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虹に向かって走れ04

时间: 2018-07-31    进入日语论坛
核心提示:4 アイドル「あ、お姉ちゃんが来た」 と、永《なが》谷《たに》恵《けい》一《いち》が、車の窓から外を見て言った。「そう?
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 4 アイドル
 
「あ、お姉ちゃんが来た」
 と、永《なが》谷《たに》恵《けい》一《いち》が、車の窓から外を見て言った。
「そう? じゃ、運転手さん、出して」
 と、水《みず》浜《はま》啓《けい》子《こ》は、運転手に声をかけた。
 マイクロバスを改造した車なので、やはり人目にはつく。あまり学校の近くに寄せておくわけにはいかないのである。
 校門の方へと車が寄って行くと、永谷聡《さと》子《こ》が、一《いつ》緒《しよ》に出て来た友だちに手を振って、車の方へと駆《か》けて来た。
「——ごめんなさい!」
 聡子が息を弾《はず》ませながら乗り込んで来る。「クラブで遅くなっちゃって」
「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。間に合うわよ」
 と、啓子は肯《うなず》いて、「じゃ、TKSのスタジオね。急いで」
 車がぐんとスピードを上げて走り出す。
 聡子は、窓から顔を出して、友だちに手を振った。
「——一緒に帰りたい?」
 と、啓子は言った。
「うん……。でも——」
 聡子は、椅子《いす》に腰をおろして、「お仕事だもの。でも、みんないい人ばっかり」
「学校の話でしょ?」
「もちろん」
 と言って、聡子は笑った。「——恵一、宿題やったの?」
 と、弟の方を振り返る。
「今やってるとこ。大丈夫だよ。いい家庭教師がついてるもん」
「へえ。誰《だれ》?」
「——僕さ」
 ヒョイと奥から顔を出したのは、剣《けん》崎《ざき》隼《はや》人《と》だった。
「何だ! びっくりしたわ」
「どうせ一緒だからね」
 剣崎は、聡子を眺《なが》めて、「いや、いいなあ!」
 と、ため息をついた。
「何か?」
「そのセーラー服。いや、実にいい!」
「相変らずなんだから」
 と、聡子は笑った。
「放《ほ》っときなさい」
 と、啓子が振り向いた。「聡子ちゃん、着《き》替《が》えといてね」
「はい」
 聡子は、学生鞄《かばん》を開けると、中から何やら紙を取り出して、「啓子さん、これ、すみませんけど」
 と、差し出す。
「なあに?」
「調査票。家族とか、住所、家までの地図」
「ああ、分ったわ。やっとくから、任せて」
 と、受け取って、
「宿題は?」
「着替えてからやります。たぶん三十分あれば」
「剣崎に手伝わせるのはやめなさいよ。みんな違ってるかもしれないわ」
「ひどいなあ」
 と剣崎は苦笑したが、別に怒《おこ》る風《ふう》でもなく、楽しそうだった。
「じゃ、着替えて来ます」
 と、聡子が席を立つ。
「手伝おうか?」
「引っかかれたきゃどうぞ」
 と、聡子は剣崎へ言い返した。
 ——この車は、聡子のために作られた移動用の専用車である。
 普通のマイクロバスに手を加えて、勉強のできる机《つくえ》を入れたり、ベッド、トイレからシャワーも浴《あ》びられるようになっている。
 スケジュールがびっしりと詰《つま》った日本のアイドルを象徴するような車である。
 この車でTV局から撮影所、ロケ先、と移動しながら仮眠を取り、食事も中で取る。——そんな生活にも、やっと慣《な》れて来たところだ。
 車の後ろ半分は完全な部屋になっている。聡子がそこへ入ってドアを閉めると、啓子は、車内の電話で、TKSへ連絡を入れた。
「——今、そっちへ向ってます。——そうね四十分あれば。少し道が混《こ》んでいるので。——はい、よろしく」
 剣崎が、啓子の隣《となり》へ腰をおろした。
「頑《がん》張《ば》ってるじゃないか、あの子」
「そうね。よくまあ、これだけスケジュール入れるもんだわ、うちの社長も」
 と、啓子は、書き込みで真《まつ》赤《か》になった予定表を眺めた。
「仕方ないさ。久《ひさ》々《びさ》の金になる新人だ」
「でもね、あの子は、お金のために俳優になったわけじゃないのよ」
