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怪盗の有給休暇11

时间: 2018-07-30    进入日语论坛
核心提示:10 ジェラシー 階段教室のドアが、バタンと派手な音をたてて開いたときも、別に誰一人として驚かなかった。 どうせ、単位がす
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 10 ジェラシー
 
 
 階段教室のドアが、バタンと派手な音をたてて開いたときも、別に誰一人として驚かなかった。
 
 どうせ、単位がすれすれの学生が、遅刻してやって来たのかと思ったのである。
 
 壇上の講師は、やれやれ、という顔で、そのドアの方を見上げた。遅れて来るにしても、ほどがある! あと十分で終るというころになってやって来て、「遅刻扱いにして下さい」などと言っても、聞いてやるものか!
 
 しかし——講師は当惑して、講義は途切れることになった。
 
 どう見ても、教室へ入って来たのは、学生ではなかったからだ。——あの白髪が、染めたものだというのならともかく……。
 
「何のご用です?」
 
 と、講師は訊《き》いた。
 
 半分——というより大部分、ウトウトしていた学生たちが、一斉に振り向く。
 
「お邪魔して申し訳ない」
 
 白髪の、その男はコートも脱がずに、青ざめた顔で、「人を捜しているのです」
 
「今は講義中で——」
 
「よく分っています」
 
 どう見ても六十前後の、企業の重役かと思える身なりの男である。
 
「もう十分もお待ちいただけば……」
 
「一刻を争うのです」
 
 と、男は言った。「用があるのは、この教室にいる、たった一人の学生さんだけです」
 
「しかし——」
 
 ガタッと音がして、立ち上ったのは、前から三列目にいて、熱心に講師の話を聞いていた女子学生だった。
 
「すみません、先生」
 
「島崎君、君か?」
 
「私の知り合いです」
 
 と、島崎美鈴は言った。「——出ていて下さい」
 
 と、白髪の男へ向って言った。
 
「外で待っていて」
 
「美鈴——」
 
 と、男は階段を彼女のそばまで駆け下りると、「どうしても至急話さなきゃいけないことがあるんだ!」
 
「ほんの十分くらい、待っていられるでしょう? お願い。出て行って下さい!」
 
 美鈴の語気の激しさに、階段教室はシンと静まり返った。
 
「——分った」
 
 と、白髪の男は肩を落として、「教室の表にいる」
 
 階段を一段一段、やっとの思いで上って行く。——その後ろ姿は、ひどく老けて見えた。
 
 ドアの外へ、男が消えると、
 
「お騒がせしました、先生」
 
 と、島崎美鈴は言って、腰をおろした。
 
 とたんに教室がざわつく。
 
「静かに!」
 
 と、講師は大声を出した。
 
 もちろん、みんな、
 
「今の、誰?」
 
「美鈴の彼にしちゃ老けてる」
 
 といった話をしているのだ。
 
「静かに!」
 
 と、講師はくり返して、「次のテストの範囲について説明する」
 
 と言うと、教室内がスッと静かになる。
 
 これが一番効くのである。
 
 もう、時間もない。——講師は本当に、まだ少し間のある、テストの出題範囲についてザッと説明した。
 
「——分ったね」
 
 と、念を押すと、
 
「先生、もう一回!」
 
 あれだけ簡単な話もメモできんのか?
 
「友だちに聞きなさい」
 
 と、講師は言った。
 
「ケチ」
 
 という声がそこここで上ったが、今どきの「先生」はそんなことでめげないのである。
 
「では、今日はこれで終る」
 
 と、講師は学生の最も歓迎する一言を発した。
 
 これを聞くと、「ケチ」呼ばわりしていた学生たちも一斉に席を立ってしまうのである。——「もう一回」とねだったテストの範囲は?
 
