二人の美女が、太もももあらわに昼寝をしている。そのわきに寝そべるダックスフント。
──ルノアールの絵を連想された方には少々お気の毒だが、このシーンはやや優雅さに欠けていたのである。
「クゥーン……」
と、寝返りを打ったダックスフントは、もちろんおなじみのドン・ファンで、ほとんど眠りながらも、目の前のスラリとのびた足をペロッとなめていたのである。
「くすぐったいわねえ……」
と、寝ぼけながら文句を言っているのは、ドン・ファンの飼主である女子大生、塚川亜由美。
もう一人、カーペットに引っくり返って、親友の亜由美にならって昼寝しているのは、神田聡子だった。
「ちょっと……。なめないでよ……」
と、亜由美はドン・ファンを手で押しやった。
「クゥーン……」
邪魔にされて機嫌をそこねたのか、ドン・ファンがムックリと起き上がり(起き上がっても大して高さはない)、神田聡子の顔のそばまで行くと、スースーと息をしている、その唇に鼻先をくっつけた。
「ちょっと!──何すんのよ! キャーッ! 痴漢!」
聡子が、叫びながら、あわてて跳び起きる。亜由美も目が覚めてしまった。
「聡子! どうしたのよ!」
「誰かが……。キスしたの、私に。──亜由美?」
「私、そんな趣味ないわよ!」
と、亜由美は言って、 「分ってるじゃないの。──ドン・ファン!」
と、見回すと、当のドン・ファン、もうそ知らぬ顔で、隅のソファでタヌキ寝入り。
──犬でもタヌキ寝入りなのだろうか?
「フン、ごまかしたってだめよ! 全く、しょうのない犬」
と、亜由美は言って欠伸《あくび》をした。「アーア、いくらでも眠れそうね」
ここは、塚川家の二階、亜由美の部屋である。
亜由美と聡子の二人は、いつもここでぐうたらしているみたいで、作者としては心苦しいのだが、一応今は秋十月、テストも終って、のんびりしていられる時期なのである。
二人とて、テストの前には必死で勉強しているのだということを、強調しておこう。
「どこか出かける?」
と、亜由美が言った。
「どこへ?」
「どこでもいいけど……。もう四時か。少し散歩でもしないと、お腹空《す》かないでしょ」
「そうねえ」
呑《のん》気《き》な会話を交わしていると、ドアが開いて、
「亜由美。起きたの?」
と、母の清美が顔を出した。
「お母さん。あのね──」
「ノックしてから開けて、でしょ。あなたが男の子でも連れて来るようになったら、そうしてあげる」
母の清美も、亜由美に劣らず(?)ユニークな人間である。
「何か用? 聡子と、ちょっと散歩に出ようかって話してたの」
「まあ、ちょうど良かったわ」
と、清美がニッコリ笑って、 「じゃあ、ついでに夕ご飯のおかず、買って来てくれる? ついでに料理して、ついでに片付けもしてくれるとありがたいけど」
「お母さん。──私に何か恨みでもあるわけ?」
「いいえ」
清美は心外、という様子で、 「私はあなたを心から愛してるわよ」
「母親以外の人から聞きたいセリフね」
「そりゃ、あなた自身の責任でしょ」
と、清美がやり返す。 「いつまでたっても、恋人一人できない。殺人事件に首は突っ込む。留置場には厄介になる……」
「分ったわよ」
と、亜由美が口を尖《とが》らした。「何持ってるの?」
「ああ、これ? あなたがショックを受けないように、ゆっくり渡そうと思ってたの」
清美は、その白い封筒を、振って見せた。 「結婚式の招待状。──それも、三通もね!」
「三通?」
亜由美は聡子と顔を見合せた。 「聡子、知ってる?」
「全然」
「お二人とも、これを見て、少しは焦っていただきたいわね」
