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黒い壁15

时间: 2018-07-30    进入日语论坛
核心提示:15 オットー「起きてるんでしょ」 と、美奈は言った。「分るわよ、タヌキ寝入りしても。『タヌキ寝入り』って、分んないか」「
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 15 オットー
 
「起きてるんでしょ」
 
 と、美奈は言った。「分るわよ、タヌキ寝入りしても。——『タヌキ寝入り』って、分んないか」
 
「知ってるよ」
 
 と、目を開けて、少年が言った。
 
「ほら、起きてた」
 
 と、美奈は笑って言った。
 
 少年もちょっと笑った。——珍しいことだった。
 
「痛い?」
 
 美奈は、学生鞄《かばん》を床へ置いて、ベッドのわきの椅子に腰をかけた。
 
 カール少年がこの病院で手術を受けてから、三日たっている。経過は良好で、今日からカールは普通の病室へ移されていた。
 
「少し」
 
 カールは包帯でグルグル巻きにされ、ベルトで吊られた片足を眺めて、「動けないって、いやだ」
 
「仕方ないでしょ。ちゃんと治しておかないと」
 
 カールは、ふしぎそうに美奈を見た。
 
「どうして入院させたりしたんだ?」
 
「放っとけなかっただけよ。——ねえ、あなた、日本に知り合いとか親《しん》戚《せき》とか、いないの?」
 
 学校の帰り、美奈はこうして毎日病院に立ち寄っていたが、普通の病室へ移って、やっと話ができる状態になったのである。
 
「いたら、あんなことしてない」
 
 と、カールはぶっきらぼうに言った。
 
「でも、誰か……。あなた、オットーって人、知ってる?」
 
 その名を聞いたとたん、カール少年の顔に激しい怒りが浮かんだ。
 
「知ってるのね」
 
 ——美奈はびっくりしていた。
 
「オットーがどうしたんだ?」
 
「あなたのこと、捜してたのよ、あのスーパーの近くで」
 
「それで?」
 
「何だか怪しい人みたいだったから、話さなかった。——あの人は何なの?」
 
 カールは、青ざめた顔をこわばらせて、
 
「知らない方がいいよ」
 
 と言った。
 
「だって、会って話もしたのよ。向うが私の言ってることを信用してるかどうかも分らないし。何かあるのなら、話してよ」
 
 カールは、じっと天井を見上げて、
 
「知らない方がいいよ」
 
 と言った。
 
「どうして?」
 
 と、美奈は訊《き》いたが、カールは答えなかった。「——ねえ、どうして?」
 
「知らない方がいいんだ」
 
 カールは、そうくり返した。
 
 ——美奈は、病院を出た。
 
 なぜか、あのカールのことが気にかかっている。
 
 しかし、これ以上美奈にできることはないのだ。利根が名前を出してくれているから、やはり利根に何とかしてもらうしかないだろう。
 
 今夜、利根の所へ行ってみよう。美奈はそう決心した。
 
 バス停でバスを待っていると、携帯電話が鳴った。
 
「——もしもし」
 
「美奈? お母さんよ。今、どこ?」
 
「うん、外……だよ」
 
「出かけてるの?」
 
「学校の帰りに、友だちのお見舞に、病院へ寄ったの」
 
 母には何も話していなかった。
 
「そう。お母さん、食事の約束ができたから、少し遅くなるわ」
 
「うん、分った」
 
「何か買って帰って、食べててね。ごめんなさい」
 
「大丈夫だよ」
 
 と、美奈は言った。「もう十七だよ」
 
「そうね」
 
 栄江は笑って、「じゃ、気を付けてね」
 
「はい」
 
 美奈はホッと息をつく。——この分だと、母の帰りはかなり遅いだろう。
 
 今夜、利根の帰宅が早いといいのだけれど……。
 
 
 
