「でも、やっぱり、例の『幻の妻』は、あの女の子だったんでしょ」
と、聡子が言った。
「そうよ」
二人は盆を手に、学生食堂のテーブルについた。
「じゃ、どうして──」
「ともかく、池畑みどりは自分が負ってるものから逃げたかったのね。可哀そうに。引越して来て、雨宮を見たとたん、父親だと思い込んだのね。鍵は、あの田口って老人に言えば、いつでもあけてもらえる。──雨宮の身の回りのことを、できる限りやってあげようとした、ってことね」
「哀れな話ね」
と、聡子は、スパゲッティを食べながら言った。
「でも──雨宮が山本有里を殺したっていうのは?」
「自白したそうよ。山本有里も前から雨宮に好感を持ってた。ところが、誰かが雨宮のために世話をし始めたのを見て、却《かえ》って燃え上がっちゃったのね」
「なるほどね」
「あの夜、山本有里はみどりが食事の仕度をしてから出て行った後に、雨宮の部屋へ入ったの。食事の用意ができていて、雨宮はまだ戻ってない。──山本有里は、作ってあったものを全部捨てちゃったのよ」
「ひどい」
「そして、お皿や茶碗を洗って片付けようとした。そこへ、雨宮が帰って来たわけ」
「そうか。雨宮は、山本有里が『幻の妻』かと思ったのね」
「そう。そして山本有里もそう言ったのよ。彼が感激してくれると思ったのね。ところが、雨宮は、幸枝との間をぶちこわされて、頭に来ていた」
「それで……」
「お酒も入ってて、カッとなったんでしょうね。山本有里を刺しちゃった。そして、呆然としてるのを、入って来たみどりが見たのよ」
「じゃ……知ってたの?」
「雨宮は、みどりが実は食事の仕度とかしていたことを、初めて知ったわけ。そして、とっさに、山本有里が、みどりの作ったものを食べてしまったんで、怒って刺したんだ、と言った。みどりは、お父さんが悪いんじゃない、と信じ込んで、ともかくどこかへ隠れて、と言ったのね。雨宮も、一旦姿を隠して、それからどうしようかと考えたってわけ」
「その挙句が、みどりに罪を着せる? ひどい奴!」
「そうね。なまじ、すぐ捕まらなかったから、何とかして逃げようと思ったんでしょ。楠木リカに、必要な物を持って来てもらって、それは良かったけど、彼女を抱こうとして、争いになった」
「あんな所で?」
「それまでもてないと思い込んでたのが、急にもてる男になったわけよ。リカも自分の逃亡を手伝ってくれるぐらいだから、当然自分の思い通りになるだろう、と……」
「甘かった、ってわけか」
「リカは、本当に雨宮が殺人犯と知って逃げようとして、殺された。──そこへ、みどりが、やって来たのよ」
「で、雨宮は逃げて……。でも、亜由美の頭上から鉄材を落としたのは?」
「それは、たまたまでしょ」
と、亜由美は言った。 「偶然ってこともあるわよ」
「まさか! だって──。そうか……」
聡子は肯いて、 「みどりが、雨宮を逃がそうとして……」
「偶然の事故よ。分った?」
「うん」
「よろしい。──雨宮は、みどりを犯人に仕立てあげることにして、計画を練った。みどりだけが、雨宮の隠れ場所を知ってたわけね。そこで、雨宮は、 『一家でまた夕ご飯を食べよう』と言って、厚子さんが、みどりを殺人犯と思い込むように仕向けて行ったわけ」
「厚子さんは思い詰めて、娘を殺して自分も死のうと……」
「その通りになるところだったのよ」
と、亜由美は言った。 「そうすれば、雨宮は二つの殺人を、死んだみどりの罪にしてしまうつもりだったんでしょう」
「許せないわ、そんな奴」
と、聡子は憤然として言った。 「でも、みどりは?」
「今、病院で治療を受けてるわ。大丈夫。きっと立ち直るわよ」
「そうね」
聡子は、ちょっと考えて、 「──ね、一緒に雨宮の部屋へ二度目に行ったとき、食事の仕度がしてあったのは?」
「あれはね、私がやったの」
「ええ?」
「というか、殿永さんと相談してね、用意してもらったわけ。みどりがどう反応するか見たかったのよ」
「いつも私に内緒にして!」
「そう怒るな。ともかく、無事に一件落着したんだから」
「そうでもないんじゃない?」
「何が?」
「あの子のことは?」
と、聡子が指さした方を見ると、牧口幸枝がやって来る。
「幸枝には、可哀そうだったけどね」
と、亜由美は言った。
「ここにいたの」
と、幸枝は二人の隣に座った。
「幸枝……。ショックだろうけど、もう飛び下りたりしないでね」
と、亜由美は言った。
「え?──ああ、雨宮さんのことね。私って、男を見る目がないのかしら」
「そんなことないよ。たまたま、運が悪かっただけで。──ねえ、聡子」
「そうよ。幸枝なら、いくらでも男が寄って来るって」
「そうかなあ……」
と、幸枝は呟いて、 「ね、亜由美」
「何?」
「雨宮がね、今度の連休に温泉のホテルを予約してたの。キャンセルするの、もったいないし、あなた、誰か男の人を見付けてよ」
亜由美が目を丸くして、
「私、男と二人で温泉になんて──」
「そうじゃなくて、私に。ね? 亜由美の目を信用するから。連休までに、いい人、見付けといてね。それじゃ」
幸枝はさっさと行ってしまう。
呆《あつ》気《け》にとられていた亜由美は、聡子がふき出すのを見て、ムッとしたように言った。
「冗談じゃないわよ! 自分の恋人もいないのに、どうして他人の恋人を捜さなきゃいけないの?」
「頼りにされるタイプなのよ、亜由美は」
たまにゃ、頼ってみたい!
亜由美はしみじみとため息をついたのだった……。