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黒い壁23

时间: 2018-07-30    进入日语论坛
核心提示:23 生者と死者と 昼休み。珍しく風のない暖い日だった。 公園のベンチに腰をおろして、利根は、池の周囲に群れる鳩を眺めてい
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 23 生者と死者と
 
 
 昼休み。珍しく風のない暖い日だった。
 
 公園のベンチに腰をおろして、利根は、池の周囲に群れる鳩を眺めていた。
 
「——お邪魔しても?」
 
 と、声がして、隣に座ったのは、国原という刑事だった。
 
「ああ、刑事さん。——どうしてここへ?」
 
「例の女子大生殺しですがね」
 
 と、国原は言った。「犯人が落として行ったと思われるライターを、つい見落としていたんです。それを、被害者の友人の女子大生が持って来てくれまして」
 
「それはまた……」
 
「面目ない話ですよ」
 
 と、国原は首を振って、「その指紋から、犯人が割り出せたんです」
 
「誰です?」
 
「それが——あの大騒ぎになった、病院のエレベーターで見付かったバラバラ死体。あの男の指紋と一致したんです」
 
「ほう」
 
「オットー・リンデンというドイツ人で、部屋から金髪のカツラも見付かりました」
 
「そうでしたか」
 
「あなたはあのとき、病院にいたんですな」
 
「ええ、居合せました」
 
「どうして、と訊《き》きたいところですが、女子大生殺しは解決してしまった。あのオットーという男は、どうもかなり危い仕事をしていたようでね。犯人を挙げるのは難しいかもしれません」
 
 国原の言い方は未練たっぷりだった。
 
「——利根さん。あのオットーという男について、何か知っていることは?」
 
 利根は首を振って、
 
「残念ながら……。あんな殺し方は、普通の人間じゃできないでしょう」
 
「全くです。——世の中、ふしぎなことはあるもんですな」
 
 国原は、少し間を置いて、「ご一緒だった彼女はお元気ですか」
 
「今、ここへ来るところです」
 
「おや、それではお邪魔してもいけませんな!」
 
 国原は立ち上って、「それでは」
 
 と、会《え》釈《しやく》して立ち去った。
 
 入れ違いに、説子がやって来る。
 
「ごめんなさい。病院が混んでて」
 
 と、説子はベンチに腰をおろすと、「——やっぱりそうだった」
 
 利根は微笑んで、
 
「そうか!」
 
 と言うと、説子の肩を抱いた。
 
「男の子と女の子、どっちがいい?」
 
「どっちでもいいさ」
 
 利根は、説子の頬《ほお》に素早くキスした。
 
「ちょっと! みんな見てるわ」
 
 と、説子は赤くなった。
 
 ——今日は、検査の結果が出て、妊娠がはっきりしたのである。
 
 説子は、心から幸せだった。
 
 ——妙な出来事が続いて、不安にさせられもしたが、それも何とか終ったようだ。
 
 そもそも、利根の子を宿したのも、妙な出来事のおかげだ。説子も、あの〈壁〉のかけらを捨ててしまったことを、今は後悔していた。
 
 でも、利根が何も言わない限り、自分から言い出す必要もないだろう。——子供が生れたら、それどころじゃなくなる。
 
 挙式も近い。今の説子には、すんだことを考えるより、これからしなくてはならないことが山ほどあった。
 
「ぶらぶらと戻るか」
 
 と、利根は立ち上った。
 
 二人は腕を組んで歩き出した。
 
 ——利根は、美奈からあの〈壁〉の破片を返してもらったとき、一瞬は説子に腹を立てたものだ。
 
 しかし、却《かえ》って美奈にたしなめられてしまった。
 
「利根さんの身が心配で、捨てたんだよ。絶対に説子さんの目につかない所にしまっといてね」
 
 利根は、高校生の美奈の方が、むしろ自分には近いのかもしれないという気がした。
 
 しかし結婚は現実だ。——そして、現実との折り合いをつけるのが少し苦手な利根には、説子が一番似合っているのである。
 
「それに、もうあの〈トンネル〉に行きたくないから、返すの」
 
 という美奈の気持も、もっともだった。
 
 あの〈壁〉は、また引出しの奥深く眠ることになった。しかし——何もかも片付いて、あの〈壁〉はもう血を滴らせてもいない。
 
 ただ、死んだ親友の思い出として、やがて忘れていくことだろう……。
 
「ハネムーンのクーポン券、もらって来るわ!」
 
 と、説子が突然言った。「先に戻ってて!」
 
「おい——」
 
 説子の後ろ姿は、たちまち人の間へ消えてしまう。
 
 思い立ったら、早いんだからな。
 
 利根はちょっと青空を見上げて、会社のビルへと戻って行った……。
 
 
 