 大方、夜中に「携帯」ででも友だちとおしゃべりしながら、ついでに訊《き》こうというのだろう。
 
 一人、席を立たないのは、島崎美鈴だった。
 
「君……」
 
「先生、すみません。すぐ出ます」
 
「いや、いいんだ。別にこの後すぐにここを使うわけでもないようだしね。——今出て行くと、他の学生たちにつかまるだろう。ゆっくり出なさい」
 
「ありがとう」
 
 美鈴は、講師が資料を抱えて階段を上っていくのを見送って、それから自分のノートを閉じた。
 
 美鈴が階段教室を出ると、学生たちはもう次の教室へ移動したり、帰る者は帰ったりで、誰もいなかった。
 
「——山《やま》城《き》さん」
 
 と、美鈴は呼んだ。「山城さん。——どこですか?」
 
 廊下は、何人か足早に通り過ぎていく学生がいるだけで、どこにも白髪の紳士の姿は見えなかった。
 
 美鈴は少しホッとして——それでも、つい前後を見回しながら歩き出した。
 
 すると——廊下にバタバタと数人の足音が響いて、コートを翻して駆けてくる男たちがいる。
 
「——島崎美鈴さん?」
 
 と、駆けつけた、がっしりした男が言った。「警察の者だ」
 
「警察?」
 
「熊沢という。島崎美鈴——」
 
「はい、私です」
 
「ここに、山城徹《てつ》治《じ》が来たかね?」
 
「宝石店を経営されてる山城さんのことですか」
 
「店は破産した」
 
「——え?」
 
「保管していた有名な宝石がほとんどイミテーションと分ったんだ。この大学へ行くというメモを残して姿が見えない。奥さんが心配して連絡をくれた」
 
 と、熊沢は言った。
 
「あの……今の講義のときに……」
 
 美鈴が説明すると、熊沢は部下の刑事たちへ、
 
「この辺を捜せ!」
 
 と、言いつけた。
 
 刑事たちがバラバラと散っていく。
 
「——刑事さん」
 
「見付かるといいがね」
 
 と、熊沢は言った。
 
「山城さんは……」
 
「宝石を度々持ち出していた、と店の人間が言っていた。君がもらったのか?」
 
「いいえ! とんでもない」
 
 と、美鈴は即座に否定した。「下さると言われたことはあります。でも、学生の身でそんなものいただいても、使いようもないし……」
 
 そこへ、若い刑事が一人戻って来て、
 
「警部にお会いしたいという人がいます」
 
「何だと? 誰だ?」
 
「私ですよ」
 
 その人物を見て、美鈴は目を見開いて、
 
「まあ!」
 
 と言った。「チューリヒで……」
 
「やあ、どうも」
 
「久野原さん」
 
 と、熊沢は眉《まゆ》をひそめて、「大学に何のご用で?」
 
「今、こちらのお嬢さんが言った通り、スイスのチューリヒのホテルで、一緒になったことがあってね」
 
 と、久野原は言った。「正門の辺りで待つつもりだったが、パトカーがいて、どうも様子がおかしい。それでこうして入って来てしまった」
 
「実は今……」
 
「学生たちが盛んに噂《うわさ》していたのを聞いたよ。——山城さんは、あの夜、パーティで一緒だった人だね」
 
「ええ」
 
 美鈴は目を伏せて、「帰国してから、お電話があり、パーティのとき、何気なくお話しした、アクセサリーの修理のことで、会いたいと……」
 
「口実だね」
 
「ええ……。どうして私なんかにって思いましたが、お会いしていると、学生仲間とは違って、大人の話が聞けて楽しいし、おいしいものはごちそうして下さるし、つい私も甘えてしまったんです」
 