 栄江は席に戻った。
 
「——今夜、大丈夫よ」
 
 そう言って、栄江の顔が赤く染る。
 
「ありがとう。無理を言ってすまない」
 
 マルティンが栄江の手を取る。
 
「いいえ」
 
 栄江は首を振った。「ちゃんと納得してのことですもの。——後悔しないわ」
 
 この三日間、忙しかった。
 
 マルティンとも、電話で話すだけ。
 
 そんな状況が、却《かえ》って栄江に一歩を踏み出させた。
 
 今日は仕事をやりくりして、この時間から後を空け、会っているのである。
 
「でも、遅くなっても帰らないと」
 
 と、栄江は言った。
 
「分ってる。じゃあ……出ようか」
 
 マルティンが促す。
 
 ホテルのバー。まだ夕方なので、客は少ない。
 
「このホテルの部屋を取った」
 
 と、マルティンがウエイターを呼んで支払いをしながら、言った。
 
「まあ、高かったでしょう」
 
「あなたを、安っぽいホテルへ連れていくわけにいかない」
 
「もったいないわ。あなた一人でも泊ってね」
 
 つい現実的な言い方をしてしまう栄江だった。
 
「食事は後で?」
 
「部屋で取ってもいいわ」
 
「それがいい。——ありがとう」
 
 マルティンはつり銭を受け取ると、立ち上った。
 
 二人はバーを出て、エレベーターへと向った。
 
「マルティン」
 
 と呼び止める声がした。
 
 栄江は足を止めて、少し年輩のドイツ人らしい男がやってくるのを見た。
 
「——お知り合い?」
 
 マルティンはなぜか固い表情で、ドイツ語で早口に何か言った。
 
 二人は握手している。
 
「ドイツにいたころの友人です」
 
 と、マルティンは言った。「オットーといって……」
 
「オットー・リンデンといいます」
 
 と、その男は達者な日本語で、「マルティンとは一緒に暮したこともあります」
 
「まあ、日本語がお上手ですね。——弓原栄江です」
 
 オットーという男は、栄江の手を取って、軽く会《え》釈《しやく》した。
 
 がっしりした体つきのその男は、マルティンとは大分タイプが違って見えた。
 
 マルティンがドイツ語でオットーに何か言うと、オットーの方はニヤリと笑って、
 
「マルティンが、『大切な仕事の打ち合せがある』と言っていますが、本当ですか?」
 
 と、栄江の方を見る。
 
「オットー!」
 
 マルティンは怒ったように言った。
 
「邪魔はしません。——では、いずれ、また」
 
 オットーは栄江に向って会釈すると、立ち去った。
 
「——ぶしつけな奴で、すみません」
 
 マルティンは、栄江に言った。
 
「いえ、そんなことはないけど……。久しぶりなんでしょ? いいの?」
 
「大丈夫。必要ならいつでも捜せます」
 
 マルティンは栄江の肩を抱いて、「今夜はあなたのことしか考えたくない」
 
 と言った。
 
 栄江は頬《ほお》を染めると、
 
「じゃ、まずエレベーターのボタンを押さないと、部屋へ行けないわ」
 
 と言った。
 
 マルティンが笑ってボタンに指を触れた。
 
 
 
「ごめんなさい」
 
 と、説子は言った。「今日はこのまま帰るわ。頭痛がして、早くやすみたいの」
 
「風邪ひいたのかな」
 
「大丈夫。一晩寝れば」
 
 説子は、表の公衆電話から会社へかけていた。——仕事で外出し、そのまま早退することにして、利根へ連絡しているのだ。
 
「明日は、予定通り、式場へ行きましょう」
 
「そうしよう。じゃ、僕も今日は少し頑張って仕事を片付けて帰るよ」
 
「無理しないでね」
 
 と、説子は言った。「それじゃ……」
 
 ——電話を切って、説子は振り返った。
 
 利根のいる公団住宅が見える。
 
 説子は、足早に、その棟へと向った。
 
 エレベーターで三階へ上る。
 
 利根の部屋の鍵《かぎ》は持っている。説子は、鍵をあけ、素早く部屋の中へ入った。
 
 ——もう、ここの空気になじんでいる自分。
 
 それは、自分の部屋へ入ったような安《あん》堵《ど》感を、説子に与えた。
 
 しかし——その「安心感」に影を落としているものがある。
 
 説子は、部屋へ上ると、コートを脱いで、まずバスルームへと足を向けた。
 
 あの棚には、もうあの〈壁のかけら〉はなかった。——利根も、同じ所にそのまま置いてはおくまい。
 
 では、どこにやったか。
 
 説子は、利根から、
 
「あの〈壁のかけら〉は処分したよ」
 
 と聞かされた。
 
 しかし、説子は直感的に察していた。利根はあの〈壁のかけら〉を捨てたりしないだろう、と。
 
 旧友からもらったという点を別にしても、あの〈壁のかけら〉から、何かふしぎなことが起っている。——説子は、利根が自分の経験したいくつもの奇妙な出来事を、すべて平気で忘れ去れるような人間でないことを、よく知っている。
 