「そりゃそうだが……」
「——気になってるの」
 と、啓子が言った。
「何が?」
「あの子との約束よ」
 啓子は、恵一に聞こえないように、低い声で言った。
「ああ、例の犯《ヽ》人《ヽ》か。——でも、あの子、何も言わないぜ」
「でも考えてはいるわ。私には分ってるの。でもね、忙し過ぎて……」
「勉強もできるんだろ? 大したもんだ」
「本当ね。誰《だれ》かさんとは大違い」
 剣崎は咳《せき》払《ばら》いして、表を見た。
「大分暑くなって来たな……」
「ごまかさないで」
 と、啓子は笑って言った。「それにね、聡子ちゃん、何やら熱心に書いてるのよ」
「書いてる? 何を?」
「日記でもないみたいだけど……。よく分らないの」
 と、啓子が首をかしげる。
「君に分らないとは珍《めずら》しいじゃないか」
 と、剣崎がやり返した。
「私が行くとパッと隠すの。——まあ、私やあなたへの悪口かもね」
「おい、僕は何もしてないぜ」
「彼《ヽ》女《ヽ》にはしてなくても、他《ほか》の子には、色《いろ》々《いろ》ちょっかい出してるじゃないの」
「たとえば?」
 と、後ろから声がして、ギョッと振り返った。
「恵一君! 立ち聞きはだめよ!」
「聞こえちゃうよ、こんな車の中じゃ。宿題一応済《す》んだんだ」
「じゃ、予習でもやっとけば?」
「ねえ、誰にちょっかい出したの?」
 恵一の問いに、剣崎はとぼけて、
「いや、世間には、色々無責任な噂《うわさ》を流す奴《やつ》がいるからね」
 と、真《ま》面《じ》目《め》な顔で言った……。
 車は、渋《じゆう》滞《たい》に巻き込まれつつあった。
 
 もうすぐ七月になろうとしている。
 永谷聡子が、故郷の湖のほとりで、初めてカメラの前に立ってから、三か月が過ぎていた。
 もちろん聡子自身にとって、今まで経験したこともない三か月だったに違いないが、啓子にとっても、それは同じだった。
 剣崎の属しているプロダクションは、あまり大きいとは言えない。何といっても剣崎が稼《かせ》ぎ頭《がしら》で、あと数人、脇《わき》役《やく》クラスの役者をかかえているくらいだった。
 大体、社長の趣味もあって、素人《しろうと》同然の女の子を、金をかけたキャンペーンでスターに仕上げるというやり方は取ったことがない。
 啓子が強く頼まなければ、聡子のことだって、引き受けなかったかもしれないのだ。
 しかし、啓子と剣崎が一緒になって、
「絶対に人気が出る」
 と主張したので、渋々承知したのである。
 山《やま》内《うち》(というのが社長の名だが)は、それでもできるだけ安いアパートを捜せ、と啓子に言ったくらいだ。
 しかし、緑《みどり》アカネの代役で出た初めてのドラマで、聡子は、素人離れした演技と、新鮮な清潔感を強烈に印象づけてしまった。他のドラマや映画の出演依頼が殺到し、山内社長は仰《ぎよう》天《てん》した。
 まずはCMに出そうということになり、大手の清涼飲料水のCFに登場、それが流されると、永谷聡子の人気は爆発的になって、すでに一人歩きを始めてしまった……。
 それからはもう、一日が本当に二十四時間なのかと、半ば本気で啓子と聡子が顔を見合わせる毎日が続いた。二十四時間もあれば、こんなにすぐたってしまうわけがないし、二十四時間しかなければ、こんなに色々な仕事をこなせるわけがない。——これが、二人の実感だった。
 聡子と恵一のほうは、わずか一か月で、モルタルのアパートから六《ろつ》本《ぽん》木《ぎ》のマンションに「昇格」した。啓子も同居である。
 余分な人手などないので、啓子は、聡子と剣崎隼人の両方の面倒をみなくてはならず、そうなると必然的に、剣崎の方は放《ほ》ったらかしになる。——山内社長は、苦《く》肉《にく》の策《さく》として、できるだけ剣崎と聡子を一緒に出演させるような企画を作ることにしたのだ……。
 だから、啓子の進言で、やっと買い入れたこのマイクロバスも、一応は剣崎と聡子、二人が使うということになっていた。
 ——でも、本当に不思議な世界だわ、と啓子は思った。
 そろそろ暑くなって来る。そして夏になると、学校は「夏休み」に入る。
 普通の学生にとっては「休み」のはずの四十何日間だが、聡子には、いつもの倍も忙しい時期である。
