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黒い壁12

时间: 2018-07-30    进入日语论坛
核心提示:12 惨 劇 説子は目をさました。 今のは? 夢の中だろうか。 いや、それは妙だ。何の夢も見ていなかったのに、聞いたりす
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  12 惨 劇
 
 説子は目をさました。
 
 ——今のは? 夢の中だろうか。
 
 いや、それは妙だ。何の夢も見ていなかったのに、聞いたりするだろうか?——女の悲鳴を。
 
「ね、利根さん」
 
 と、小声で呼ぶ。「——利根さん。起きて」
 
 しかし、利根はツインベッドの一つで、寝返りを打っただけだった。
 
 仕方ない。——無理に起すのも気がすすまず、説子はベッドから出て、バスローブをはおった。
 
 二人で、夕食をとってこのホテルへチェックインして……。
 
「明日、休んじまおうか」
 
 と、利根が言うほど、クタクタになるまで愛し合った。
 
 そのせいで、ぐっすり眠っている利根に文句を言っても……。
 
 時計へ目をやると、午前四時になっていた。
 
 今のは本当に悲鳴だったろうか?
 
 説子は、ドアへ近付くと、覗《のぞ》き窓《まど》から廊下を見た。
 
 誰もいないし、誰一人駆けつけても来ない。
 
 じっと耳を澄ましても、何も聞こえない。
 
 やはり気のせいか……。
 
 説子は、バスルームへ行って顔を洗った。——眠気はいくらかさめたが、十分もすれば眠ってしまうだろうと思えた。
 
 タオルで顔を拭《ぬぐ》い、ベッドへ戻ろうとして……説子はもう一度ドアへ寄って、廊下を覗き見た。
 
 何ごともない。——平穏無事である。
 
 説子がドアから離れようとしたとき、隣室のドアが開いた。
 
 もう一度目をつける。
 
 男が一人、黒いコートをはおって出て来た。そして、説子の見る前を通り過ぎて、エレベーターの方へと消えた。
 
 それだけだ。——それだけ。
 
 気にはなったが、通報するには根拠が乏しい。
 
 説子は、ベツドへ戻って目を閉じた。
 
 今は、厄介なことを少しでも遠ざけたいのだ。何も、わざわざ、もめごとの種を自分でまくことはない。
 
 ——寝よう。
 
 ギュッと目をつぶって、説子は眠ろうとした。
 
 あの悲鳴も、目の前を通って行った男も、全部夢の中のことだ……。
 
 そう。——いつしか、説子は再び眠りに落ちて行った。
 
 
 
「——毎朝、こんな朝食だといいね」
 
 と、利根は上機嫌で、ビュッフェスタイルの朝食をたっぷりと皿にとって食べていた。
 
「家でこんなもの、作れないわよ」
 
 と、説子は笑った。
 
「まだ早い。こんなにのんびり食べてられるなんてな」
 
「そりゃ、会社まで十分だもの」
 
「いいな、実に」
 
「私も、今朝はお腹が空いて。——取ってくるわ」
 
 説子は、ゆで卵、スクランブルエッグから、ベーコン、ハムなどをどんどん皿へ取った。
 
 そして——ふと説子の目はフロントの方へ向いた。
 
 警官が数人、急いでフロントへ駆けつけ、そして案内されてエレベーターへ……。
 
 まさか……。
 
 テーブルへ戻ると、
 
「ああ、もう満腹だ」
 
 と、利根が言った。
 
「ね、フロントに……」
 
「うん?」
 
 振り向いて、「警官がいるね」
 
 説子は少し迷って、
 
「——さ、早く食べましょ。ここから遅刻したら、みっともないわよ」
 
 と言った。
 
 もちろん、あれがゆうべの悲鳴と同じことだとは限らないわけだ。全く別の事件かもしれない。
 
 無理に自分自身へそう言い聞かせて、説子は忘れようとした。
 
 耳の底で、いつの間にか悲鳴を打ち消す、別の音を捜していたのかもしれない。
 
 
 
