「おい、一体何だよ」
と、剣《けん》崎《ざき》がぼやきながらやって来る。
「やっと来たわね」
と、啓《けい》子《こ》は言った。「一番最後よ」
「仕方ないだろ」
と、剣崎はロビーに集まったスタッフ、キャストの顔を見回して、「朝まで付合ってたんだ。それにもう若くないんだぜ」
「説明してほしいわね」
と、むくれているのは井《い》関《せき》真《ま》弓《ゆみ》である。
「ケイちゃんが、いい加減なことで、みんなを起すわけはない」
と、松《まつ》原《ばら》が言った。「何があったんだ?」
「すみません、突然、叩《たた》き起こして」
啓子は、みんなを見渡しながら、「実はここに泊り合せた女の子が、姿が見えないんです」
啓子は、このロケ隊の誰かが、その娘に、「スターになれる」と声をかけたらしい、と説明した。
「勝手にどこかの男の所へ行ってんじゃないの?」
と、スタッフの一人がグチった。
「よせ」
と、峰《みね》川《かわ》がたしなめる。「母親がそこに来てるんだぞ」
「はあ」
「ケイちゃんの言う通りだ。もし、この中の一人が、妙な下心でその女の子を誘《さそ》ったとしたら、大問題だぞ」
「監督の言う通りだ」
と、松原が肯《うなず》く。「ケイちゃん、見当はついてるのかい?」
「いいえ」
啓子は首を振った。「申し訳ありませんけど、全部のキーを貸して下さい。私が、全部の部屋を調べて回ります」
「何ですって!」
と、真弓が甲《かん》高《だか》い声を上げた。「あんた、何のつもり? たかが付《つき》人《びと》のくせに!」
「いいじゃないか」
と、松原が言った。「別に調べられて困ることもあるまい」
「もちろんよ! だけど——」
「お待ち下さい」
と、声があった。
「畠《はた》中《なか》さん」
啓子が振り向いて、「起きてらしたの?」
「廊下が騒がしかったので、目が覚めましてね」
畠中は、今まで眠っていたとは思えない、いつもと少しも変らない顔つきだった。
「じゃ、話を聞いてらしたんですか」
「ええ。——あなたの処置は大変適切だったと思います」
「どうも」
「いかがでしょう。その役は、私が引き受けましょうか」
啓子としても、それはありがたい申し出だった。何といっても、スタッフの間のプライバシーに踏み込むことになるので、内心気が重かったのである。
「じゃ、お願いしますわ」
と、啓子は言った。「ベテランの刑事さんなら、安心ですし」
「あまり買いかぶらないで下さい」
と、畠中は照れくさそうに言って、「もし異議がなければ、早速キーを集めたいと思いますが」
今度は、誰《だれ》からも文《もん》句《く》は出なかった。
キーを受け取って、ルームナンバーと名前をメモすると、畠中は急ぎ足でロビーから姿を消した。
——誰もが口をきかなかった。
聡《さと》子《こ》は、離れた所に座っていた吉《よし》原《はら》伸《のぶ》子《こ》の方へ歩いて行った。
「心配ね」
と、聡子が声をかけると、伸子は、黙って肯《うなず》いた。
聡子は、並んで腰をおろすと、
「——志《し》乃《の》さんっていったわね、その子? どんな人に声をかけられたのか、言わなかった?」
と、訊《き》いた。
伸子は首を振って、
「何も……」
「そう」
「そんなこと、全然興味のない子だったのに……。私の方がミーハーで、いつも一人ではしゃいでて……。まさか志乃が——」
「落ちついて。きっと何でもないわよ」
と、聡子は、伸子の肩を、そっと叩《たた》いて言った。
——しかし、約三十分の後、畠中は、結局何一つ得るところなく、戻って来たのである。
聡子が目を覚ましたのは、もう午後の二時だった。
朝の騒ぎで起き出して、また寝直したら、こんなに寝てしまったのである。
