筋だらけのカツを半分ほどやっと食べて、村内刑事は、ご飯をかっこんだ。
段々まずくなるな、ここのカツ丼は、と苦々しく首を振る。
誰《だれ》かが、テーブルのすぐわきに来て立った。——顔を上げると、
「やあ、君か」
安西刑事が、冷ややかな目で、村内を見下ろしている。村内は、
「座れよ。何か食べちゃどうだい?」
と、言った。
「結構」
と言って、安西は向い合った席に腰をおろす。
「おい、ここはソバ屋だぜ。喫茶店じゃない。お茶だけじゃ可《か》哀《わい》そうだ」
安西はちょっと顔をしかめたが、お茶を持って来た女の子に、
「ざるそば」
と、ぶっきらぼうに言った。「——村内さん、何をしてるんです?」
「うん?」
村内は顔を上げ、「見ての通りさ。カツ丼を食ってる」
「そんなこと、訊《き》いちゃいません。一人で何をかぎ回ってるんです」
村内は肩をすくめて、お茶をガブ飲みすると、フーッと息をついた。
「君も妙なことを言うね。一緒にやるのはいやだと言ったのは、そっちじゃないか」
「そうですよ」
と、安西は挑みかかるように、「しかし、勝手なまねはしないでくれ、とも言ったはずです」
「勝手なまねなんかしとらんよ」
「それなら結構」
安西は、いまいましげに村内を見ていたが、一向に反応がないので、運ばれて来たざるそばを荒っぽく食べ始めた。
「そばに恨みでもあるのかい」
と、村内はのんびりと言った。
「ありませんよ」
と、安西は言って、「課長からね、注意されました。どうして一緒に動かないんだ、とね」
「わけを話したのかね」
「いいえ。話したって仕方ない」
安西はアッという間にソバを食べ終えると、「——一緒に行動しましょう。仕方ない」
「そうか。気の毒だな」
「その代り、今度、あんなことがあっても、一切、あなたを助けたりしませんからね」
「結構だよ」
と、村内は肯《うなず》く。「で、どこへ行くんだね、今日は」
安西は、お茶を一気に飲んで、
「殺された水野智江子の友だちに会いに行くんです。男のことを、何か聞いてるかもしれない」
「分った。——熱いお茶をあんまり急いで飲むと、胃に悪いよ」
「ご心配なく」
と、立ち上って、「自分の分は自分で払いましょう。お互いにね」
「そうだね……」
村内は、肩をすくめた。
安西が自分の代金をテーブルにのせて、さっさと出て行く。
「もう食べたんですか?」
と、店の女の子が目を丸くしていた。
「お帰りなさい、お電話が」
と、草間頼子が、サッとメモを山上へ渡した。
「うん」
倉林美沙からだろう。——山上があの女、大友久仁子を訪ねて、どうだったかを訊きたいのだ。
が、メモを見て、山上は眉《まゆ》を寄せた。
「その人、情報屋さんでしょ?」
と、頼子が言った。
「うん。何だろうな?」
山上は席につくと、電話へ手を伸した。
ポケットベルで呼び出し、こっちへ連絡が来るということで、山上はとりあえず他の仕事を片付けることにした。
「——首尾はいかがでした?」
と、頼子が訊く。
「うん? ああ、可もなく不可もなし、ってところかな」
と、山上は答えておいた。
草間頼子には、美沙から頼まれたことの詳細は話していない。何といっても、これは仕事ではなく、個人的な「頼まれごと」にすぎない。
頼子から、いくつか連絡事項があって、それを聞いていると、電話が鳴り出した。
「僕だろう。——はい。もしもし」
「遅くなりまして」
と、〈情報屋〉が言った。
「いやいや。僕も今、帰ったところでね。君の方は何か……」
「三神貞男という男のことなんですが」
「うん」
「何かその——三神とお付合いはありますか?」
「いいや。僕は別にない。会ってはいるがね」
「そうですか」
と、〈情報屋〉は淡々とした口調で言った。「あまり深くお付合いされない方がよろしいようです」
「何かあるのか」