清美は、その三通の招待状を亜由美の前に置くと、 「これが買物のメモ。──じゃ、よろしく」
母が出て行くと、亜由美は首をかしげて、
「招待状と買物のメモと、何の関係があるわけ?」
「知らない。でも、誰なの、一体? 三人も一度になんて!」
「ねえ。──これ、ゆかりからだ」
と、一通をとりあげて封を切る。 「ほら。──城之内ゆかり」
「あのゆかり?」
二人は信じられない、という思いで、顔を見合せた。
城之内ゆかりは、亜由美たちと同じ高校にいた女の子だ。
「あの、人間離れしたゆかりが結婚?」
と、聡子が言った。 「相手は?」
「ええと……〈真田明宏〉だって」
「知らない人ね」
ゆかりは亜由美たちとは別の大学へ進んでいるので、このところ会ったことはない。
しかし──正《まさ》に「世間知らず」を絵にかいたような女の子で、おっとり、を通り越して、何ごとも人任せ。家もいいので、それですんでしまうのである。
「大方、名門同士の結婚ね。──他のは?」
と、聡子が訊《き》く。
「うん……」
亜由美は二通目の封を切った。そして中の招待状を見ていたが……。
「誰なの?」
と、聡子が訊く。
それには答えず、亜由美は三通目の封を切った。
「──どうなってるの?」
と、亜由美が唖《あ》然《ぜん》としている。「見て! これも、それからこっちも、ゆかりの結婚式の招待状よ」
「じゃ、間違ってダブったんじゃない?」
と、聡子は手にとって見たが……。
二通目は、 〈城之内ゆかり〉と〈八代紘一〉の結婚式の、三通目は〈城之内ゆかり〉と〈宇野良男〉の結婚式の招待状なのである。
二人は、しばし言葉もなかった。
「──どういうこと? 何かのいたずらかしら?」
と、聡子は言った。 「亜由美、ゆかりと結構親しかったでしょ?」
「うん……。でも、この三人の男は、まるで知らない。──式の日取りは全部同じ。一つはKホテル。こっちはNホテル。こっちがホテルP……」
「時間は?」
「うん……。真田明宏って人とのが、Kホテルで午前十時。八代紘一って人とが、Nホテルで午後一時。宇野良男って人とのが、ホテルPで午後四時……」
「ちゃんとずれてるね。──ゆかり、かけもちするのかしら」
「結婚式よ! タレントがTVに出るのとは違うわ。きっと──何かの間違いよ」
「どんな間違い?」
亜由美とて、答えられるわけがなかった。
「ともかく、返事出せやしないわね、これじゃ」
亜由美は、三通の招待状を、もう一度見直して、首を振った。
こんな妙な話ってある?
ドン・ファンが、まるで亜由美の心の声を聞いたかのように、
「ワン」
と、鳴いた。
ゆかりは、ちっとも変っていなかった。
いや、もちろん亜由美だって、ゆかりが三人の男を手玉にとってもてあそぶ「悪女」に変身したとは思っていない。しかし、一応結婚しようとしているのだから、もう少し大人びた感じになっているのかしら、と思っていたのである。
「亜由美! 懐しいわね」
と、待ち合せたホテルのラウンジで、ゆかりはにこやかに立ち上がった。
「どう? 元気?」
「うん。亜由美、少しも変んないのね」
ゆかりにそう言われて、亜由美は少し焦ったが、何とか立ち直り、ミルクティーを注文した。
城之内ゆかりは、ふっくらした丸顔の、可愛い女の子である。中学生のころからこんな顔で、おっとりした笑顔は、正に人柄の通り。
「ね、ゆかり」
と、亜由美は言って、バッグから三通の招待状を取り出した。 「これが来たの。あなた、出したの?」
「あら、もう届いたの?」
と、ゆかりはてんであわてる様子もなく、 「びっくりしたでしょう」
「当り前よ。本当に三つとも、あなたの?」
「うん」
と、ゆかりが肯《うなず》く。
