうかがいに上るかもしれません」
 
 と言うのがやっと。
 
 未亡人はさっさと席へ戻って行ってしまった。
 
 熊沢が、底冷するほど寒いのに、ハンカチで汗を拭《ふ》いているのを見て、久野原は思わず笑った。
 
「——やあ、久野原さん」
 
 熊沢は、心から嬉《うれ》しそうに、「見ておられたんですか?」
 
 と言った。
 
 
 
「久野原さんが、山倉建吉のお知り合いだったとは……」
 
 と、熊沢は言った。
 
「特別親しい付合いというわけではありませんよ。単に仕事で二、三度会ったことがあるだけです」
 
 と、久野原は言った。「熊沢さんこそどうしてここへ? 何か死因に不審な点でもあるんですか?」
 
「近いですな」
 
 二人は、式場から出た。
 
「ベッドで心臓発作を起し、そう長くは苦しまなかったろうに……」
 
 と、熊沢は首を振った。
 
「他殺とでも? それなら死体を預かって——」
 
 と、久野原が言いかけると、
 
「もう、ないのです」
 
 と、熊沢は言った。
 
「ない?」
 
「ええ。もうお骨になってしまっているのです。今日のように、告別式を一般の人に向けて開くこともないではありませんが、山倉建吉のようなビジネスマンでは珍しいでしょう」
 
 久野原は、信代という名の未亡人が、ハンカチで涙を拭《ぬぐ》いながら出てくるのを見ながら、
 
「何か、若い女と一緒だったとかおっしゃっていましたね」
 
「ええ。〈山倉宝石〉の社員から聞いたのですが、女子大生で、アルバイトにビル掃除をしていたと」
 
「女子大生?」
 
「ええ、その子のことをとても気に入って、食事に連れて行ったりしていたようなんです」
 
「亡くなった夜もその子と一緒にいたんですか」
 
「若い女と食事をしていたのは確かですが、女の写真があるわけでもないし」
 
 と、熊沢は首を振った。
 
「——山倉さんの死に、何か怪しい点があるんですか」
 
「ちょっと、探りを入れている状態だったのです……」
 
「分りました。無理には訊《き》きません」
 
 山倉の未亡人、信代が、会葬者へお礼を述べるのを聞いていた熊沢は、
 
「——その女子大生というのも、妙でして」
 
 と小声で言った。
 
「ほう?」
 
「山倉建吉の死んだ翌日から、アルバイトに出てこなくなったのです。やめるという電話もなしに」
 
「その女子大生に話を聞く必要がありそうですね」
 
「ところが、その掃除会社から聞いた住所はでたらめでした。連絡は携帯電話へ入れていたようですが、その番号も今、使われていない」
 
「大学がどこかは?」
 
「大学に当ってみましたが、そういう名の学生はいなかったのです」
 
 熊沢はため息をついて、「むろん、それで怪しいとは決めつけられません。ああいうバイトでは、身許をそううるさく訊きませんから、名前も住所も適当にこしらえてしまうのも珍しくないそうで。——といっても、その翌日から姿を見せないというのが気になります」
 
「その子が山倉さんを——」
 
「あるいは、巻き込まれて、一緒に殺されたか……。あの未亡人が、何か知っていると思うんですがね」
 
 ——会葬者たちが、それぞれに挨《あい》拶《さつ》を交わしながら、散って行く。
 
「では、いずれまた」
 
 熊沢がていねいに会釈して立ち去ると、
 
「旦《だん》那《な》様」
 
 と、和子がいつの間にかそばに来ていた。
 
「——そこにいたのか」
 
「今、ベンツに乗られる白髪の方、憶《おぼ》えておいでですか」
 
「ああ、あのパーティにいたな」
 
「私もそう思いましたので、近くで話を聞いていました」
 
「何の話を?」
 
「同業の方同士、四人ほど集まって、小声で話しておられたんです。——『よく死ぬな、このところ』と一人が言って、他の人が『この他に、このひと月に三人だぜ。縁起でもない』と」
 
「ひと月に三人?」
 
「あの白髪の方が、それを訊いて『偶然に決ってるだろう。変なことを言うな』と怒っておられたんです。——あれは、どう見ても、怯《おび》えておいででした」
 
「つまり……自分もそうなるかもしれない、ということか」
 
 久野原は眉《まゆ》を寄せて考え込んでいたが、「——その『三人』というのを当ってみてくれないか」
 
「そうおっしゃると思いました」
 
 和子は心得た様子で、「あの白髪の方のことは?」
 
「僕の方で調べるよ」
 
 と、久野原は言った。
 
「やっぱり、物騒なことになりそうですね」
 
 和子だって、そういうことが嫌いじゃないのだ。
 
 久野原は、和子と車へ戻った。
 
「——一《いつ》旦《たん》家へ戻ろう。この服装じゃな」
 
「当然です。お浄めの塩をかけてさし上げます」
 
 そういう点にこだわるのも、和子らしいところで、
 
「昔の人の知恵には、学ぶことがあるんです」
 
 というわけだ。
 
 久野原が、車を出そうとすると、長い車体のリムジンが道に停った。
 
「誰かな。遅れて来たのか」
 
 久野原は、そのリムジンが邪魔で、車を出せずに待っていた。
 
 リムジンから、黒いスーツの女が降り立った。
 
「——あら。日本へ帰られているんですね」
 
 と、和子が言った。
 
「そうらしいな」
 
 久野原は、秋月沙織が案内係の男に何か訊いているのを、車の中から見ていた。
 
 秋月沙織はリムジンの運転手の方へ何か言うと、斎場の方へときびきびした足どりで歩いて行った。
 
 ——若い。もう五十になっているのに、あの足どりの早いこと、一分のむだもないところ。
 
 久野原は感心した。
 
「——旦那様」
 
 と、和子が言った。「もう、お車は出られますよ」
 
 リムジンは、どこか一周して戻ることにしたのか、消えていた。
 
「分ってるよ」
 
 久野原はそう言って車を出したのだった……。
 
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