「啓子さん……」
と、起き上って部屋の中を見回したが、啓子も恵《けい》一《いち》も見当らない。
テーブルに、ルームサービスの昼食が、用意してあるのを見たとたん、聡子のお腹がグーッと鳴った。
「いやだ!」
と、呟《つぶや》くと、ベッドを出て、バスルームへ行く。
シャワーを浴びて、スッキリすると、昼食をアッという間に平らげてしまった。
コーヒーを飲んでいると、ドアが開いて、恵一が入って来た。
「お姉ちゃん、起きたの」
「今ね。——啓子さんは?」
「庭にいる」
「庭に?」
聡子は訊《き》き返した。「あの暑い所に?」
いくら木は多くても、昼間は暑い。
「警察の人と一《いつ》緒《しよ》だよ」
と、恵一が言った。
「警察? 畠中さん?」
「ううん。ここの警察」
「——どうして庭に?」
「今朝、何かやってたんだろ? 女の子がどうとか」
「それが?」
「見付かったって。——殺されてたんだ、庭で。だから……」
聡子は、二、三分で服を着て、部屋を出た。
庭へ出てみると、木立ちの奥に、人が集まっているのが見える。
聡子は、足早にそこへ向って歩いて行ったが、
「永《なが》谷《たに》聡子だ!」
と、誰かが叫《さけ》んだと思うと、たちまち、カメラマンや記者に取り囲まれてしまった。
「聡子ちゃん! 事件について、何か一言!」
「被害者はファンだったって聞いて、どう思った?」
次々に質問が飛んで来る。しかし、答える気にはなれなかった。
「——何とか言ってよ!」
「聡子ちゃん、カメラの方に——」
と、声が飛び交っているところへ、
「どいて!」
と、割り込んで来たのは、啓子だった。「聡子ちゃんは、事件のこともまだ知らないんですよ! ほら、どいて!」
啓子が力まかせに記者を押しのけ、
「来るのよ!」
と、聡子の腕をつかんで、ホテルの方へ戻って行く。
「聡子ちゃん! 何かコメント」
「一言でいいから!」
と、追いすがる記者たちを振り切って、啓子と聡子は、ホテルのラウンジへ逃げ込んだ。
「——ごめんなさい」
と、聡子は、ソファにかけて、「考えなかったわ」
「いいのよ。——聞いた?」
「恵一から」
聡子は啓子を見て、「——やっぱり?」
「あの奥で、乱暴されて殺されてたわ」
聡子は、思わず目を閉じた。
啓子は続けて、
「今のところ、うちのスタッフが犯人らしいってことは、まだTVも新聞もかぎつけていないわ。撮影は予定通りにやるでしょうね」
「殺された子の親はどう思う?」
と、聡子は言った。
「気持は分るけど、仕方ないわよ」
啓子は、慰めるように、「私たちが何もしないでここにいても、捜査の役には立たないわ」
「それはそうね」
聡子は、ゆっくりと息をついて、言った。「でも——きっと同じ奴《やつ》ね、犯人は」
「あなたの友だちの時と? そう。可能性は高いと思うわ。もちろん、別の人間ってこともありうるし、あの子がたまたま庭へ出て、ちょうど居《い》合《あ》わせた男に襲われたとか……」
しかし、この説にかなり無理があることは、啓子自身も認めないわけにはいかなかった。
「そうじゃないわ」
と、聡子は言った。「やっぱり、やったのはロケ隊のメンバーの一人よ。そして、ルミ子をあんな目に遭《あ》わせた奴だわ」
「聡子ちゃん」
啓子は、聡子の言い方に、ふと不安を覚《おぼ》えた。
「何か隠してることがあるの?——ねえ?」
聡子は、少し間を置いてから、肯《うなず》いた。
「部屋に電話があったの。向うも知ってるのよ、私がルミ子のこと、調べてるのを」
「何ですって?」
——啓子は、聡子の話を聞いて、青くなった。
「どうしてすぐ言わなかったのよ!」
「ごめんなさい」