 今、都内の高校へ通っている聡子は、平日には放課後しか仕事ができない。徹夜、寝不足はいつものことだが、聡子はよく音を上げもせずに頑《がん》張《ば》っている。
 夏休みになると、フルに仕事が入れられる、というので、山内社長などは手ぐすね引いて待ち構《かま》えている。
 啓子が、激しい言い合いの挙《あげ》句《く》、——殴《なぐ》り合いは、一歩手前で山《ヽ》内《ヽ》の《ヽ》方《ヽ》が《ヽ》、思い止《とど》まった——やっと三日間の夏休みを聡子にもぎ取ってやったが、それ以外は毎日、びっしりのスケジュール。
 しかも、レコードの第一弾も夏休み直前の発売で、大ヒットは確実と見られていたから、TVの歌番組への出演もあるかもしれなかった。
 もっとも、今のところは、聡子自身が、自分は役者だから、と言って、レコード以外の場で歌う気になれないと言っていた。その言い分で、いつまで山内を抑《おさ》えておけるかは怪しいものだったが……。
 しかし、これほどの短期間にスターになった子というのは、啓子の知っている限りでは、他にいない。
 峰《みね》川《かわ》大《だい》吾《ご》が監督として見《み》出《いだ》したスターの素質は、その予想の何倍にもなって、花開いたのだった……。
「——遅れそう?」
 と、啓子は運転手に声をかけた。
「あと少しで、この渋滞からは出られると思うよ」
「そう。——聡子ちゃん、仕《し》度《たく》できたのかな」
 啓子は、立って行って、細長いドアをノックした。「聡子ちゃん。——どう?——入っていい?」
 返事がない。啓子はそっとドアを開《あ》けた。
「あら……」
 小さなベッドに、聡子は横になって眠っていた。セーラー服は脱《ぬ》いでハンガーにかけてあり、肌《はだ》着《ぎ》のままだ。ちょっと横になるだけのつもりが、眠ってしまったのだろう。
 無理もない。ゆうべはたぶん二時間ぐらいしか寝ていないはずだ。
「——どうした?」
 と、ヒョイと剣崎が顔を出した。
「見るな!」
 啓子がドンと突き飛ばしたので、剣崎はみごとに引っくり返った。
 啓子は出て来てドアを閉めると、
「そんなに急がなくてもいいからね」
 と、運転手へ声をかけた……。
 
「なあ、ケイ」
 と、剣崎が言った。「いくら何でも、ありゃひどいよ」
「分ってるわよ。でも、しょうがないでしょ。私がキャスティングしたわけじゃないんですからね」
 ——スタジオの中は、もうくたびれ切った空気が漂《ただよ》っていた。
 そろそろ十時を回るところだ。もちろん夜の十時である。
「ぶん殴《なぐ》ってやりたい!」
 と、剣崎が珍しく怒《おこ》っている。
 大体おっとりしていて、あまり本気で怒るということのない男である。
「そうねえ」
 啓子もさすがにくたびれている。
 体力はまだ大丈夫、余《よ》裕《ゆう》があるが、精神的な面が……。
 今日の収録は早々と終るはずだった。そう難《むずか》しい場面ではないし、準備に手間のかかるシーンもない。
 今夜は少し早く帰って、聡子を休ませてやれるかな、と思っていたのである。それが……。
「これは合わないんだってば! 何度言ったら分るのよ!」
 甲《かん》高《だか》い声がスタジオの中に響く。「何か捜して来てよ。私、肩の張ったデザインは嫌いなの!」
 ごねているのは、もう三十代も半ばの女優だった。——美人女優として、数年前までは年に必ず二、三本は映画を撮《と》っていた。
「聡子ちゃん」
 と、啓子は手招きした。
 ブレザー姿の聡子は、セットから出て、啓子の方へやって来た。
「——どうせ当分は始まらないわ。どこかで休んでましょう」
「そうするといいよ」
 と、剣崎が肯《うなず》いて、「始まりそうになったら呼んであげる」
「でも……」
 と、聡子はためらっていたが、啓子に促《うなが》されるままに、スタジオを出ると、休《きゆう》憩《けい》室《しつ》へ入った。
 休憩室といったって、椅子《いす》と机、それに自動販売機が並んでいるだけなのだが。
「何か飲む?」
「いいです。汗が出るから」
 と、聡子は首を振った。「でも、あの人、どうしてあんなにごねてるんですか? それにみんな何も言わないし」
「そう。——困ったもんね。あの人、誰でも知ってる某大スターの愛人なのよ」
「へえ」
「だから、ああして強気なわけ。みんなも、それを知ってるから、何も言えないしね」
「そんなことって、あるんですね。——ドラマの中の話だけかと思った」