「——オス」
 
 と、美奈は手を上げた。
 
「やあ」
 
 カールが、ベッドに座って窓の外を眺めていた。
 
「ずいぶん顔色良くなったね、ちょっと見ない内に」
 
「ちっとも来なかったな」
 
「テストだったんだもん」
 
 美奈は、カールの髪の毛をいじって、「ちょっと切ってやろうか?」
 
「よせ! いじるなよ」
 
 と、カールが怒る。
 
 面白くて、わざと怒らせている、というところもあるのだ。
 
 美奈は、
 
「お弁当買って来たよ。食べる?」
 
 と、紙袋を見せる。
 
「うん!」
 
 カールも食べ盛りで、病院の食事では、とても足りないのだ。
 
「じゃ、お茶いれてくるね」
 
 美奈は、ポットを手に、病室を出た。
 
 ——給湯室で、ポットにお湯を入れていると、ふと人の気配に振り向く。
 
 黒い髪の、きれいな女性が立っていた。
 
「アンナさん?」
 
 と美奈が訊くと、
 
「カールに……やさしくしてくれて……ダンケ・シェーン」
 
 と、微笑んで言った。
 
「元気ですよ、カール。ドイツ人の家で、養子にしたいって言って来てるらしいけど。——当人、どうなるのかな」
 
「あなたにお礼を言いたくて……」
 
「そんなこと……」
 
 美奈はちょっと照れて、目を伏せると、「私も失恋したばっかりで、カールとやり合ってると楽しいんです」
 
 と言った。
 
 顔を上げると、もう、アンナの姿はなかった。
 
 夢?——いいえ、そうじゃない。
 
 美奈は、どうやら「別の世界」へつながる道を知っているらしいのだ。
 
 それは、怖くもあるが、一方では絶対に手離したくない、宝物でもあった。
 
「——マルティン」
 
 と、美奈は言った。
 
 マルティンが、給湯室の入口に立っていたのである。
 
「元気そうだね」
 
 と、マルティンは言った。
 
「うん。——そっちは、少しは慣れた?」
 
「まあね。何しろ、こっちじゃ、もう年齢をとらないからね。急ぐこともないんだ」
 
「あ、そうか」
 
「お母さんは、どうしてる?」
 
 と、マルティンは訊いた。
 
「忙しいよ。特にこの十日くらい、夜中に帰ってくる」
 
「体に気をつけろと言ってくれ」
 
「マルティンがそう言ってた、ってね」
 
 と、美奈が笑った。
 
「お母さんが心配するよ」
 
「大丈夫。今ね、マルティンの代りにパートナーになってる人と仲良くしてるよ」
 
 マルティンの顔から笑みが消えた。
 
「じゃ……僕のことは、もう忘れてる?」
 
「どうかな。——でも、ちゃんとマルティンの写真、飾ってるし」
 
「そうか」
 
「それに新しいパートナーは、同じ年《と》齢《し》の、女の人」
 
「何だ!」
 
 マルティンが息をついて、「おどかすなよ!」
 
「お化けがやきもちやいて、どうすんの」
 
 と、美奈はからかってやった。「じゃあね! カールがお腹空《す》かしてるから」
 
「美奈ちゃん、お母さんに時には僕のことを——」
 
 美奈は、病室へ戻って行った。
 
「何よ、もう!」
 
 呆《あき》れたことに、カールは、ほとんどお弁当を食べ終えていたのだ。
 
「だって、腹減ってさ!」
 
 美奈は苦笑した。
 
 カールは確かに生きているのだ。
 
「お茶も飲んでよ」
 
 美奈のお腹も、カールにつられたように、グーッと鳴った。
 
 美奈も生きている手応えを、間違いなく感じていたのである。
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