と、聡子は謝った。「でも、ルミ子のことは、私の闘《たたか》いなんだもの。できるだけ、啓子さんにも迷《めい》惑《わく》かけたくなくて」
「そんな風に気をつかってくれるのが、却《かえ》って迷惑よ」
「そうね」
「それに、成り行きで、こんなことになっちゃったけど、今、あなたのファンが、日本中に何十万人もいるのよ。忘れないで」
「うん。——分ってる」
と、聡子は肯《うなず》いた。
ロビーの方がざわついた。
聡子が、立ち上って、ロビーの方へ目をやる。——少女の死体が運び出されるところなのだ。
フラッシュが光《ひか》り、TVカメラのためのライトがロビーの中に飛び交う。
母親が、泣くのも忘れたように呆《ぼう》然《ぜん》として、付《つ》き添《そ》っている。
「——二度と」
と、聡子が言った。「もう、二度と」
「そうよ」
啓子が肯く。
「啓子さん」
聡子は、ゆっくりと腰をおろすと、「私、何もかも畠中さんに話そうかと思うの」
啓子は、考えてもいなかったので、ちょっとびっくりした。
「あなたの友だちのこと?」
「もう、私一人の仕返しじゃなくなったわけだし。——今度は、はっきりした人殺しなんだから」
「そうね。それがいいかもしれないわ」
啓子も、同意した。「——あ、畠中さんだわ」
ちょうど、畠中が警察の車を見送って、ロビーに戻って来るのが見えた。
呼ばれなくても、啓子たちの姿を見かけてやって来る。
「——いや、気が重いですよ」
畠中は、腰をおろして、コーヒーを注文した。
「少し頭をスッキリさせたい」
それから、気が付いて、
「お邪魔じゃありませんか?」
と、二人の顔を見た。
「いいえ。ちょうどお話ししたいことがあったんですの」
と、啓子は言った。「ね、聡子ちゃん」
「ええ。——畠中さん。今日の犯人はきっと、私の友だちも殺してるんです。いえ、直接にじゃないけど、殺したも同然なんです」
畠中は、座《すわ》り直した。
「話して下さい」
聡子は、東ルミ子の身に起ったことを、話し始めた……。
「——何てことだ」
一通りの話を聞き終えて、畠中はまずそう言った。
「そんな危いことをしてたんですか、あなたは」
「私は用心してますもの」
聡子は言った。「啓子さんもついていてくれるし。——それより気になるのは、今日殺された子のことです」
「芳《よし》村《むら》志乃のことですね」
「もし——犯人が、私に対して見せつけようとして、あの子を襲ったのだとしたら……。そうだったら、私がその子を殺したようなものですから」
聡子は、目を伏せた。
啓子も、そこまでは考えていなかった。確かにその可能性はある。そう認めるのは、聡子にとっては辛《つら》いことだろうが。
「いいですか」
と、畠中が言った。「『殺したようなものだ』というのと、『殺した』というのは、天と地ほど違うんです。自分を叱《しか》るエネルギーを、犯人への怒りに加えるべきですよ」
聡子は、ゆっくりと目を上げ、畠中を見ると、
「そうですね」
と、肯《うなず》いた。「ありがとう。そうおっしゃっていただいて、少し気が楽になりました」
畠中が微《ほほ》笑《え》んだ。
「天下のアイドルにそう言われるとは、光栄ですね」
天下の、とはまた古くさいが、この刑事には、いかにも似《に》合《あ》った言い方である。
「——では」
と、畠中が手帳を取り出すと、「そのお友だちがひどい目に遭《あ》った時に、その町にいた人たちの中で、今、このホテルにもいるのは、誰《だれ》と誰です?」
「ええと……」
啓子が、考え込んで、「大勢います。そのために集めたスタッフですもの」
「ともかく、挙《あ》げてみて下さい」
「役者さんでは、うちの剣崎、それに松原さん。当然、井関真弓も一《いつ》緒《しよ》でした。——ただ、そ《ヽ》の《ヽ》日《ヽ》に一緒だったかどうかは分りません。ずっとついて歩いていたわけではないので」