「結構、まさか、と思うことが、起ってるものなのよ」
「そうですね……」
 聡子は、ちょっと目を伏せて、「ルミ子のことだって——」
「私もね、気にはしてるの。ただ、今は社長がすっかり舞い上ってるから」
 と、啓子はため息をついた。
「分ってます。こんな風になるなんて、私も思ってなかったし……」
 聡子が、ふと言葉を切った。
 誰《だれ》かが、休憩室の入口に立って、聡子たちの方を眺《なが》めていたのだ。
 五十がらみの、がっしりした体格の男で、なぜだかサングラスをしている。
「あ、どうも——」
 と、啓子は立ち上って、頭を下げた。「永谷聡子の——」
「うん。知ってるよ」
 と、男は言って、休憩室へ入って来た。
 男がサングラスを外すと、聡子も、ちょっと目をみはって、
「松《まつ》原《ばら》市《いち》朗《ろう》さんですね」
 と、腰を浮かした。
「うん。まあいいよ。座《すわ》っていなさい」
 日本映画の代表的なスターは、意外に背は高くなかった。
「いつもお若いですね」
 と、啓子が言った。
「いや、大分頭の方は薄くなったよ」
 と、松原市朗は笑った。
 聡子は、微《ほほ》笑《え》んで、
「何だか、いつも時代劇を拝見してたので、妙《みよう》な感じがします」
 と言った。
「このところ、時代劇も不作だよ」
 と、松原市朗は肩をすくめた。「君、しかしいいものを持ってるね。いや、本当だ。——真《ま》弓《ゆみ》が、食われる、と言っていやな顔をしてたよ」
 真弓というのは、今、スタジオでごねている女優のことだ。——愛人の某大スターというのが、この松原なのか。
 聡子は、ちょっと啓子と目を見《み》交《か》わした。
「セリフがはっきりしてるし、声が腹から出ている。若い子には珍《めずら》しい」
「合唱をやってたので。故郷の学校で」
 と、聡子は言った。
「どこなの、故郷は?」
「はい。——C市です」
「あそこか」
 松原市朗は、啓子の方を見て、「去年、行かなかったかね。剣崎と一緒に」
 と訊《き》いた。
「ええ、そういえば、ご一緒でしたね」
 と、啓子が答える。
 聡子は、改めて松原市朗を見直した。——では、この人も去年、あのホテルに泊っていたのだ!
「剣崎君も、このところはメロばっかりじゃないか。もったいないねえ」
「ええ。当人も、たまには時代劇でもやりたいとこぼしてますわ」
「そうだろう。——剣崎君は二本差しがさまになるんだ。まだ腰はフラついてるが、そりゃあ、今の若い役者、誰でもそうだからね」
「いいお仕事がありましたら、ぜひ——」
「うん。今、考えてる企画がある。スタッフも、今の内に集めておかないと、もう時代劇のやれる人間がいなくなる……。おい、どうしたんだ」
 ちょうど、休憩室の前を、真弓——井《い》関《せき》真弓が、ふくれっつらで通りかかったところだった。
「まあ! 来てたの? 嬉《うれ》しい!」
 と、井関真弓は、松原に駆《か》け寄って、首に抱きついた。
「おい、よせ。——もう終るころかと思って、寄ってみたんだ」
 と、松原は苦《にが》笑《わら》いしながら言った。
「それが——見て。こんな衣《い》裳《しよう》でやれって言うのよ」
「気に入らないのか」
「私には似《に》合《あ》わないのよ、この黄色は。他の色を捜せって言ってるの」
「でも——」
 と、聡子が、口を開いた。「セットの色にはそれが一番よく合います」
 井関真弓が、キッとなって、聡子をにらんだ。
「あんたの知ったことじゃないわ!」
「そうとんがるな」
 と、松原が言った。
「主役はセットじゃないのよ。私だわ」
「真弓さん、すみません」
 と、演出助手が呼びに来た。「ディレクターがちょっと——」
「なあに? 私は絶対このままじゃやらないわよ」
 松原がいるので、ますます強気になっているのだろう。
「ええ。ともかく、ちょっと話が……」
「分ったわよ」
 井関真弓は、松原の方へかがみ込んで、「じゃ、待っててね」
 と、甘ったれた声を出すと、スタジオの方へ戻って行った。
「——しょうのない奴《やつ》だ」
 と、松原が照れたように笑った。
「私、ちょっと顔を直して来ます」
 と、聡子が席を立って休《きゆう》憩《けい》室《しつ》を出て行く。
 松原が、その後ろ姿をじっと見送っていた。
「いかがですか」