「恋人に?」
 
 久野原の問いに、美鈴はすぐには返事をしなかった。それが答えと同じだ。
 
「——いけないと思っていました」
 
 と、美鈴は目を伏せて、「でも、二度だけです。——言いわけみたいですけど、ほとんど添い寝をしていただけでした」
 
「君も子供じゃない。そのことをとやかくは言わないと思うよ、刑事さんも」
 
 と、久野原は熊沢を見て言った。
 
「私の興味があるのは、今、山城がどこにいるか、ということだけです」
 
 と、難しい顔で熊沢が言った。
 
「待って下さいよ。捜査一課の熊沢さんが出て来たとなると……」
 
「まあ、捜査一課って、殺人事件を扱うんじゃありませんでした?」
 
 それに熊沢が答える前に、
 
「——警部!」
 
 と、部下の刑事が駆けて来た。「来て下さい! 外で……」
 
「何だ?」
 
 久野原も耳にしていた。何か、表で騒ぎが起きている。
 
 急いで校舎から出てみると、学生が大勢集まって、みんなが上の方を見上げている。
 
「——山城さん!」
 
 と、美鈴が息をのんだ。
 
 五階建の講義棟の一番上の階、張り出した窓の外に、あの白髪の男が、コートを着たまま立っていた。
 
 風が吹きつけているので、コートの裾《すそ》はバタバタとはためいていた。
 
「——おい、動くな!」
 
 と、熊沢が怒鳴った。「助けに行くぞ! じっとしてろ!」
 
 熊沢が部下の刑事を連れて、また棟の中へと駆け込んで行く。
 
「山城さん……」
 
 美鈴は、少し遠巻きにして見守る学生たちの中から前へ進み出て、山城を見上げた。
 
「美鈴……」
 
 山城が、青ざめ、窓枠につかまっている。
 
 久野原は、美鈴に危険が及ばない限りは手を出さないつもりで、事態を見守っていた。
 
「——山城さん」
 
 と、美鈴が下から呼んだ。「聞こえますか?」
 
「ああ……」
 
 周囲の学生たちも口をつぐんで、辺りは静寂に包まれた。
 
 今、熊沢たちが必死で階段を駆け上っているだろう。
 
「お願い、山城さん」
 
 と、美鈴は言った。「中へ戻って。私にできることは何でもします。ですから、早まったことはしないで」
 
「君には感謝してるよ」
 
 と、山城は言った。「それなのに、こんなことをして、すまない」
 
「やめて下さい、山城さん」
 
「君の目の前で死ねれば本望だ」
 
「いけないわ!」
 
「他に道はない。君にも分ってるだろう」
 
 と、山城は言った。「君も気を付けてくれ! 君は若いんだ。——死ぬな」
 
「そんな……。私に言うのなら、山城さんも死なないで!」
 
 と、美鈴が叫んだ。
 
 熊沢たちは間に合うのか?
 
 久野原は、窓の中へじっと目をやっていた。
 
 もし、熊沢たちが窓の所まで行き着けば、山城を捕まえることができるだろう。
 
 しかし、
 
「もう面倒になったんだよ」
 
 山城は、どこかホッとした様子で言うと、
 
「今さら、やり直したくない……」
 
 と言って、目を空へ向けた。
 
 アッ、という声にならない声が広がる。
 
 窓枠から手を放し、山城の体は一瞬の内に地面まで墜落していた。
 
 久野原は、美鈴へ駆け寄った。
 
「見るな」
 
 と、美鈴の前に立って、視界を遮った。
 
「久野原さん……」
 
「もう助からないよ」
 
 久野原はそっと振り返った。
 
 レンガ敷の歩道に、コートを旗のように広げて、山城は倒れている。少し血を吐いていたが、顔は穏やかだった。
 
「畜生!」
 
 窓から熊沢が顔を出して、悔しがった。
 
「久野原さん! 死んでますか」
 
「ああ、間違いない。下りていらっしゃい」
 
 と、久野原は言った。
 
「もう少しだったのに!」
 
 階段を必死で駆け上ったせいで、熊沢は苦しそうに息をしていた。
 
「——久野原さん」
 
 美鈴が、自分の白いコートを脱いで、差し出した。
 
 久野原は、それを両手で広げて持つと、山城の死顔の上へフワリとかけたのだった……。
 
 
 