「でも──どういうこと? 三人の男性と結婚するつもり?」
「式の時間はずらしてあるでしょ」
「だからって……。どういうことなの?」
「私もね、迷ったのよ」
と、ゆかりは言った。 「ちょうどあの三人とお付合いしていて、ほとんど同時にプロポーズされたの」
「プロポーズ……」
「真田さんってね、凄《すご》く面白い人なのよ」
と、ゆかりはニッコリ笑って、 「ポルシェに乗ってね、パリッとしてるんだけど、右と左で靴下違ったのはいてたりして。でも、本人は凄くプライドが高いの。自分はもてるって信じ込んでて、プロポーズしても、断られるわけない、と思ってるのね。で、何かお断りするのが気の毒で。きっと、凄く傷つくだろうと思って。結構ナイーブなところのある人なのよ」
「へえ」
「八代さんってねえ、真面目で几《き》帳《ちよう》面《めん》の典型なの。お勤めなんだけど、無遅刻、無欠勤、何でもきちんと予定を立ててるの。私にプロポーズしたときも、ちゃんと手帳を見ながら、決めた時間に申し込んだのよ」
「凄い」
「しかも、結婚したら、ハネムーンはどこへ行って、ホテルはどこ、費用はいくらで消費税がいくら、まで計算してあるの。子供は二人で、一人は将来税理士、もう一人はピアニストにするんですって」
「そんな予定まで立ってるの?」
「そこまで聞いたら、予定を狂わすのが申し訳ない気になって。で、いいです、って言っちゃったの」
「ゆかり……」
「宇野さんって、とても可哀そうなの。二十九歳で、お役所勤めなんだけど、気が弱くて、女の人と付合ったことなんかまるでなくて。プロポーズのときだって、もうすっかり諦めてるのよ。『僕は振られるのには慣れてるんです。いつも想像の中で振られてますから』ですって。だから、気楽に断って下さいね、って言われて……。でも目がね、とっても哀れで。傷ついた小犬みたいだったの」
「小犬ね……」
「断ったら、この人、死んじゃうかもしれない、って思って。で、承知してあげたら、宇野さん、泣き出して。──私、とってもいいことをした気がしたわ」
「ゆかり……。分ってるの? 三人の男性は、みんな自分だけがあなたと結婚すると思ってるんでしょ?」
「そうね。──たぶん」
「だけど、あなたはその内の一人としか結婚できないのよ!」
「そうね」
「どうするの?」
「式がすんだら、三人でジャンケンでもしてもらおうかと思ってるんだけど」
ゆかりの言葉に、亜由美は引っくり返りそうになった。
「──あら、来たわ」
と、ゆかりが顔をラウンジの入口の方へ向ける。
やって来たのが、真田明宏だということは、亜由美にもすぐ分った。
何ともキザで、ふき出したくなる格好をしている。
「やあ、ごめんよ、待たせて」
と、やって来るなり、サッと花束を差し出す。
「まあ、ありがとう。──あの、こちら、塚川亜由美さん。古いお友だちなの」
「これはどうも。真田です」
「はあ……」
「式のときはご出席いただけますね」
「え、ええ、まあ」
「亜由美、スピーチしてね」
と、ゆかりは呑《のん》気《き》なことを言っている。
「三回やるの?」
と、亜由美は言ってやった。 「じゃ、私、これで」
「じゃあね、亜由美」
「うん……」
──亜由美は、ラウンジを出て、ロビーを歩いて行った。
どうなっちゃうんだろ?
「あんなキザな奴、私ならお断りだけどな……」
と、呟《つぶや》きつつ、歩いて行くと──。
突然、ギュッと腕をつかまれて、
「キャッ!」
と、声を上げた。
「お静かに」
と、その男は言った。「逮捕します」
亜由美は、目をパチクリさせて、
「殿永さん! 何してるんですか、こんな所で」
と、言った。