 と、啓子は言った。
「うん? 何だい?」
「あの子。——私、スターになる素質があると思うんですけど」
「うん。いいね」
 と、松原は肯《うなず》いた。「立ち姿、歩き方、話す時に真直ぐ目を見るところ……。昔のスターはみんなああだった」
 松原の口調には、いくらかの寂《さび》しさがこめられていた。
 啓子にも、松原の気持はいくらか分るような気がする。——かつては日本を代表するスターだった松原も、映画界全体の低迷と、若者志向の中で、徐々に出番を失いつつある。
 もう今の十代の少年少女にとって、松原市朗は、TVで放映される旧作に出て来るだけの名前なのだ。
 ギャラも高すぎるし、そう小さな役では頼めない。
 結局、この一、二年、松原は、ほとんど目立った仕事をしていないのだった。
 その点では、かつて松原と映画で共演した女優たちも同じことだ。TVや映画にはめったに顔を出さなくなって、時々、舞台に出る程度。
 過去の日々を思えば、松原が寂しい気持になるのも当然のことだった。
「——ケイちゃん」
 と、松原が言った。
「はい」
「あの子、見付けたのは誰《だれ》?」
「峰川さんです」
「峰川大吾? 懐《なつか》しい名前だなあ。——元気でやってるのかい、おっさん」
「ええ。二時間ものをよくとってますから」
「そうか……。仕事ができるってのは、いいことだなあ。たとえ、色々不満のある仕事でも、何もしないよりよっぽどいい」
 松原は、ちょっと考えて、「——峰川大吾か。悪くないな。まだ一緒にやったことはないが」
「力のある人なんですけどね。本編をやりたいっていつも言ってますわ」
「本編」というのは、劇場用の映画のことである。TVの仕事は、あくまで「仮《かり》のもの」という思いが、映画の人間にはあるのだ。
「——一つ、企画してみるか」
 と、松原は言った。「峰川大吾。松原市朗、井関真弓。——それに、永谷聡子」
「楽しくなりそうですね」
 と、啓子は笑顔になった。
 もちろん、色々と専属やスケジュールの関係で、そんな企画は九十九パーセント成立しないことは承知している。しかし、もし実現すれば……。
「——あの子は、疲れてるんだろうな」
 と、松原が言った。
「聡子ちゃんですか? ええ、ほとんど寝ずに頑《がん》張《ば》ってますからね」
「そうか。——スタジオを覗《のぞ》いて来よう」
 と、松原が立ち上った。
 戻って来た聡子を促して、啓子は、少し後からスタジオへ入って行った。
 相変らず、井関真弓はセットの真中で腕組みをして突っ立っている。
「いつまでそうやってるんだ?」
 松原が出て行くと、スタッフがみんな顔を見合わせた。
「だって、どうしても聞いてくれないのよ」
 と、真弓はディレクターの方を指して、「何とか言ってやってよ。新米のくせに大きなこと言って!」
 若いディレクターも、困り切った表情だった。
 松原がセットへ上ると、部屋の中を見回した。
「——あの子の言う通りだ」
 と、松原は言った。「その服が、このセットには合う。それでやれよ」
 誰もが面《めん》食《く》らった。——しかし、一番びっくりしたのは井関真弓に違いない。
「だって……。私、こんな色、嫌《きら》いだもん」
 と、口を尖《とが》らした。
「お前のためにドラマをやってるんじゃない。ドラマのためにお前が働いてるんだ。一人で文句を言ってる内に、見ろよ。みんなくたびれ切ってる。これじゃろくなものができないぞ。お前の評判だって落ちる。いいものに出てこそ、役者だ。それでやれ。文句を言うな」
 真弓は青ざめた。——顎《あご》を震《ふる》わせて、今にも爆発しそうだったが、しかし、何とかそれを抑《おさ》えている。
「おい、始めてくれ」
 と、松原がディレクターに向って言った。「口出しして悪かったな」
 松原がセットを下りて、スタジオを出て行く。——しばらくは、誰も動かなかった。
「早く始めましょ! どんどん遅くなるわよ!」
 ポンと手を打って、叫んだのは啓子である。
 それをきっかけに、みんなが一《いつ》斉《せい》に動き出した。たちまちスタジオに活気が溢《あふ》れて、井関真弓の不《ふ》機《き》嫌《げん》など、その中に呑《の》み込まれてしまった。
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