「さあ、これを飲んで」
 
 と、久野原が手渡した、熱いミルクの入ったカップを、
 
「ありがとう」
 
 と、美鈴は受け取った。
 
 大学の事務室の奥、衝立で仕切られた接客用のソファに、美鈴は腰をおろしている。
 
「——少し落ちついたかね」
 
「はい……。気をつかっていただいて、すみません」
 
 と、美鈴はミルクをゆっくり飲んで、「——体が温ります」
 
「コートがなくちゃ寒いだろう。僕のコートを着ていくといい」
 
「いえ、大丈夫です」
 
「熊沢警部は、古い知り合いだ。無理を言う人じゃないからね」
 
 久野原の言葉に、美鈴は大分平静を取り戻したようだった。
 
「——でも、山城さんはなぜあそこまで……」
 
「さあね。店の倒産だけでも、自殺する人間はいる。しかし、君には感謝していたじゃないか」
 
「良かったんでしょうか、あれで——」
 
 と、ため息をついて、「一度、あの人に抱かれてしまってからは、私が男の子と会うだけでも辛そうでした。私、ついわざと一緒にスキーに行った男の子の話とかしてしまって……。もちろん、グループ旅行ですよ。男の子とどうこうなんて、ありませんでしたけどそういう話をすると、山城さんは『胸をかきむしりたい!』なんて、オーバーに妬《や》いて見せるんです。二人で大笑いして……。でも、それって本当の気持だったのかもしれない、って時々感じました」
 
「あの年齢になって、恋に落ちるというのは危険なことだ」
 
 と、久野原は肯《うなず》いて、「君を愛しながら、君の若さに嫉《しつ》妬《と》をしていたんだろうね」
 
「私……何だかあの人にひどいことをしてたのかしら」
 
 と、首を振った。
 
「いや、恋というものには、そういう苦しみがつきものだよ。君が悪いことをしたわけじゃない」
 
「ありがとう」
 
 美鈴はやっとぎこちない笑顔を見せた。
 
 傷ついた子供のような、そして、みっともないところを見せたくない大人のような、その美鈴の表情は、久野原の心を動かした。
 
「——何とかすみましたよ」
 
 と、熊沢がやって来た。「大学側は、あまり騒がれたくないと言ってます。当然でしょうな」
 
「そういえば」
 
 と、久野原は言った。「あのとき一緒だった他の二人は、今日はいなかったようだね」
 
「そのことでも、ちょっと心配してるんですけど……」
 
 と、美鈴がカップをテーブルに置いて、「涼子がいなくなっちゃったんです」
 
「いなくなった?」
 
「ここ一週間くらい、マンションにも帰ってないみたいなんです。大学にも来ないし」
 
「木村涼子だったかな? 三年生だね、確か?」
 
「はい。関口ゆかりとよく一緒で。——でもそのゆかりも、涼子がどこへ行ったか見当がつかないって言っています」
 
「捜索願は?」
 
「いえ、それはまだ……」
 
「その子は、二十一?」
 
 と、熊沢が訊《き》いた。
 
「ええ、そうです」
 
「——写真でもないかね」
 
「待って下さい」
 
 美鈴は、バッグから手帳を取り出すと、「この——左から二番めの子です」
 
 熊沢は、その写真の木村涼子をじっと見ていたが、
 
「ショックを受けた後で、こんなことは言いたくないが……」
 
 と、ためらった。
 
「——何ですか」
 
「感じは大分違うが……。一緒に来てくれるかね」
 
 美鈴が久野原の方を見た。
 
「私も行こう。その子なら、私も知ってる」
 
 と、久野原は言った。
 
「どこへ——行くんですか」
 
 美鈴はそう訊いたが、答えは分っていた。ただ、そう信じたくなかったのだろう。
 
 熊沢も、あえて言わず、黙って美鈴を促したのだった……。
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