 むしろ、そういう利根を愛しているとも言えるだろう。
 
 でも——あれはあまりに危険だ。説子は、あれが自分と利根の幸せをおびやかすことになると思っていた。
 
 見付けて、ひそかに処分してしまおう。——利根にはあくまで黙っていよう。
 
 説子は、バスルームの中から捜し始めた……。
 
 
 
 一人で外食というと、高校生ではどうしてもハンバーガーやフライドチキンになる。
 
 美奈は、駅前につい最近オープンしたお弁当屋さんに寄って、好きなお弁当と、サラダを買った。持って帰って家で食べた方がいい。
 
 こういうお弁当も、今は競争が激しいのでなかなかおいしいのである。
 
 美奈がアパートへ着いたときには、もう辺りはずいぶん暗くなっていた。日一日と、夜の訪れが早くなる季節だ。
 
「——あの人」
 
 足を止めたのは、自分の棟から、急ぎ足で出て来たのが、利根の「彼女」だったからだ。
 
 麻木説子。——しかし、何だか様子がおかしい。
 
 こんな早い時間に、利根が帰宅しているのだろうか?
 
 説子は、出て来たのだ。もう帰るところなのだろうか?
 
 帰るのなら、当然美奈と出くわすことになるのに、なぜか説子は逆の方向へと歩いて行った。
 
 美奈は、後を尾《つ》けてみることにした。
 
 手にさげたお弁当の袋がガサガサと音をたてるので、あまり近付くわけにはいかないのだが、この団地の中はよく分っている。
 
 少し離れて、美奈は説子を尾行して行った……。
 
 説子は、団地の奥の方へと入って行き、〈中央公園〉と住人が呼んでいる、広い公園の中へと足早に消えた。
 
 暗くなると、公園にはほとんど人がいない。
 
 美奈は駆け足になって、公園の中を少し上から見渡せる場所へと急いだ。
 
 公園で時間を潰《つぶ》している母親を捜したりするとき、みんなここへ来て中を見渡すのである。
 
 公園自体が、中央に池があって、少し低い位置に作られているのだ。
 
 美奈は息を弾ませて、説子の姿を捜した。
 
 すぐに、池の辺りを歩いている説子の姿が目に入った。——むろん、見られているとは思ってもいない。
 
 説子は、人《ひと》気《け》がないのを何度も確かめるように、キョロキョロと見回している。
 
 何をしているんだろう?
 
 説子がバッグを開け、何かを取り出した。小さくて何なのか分らないが、それを説子は力一杯池に向って放り投げたのである。
 
 池の真中辺りに小さな水柱が立ち、タポッという音が、美奈の耳にも聞こえて来た。
 
 説子がハンカチで手をしつこく拭《ふ》いている。そして、走るように公園から出て行ってしまった。
 
 美奈は、説子が通りかかったタクシーを停め、乗って行くのを見送った。
 
 アパートへ戻るわけではないのだ。
 
 今の様子から見て、説子は利根の部屋へ留守中に入り、何かを持ち出して捨てたのだろう。
 
 美奈は、公園の中へ入ってみた。
 
 もちろん、池は大きくて、真中辺りは深いので、何が捨てられたか、知りようもないのだが、それでも説子が立った辺りまで行ってみた。
 
 池の面はもう黒くかげって静かだった。
 
 ——何を捨てたんだろう?
 
 他の女の手紙とか、写真とか……。そんなものなら、池に捨てないで破るか焼くかすればいいのだ。
 
 ともかく、美奈は説子の秘密——利根に知られてはたぶん困ることを見たのだと思って、満足していた。
 
「帰ろう……」
 
 と、呟《つぶや》いて池から離れかけたとき、ふと池で水音がした。
 
 振り向くと——池の中から何かが飛び出して来た。
 
 妙な言い方だが、そうとしか見えない。
 
 何かが空中高く、放物線を描いて飛んで来ると、美奈の二、三メートル先の道へ落ちたのである。
 
 ——美奈は呆《あつ》気《け》に取られた。
 
 今のは何? まるで見えない手が投げ返しでもしたようだった。
 
 道へかがみ込んで見ると、落ちていたのは小さなビニール袋で、中に石のかけらのようなものが入っている。
 
 そっと拾い上げてみると、袋の中から、池の水がこぼれ落ちる。中には、黒い色をした石——いや四角くて薄い、かけらのような物が入っている。
 
 これを、説子は捨てたのだろうか。
 
 美奈は少し迷ったが、袋の中の水を切って、それからティッシュペーパーにくるんで、鞄の外側のポケットへと入れたのだった……。
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