「そうでしょうね。もし一緒だったら、松原はそんなことをしなかったでしょう」
と、畠中は言った。「あの若いのは?」
「君《きみ》永《なが》はじめですか?——まさか!」
と、思わず啓子は言った。「まだデビュー前でしょう。でも……」
「どうしました?」
「そう。——もしかしたら、松原さんにくっついて来ていたかもしれません」
啓子は首を振って、「たいていあれぐらいのスターになると、何人か連れて歩いていますから。デビュー前なら、イメージも今とは違うでしょうし」
「でも、ずいぶん若くない?」
と、聡子が言った。
「そうでもありませんよ」
と、畠中が言った。「調べさせました。君永はじめ、実際には二十四歳です」
「二十四!」
啓子と聡子は、一緒に声を上げていた。
「見かけほどの世間知らずの坊《ぼ》っちゃんではありません。高校を中退して、一時はかなりグレていたようです」
「どことなく、粗《そ》暴《ぼう》な印象は受けましたわ。でも——二十四なんて!」
と、聡子が首を振る。
「付合う時はそのつもりで」
「用心します」
「——他は、役者さんでは?」
「他にはいないと思います」
「小林準一は?」
「あの人はいませんでした。いれば憶《おぼ》えていますわ。他には、峰川監督、後、助監督が何人か……」
「同じ人が?」
「ええ。剣崎が集めたんです。——却《かえ》って犯人捜しが面倒になりましたね」
「いや、何も手がかりがないのに比べれば、あり過ぎた方がいい」
と畠中は言った。「検死の結果で、血液型などが分るでしょう」
「調べますか、全員を?」
「いや、そこまでやる必要はないと思いますね」
と畠中は言った。「撮影を中止することになってしまうんじゃありませんか、それでは」
「そうですね」
「でも、中止した方がいいのなら、そうすべきだわ」
と、聡子が言った。
「いや、続けていただいた方がいいんです」
「そうでしょうか」
「もし、中断して帰京されてしまったら、それこそ捜査が進まなくなります。ロケの間は少なくとも、全員がここから動かないわけですからね」
なるほど、と啓子は思った。
「——ケイちゃん」
と、峰川がやって来る。
「監督。何ですか?」
「聞いたよ。今朝の子のことだろ?」
「そうです」
「ひどい奴《やつ》がいるもんだな」
峰川は、ため息をついた。「——聡子君、すまないが、今夜、少し撮《と》っておきたいんだ」
「分りました」
と、聡子は即座に言った。
「シーン32だ。セリフは入ってるかね?」
「大丈夫だと思いますけど、やっておきます」
「頼むよ。この騒ぎで、影響が出ないとも限らん」
峰川は気が気でない様子だった。せっかくここまで順調に来たのに、という思いがあるのだろう。その気持は啓子にもよく分った。
「全く、あんなことをした奴が、うちのスタッフにいたら、俺《おれ》がしめ殺してやる!」
「監督、カッカすると体に悪いですよ」
と、啓子は言ってやった。「何もそうと決ったわけじゃないんですから」
「そりゃそうだけどな」
「何時からにします?」
「そうだな。七時にはテストをやりたい」
「分りました」
「じゃ、後で電話するよ」
峰川は、ちょっと手を上げて見せ、歩いて行った。
「——大変ですな」
と、畠中は言った。
「ええ。これをライフワークにするんだといって……。終ってガックリ来ないか心配ですわ」
啓子の言葉に、畠中は微《ほほ》笑《え》んで、
「私は、無事に終ってくれなけりゃ、ガックリ来ますね」
と言った。
「刑事としてですか?」
「ファンとしてです」
畠中は、軽く聡子に向って会《え》釈《しやく》した。