「——君は?」
 
 フロントで、山代弥生は問われて、
 
「呼ばれて来ました。あの……本当に——」
 
「君の名前は?」
 
 と、刑事が言っていた。
 
「山代弥生です」
 
「大学生?」
 
「S大文学部です」
 
「学生証を」
 
 山代弥生は、バッグから学生証を取り出して刑事へ渡した。手が震えている。
 
「——はい。それじゃ、こっちへ」
 
 学生証を返すと、刑事は弥生を連れてエレベーターへと向った。
 
 山代弥生は、大学へ行く仕度をして、家を出ようとしたとき、電話が入ったのである。
 
 Kホテル。——木浜和子という子を知っているか。
 
 親友の名が出て、弥生はびっくりした。
 
 呼ばれて駆けつけたのだが、信じられなかった。誰か、他の子の間違いだ、と思いたかった。
 
 エレベーターの中で、
 
「友だちかね」
 
 と、刑事が訊《き》いた。
 
「はい。でも……」
 
「辛《つら》いだろうが、ともかく見てくれ」
 
「本当に……和子ですか」
 
 と、弥生は言った。
 
「さあ。それを君に見てもらうんだ」
 
 エレベーターが停り、扉が開く。
 
「僕は国原」
 
 と、刑事が言った。「五十歳だ。君のお父さんくらいか」
 
「父は——五十二です」
 
「同じ世代だな」
 
 廊下に人が大勢いた。国原という刑事は、五十にしては若く見えた。
 
「どいてくれ。——中は?」
 
「今、検死官が」
 
「そうか。身《み》許《もと》の確認だ」
 
 弥生は、逃げ出したかった。
 
 ——木浜和子は、同じS大の二年生で、大学の中では一番の仲良しである。
 
 弥生が呼ばれたのは、和子が上京して一人住いをしているからだ。その手帳のトップに、弥生の名前があったのである。
 
「入って」
 
 と、国原が手招きする。
 
 こわごわ中へ入ると、ダブルベッドが目に入った。——シーツはしわになっているが、そこには何もなかった。
 
「——木浜和子さんの物?」
 
 テーブルの上のバッグや財布、そして教科書……。
 
「そうです」
 
 弥生の声がかすれている。
 
「現場はバスルームだ」
 
 と、国原が言った。「君には気の毒だが、まず被害者がはっきりしないと、何もできないのでね」
 
 弥生は青ざめた顔で肯《うなず》いた。
 
「来てくれ」
 
 国原に促されて、弥生は震える足でバスルームの中へ入って行った。
 
 写真のフラッシュが光る。——バスタブの傍らに、膝《ひざ》をついていた男が振り返った。
 
「国原君。こいつはプロの手口だ。刃物を扱い慣れてるよ。鮮やかなもんだ」
 
「検死官。——被害者の友人です」
 
「ああ、そうか。まあ……仕方ない。見てくれ」
 
 弥生は前へ押し出されるようにして、バスタブの手前まで行った。
 
 目をそろそろと上げる。
 
 和子……。
 
「友だちかね」
 
 と、国原が言った。「肯くだけでいい」
 
 弥生は肯いた。
 
「分った。ありがとう」
 
 弥生は支えられてバスルームを出ると、そこで緊張の糸がプツンと切れて、失神してしまった。
 
 
 
「——大丈夫か」
 
 冷たいおしぼりが額にのせられて、弥生はソファに寝かされていた。
 
「ここは、別の部屋だ」
 
 国原刑事がそばに椅子を持って来て座っていた。
 
「私……気絶したんですね」
 
「当然だ。無理をさせて、すまなかったね」
 
 弥生は、大きく息を吐いて、
 
「和子……苦しまなかったでしょうか」
 
 と訊いた。
 
「喉《のど》を切られて、一瞬の出血のショックで亡くなったろう。苦しみは長くなかったと思う」
 
「そうですか……。でも、むごい……」
 
 弥生は涙を拭《ぬぐ》った。
 
「犯人は、どうやら外国人らしい」
 
「え?」
 
「金髪の男性、という証言がある。印象としては、ややいかつい、ドイツ風の顔だということだ」
 
 弥生は、ゆっくりと起きて、
 
「和子は……仕送りが止ってたんです」
 
「家からの?」
 
「不況で、送れないと言って来たって。困ってました」
 
「いつのことだね?」
 
「二年生になったばかりのころです」
 
「それで——」
 
「アルバイトを捜してました。でも、その内、ずいぶん洒《しや》落《れ》た服も着たりするようになって……。本人は、『また父の所がうまく行ってるの』と言っていましたが、みんな分ってました」
 
「つまり、男と……」
 
「他に考えられません。どんどん持っている物もブランド品になって」
 
 弥生はため息をついて、「私が、もっときつく言って、やめさせれば良かった……」
 
「子供じゃない。仕方ないさ」
 
 国原は言った。「そうなると厄介だな。特定の恋人じゃないというわけだ」
 
「そうです」
 
「彼女が——男を見付けるのは、何かそういうクラブなどに入ってのことかね?」
 
「分りません。訊いたこともないし、訊いてもしゃべらなかったでしょう」
 
 弥生はそう言って、「ご両親には……」
 
「今、こっちへ向っておられる」
 
「そうですか」
 
「君の持物だ。これで全部かな?」
 
 と、国原が言った。「持っていたものが、倒れたときにあちこち飛んでいってしまってね」
 
「すみません!」
 
 弥生はタオルで顔を拭った。
 
 ドアをノックする音。
 
 国原がすぐに立って行き、ドアを細く開けて何か話していたが、
 
「山代弥生君」
 
「はい……」
 
「協力ありがとう。君はもう気分が良くなったら帰っていいよ」
 
「分りました」
 
「何か、思い出したことでもあれば、ここへ電話を」
 
 と、国原刑事は名刺を渡し、「じゃ、僕はちょっと失礼する」
 
「どうも……」
 
 弥生は、一人になると、テーブルの上の物をバッグへ戻した。
 
 そして弥生の手が止った。
 
「これ……私のものじゃないわ」
 
 弥生は呟《つぶや》いて、それを手にしてじっと見つめていた……。
 
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