「一筋縄じゃいかない男ですね。永田という重役の下にいて、忠実な部下ということになっていますが、どうも眉ツバものです」
「何だって?」
「下心のあるタイプですね。あちこちで聞いた噂《うわさ》を総合すると、あまり芳しいものではありません」
「待ってくれ」
山上は座り直した。「すると——例の話は?」
「調べ直した方がいいようです」
〈情報屋〉の口調に、多少悔しげなものが混った。「申しわけありません。どうも、わざと色々な噂を流していた気配があるんです」
「三神が?」
「その辺ははっきりしません。いずれにしろ三神自身で、あんな横領事件は起せないでしょう。金も自由にならないでしょうし。ただ、表面上三神が永田の下にいて、動いていたことになっていますが、そう見せかけておいて、実は別の誰かについていたというのは確かなようです」
「そうか……」
見たところは、「坊っちゃん」タイプだが、中身はしたたかなのかもしれない。
「調査を続けて構いませんか」
と、〈情報屋〉が言った。
「もちろんだ。よろしく頼む」
「では、できるだけ早くご報告します」
——〈情報屋〉は、その情報の信頼性が生命である。仕組まれた嘘《うそ》を見抜くのは、プロの腕とカンだ。それをコロリと騙《だま》されたのでは、プロとして許さないのだろう。
「ちゃんと料金は別に払う。とことんやってくれ」
と、山上は言って、電話を切った。
「厄介そうですね」
と、頼子は言った。
会話の断片からでも、中身の見当はつくのだろう。
「全くね」
と、山上は言って、ため息をつくと、「津田から何か連絡は?」
と、訊く。
「いいえ。体裁悪くて、かけて来られないんじゃありませんか」
「だといいがね」
体裁が悪いと思うくらい、まともになってくれていればいいのだが。——津田のことを考えると、気が重くなる。
直通の電話が鳴った。この番号は、家族と草間頼子しか知らない。
「——もしもし」
「パパ?」
「何だ、エリか。どうした?」
「今、近くまで来てるの。ね、何か甘いものでもごちそうして」
そういえば声が近い。
「何だ。どうしてこんな所に?」
「社会科の見学。で、もう現地で解散ってことになったの。いいでしょ?」
いやと言えるわけがない。
「分ったよ。今どこだ?」
「Pビルの一階」
「ああ、そうか。じゃ——どこにするかな。ちょっと待て」
山上は送話口を手で押えて、「草間君。娘が近くに来てる。どこか喜びそうな店、ないかね。今、Pビルだそうだ」
「それでしたら……。そのビルの二十五階が、フランス料理のお店なんです。午後のこの時間はティータイムで、一つ千円のケーキが食べられますわ」
「ケーキが千円か!」
と、山上は目を丸くした。「ま、しかたないか」
苦笑して、エリにそう言うと、
「友だちと一緒なの。構わない?」
「ああ、いいとも。先に上ってなさい。すぐ行く」
山上は電話を切ると、「じゃ、草間君、悪いがちょっと出てくる」
「どうぞ。お嬢さんの方から誘って下さるのは、今の内ですよ」
頼子がいたずらっぽく笑う。
「なに、向うはこっちの財布がお目当てなだけさ」
と、山上は言って、オフィスを出た。
——Pビルまではほんの二、三分。
「二十五階か……」
エレベーターに乗るので待っていると、誰かがスッとそばに来て立った。
知らない人間にしては、いやにそばにくるので、ふと振り向く。
「——何だ、君か」
「フフ」
と、倉林美沙は笑って、「あなたのオフィスへ行こうとしてたら、ちょうど姿が見えたの。どこに行くの?」
「千円のケーキを食べにね」
「まあ」
と、目を丸くする。
「娘が待ってるんだ、上で」
「そうなの。——あの女の所へは行ってくれた?」
「今日ね」
と、山上は肯いた。「今日は帰って来た。無理押ししない方がいい相手だ」
「そう。じゃ、またやってみてくれる?」
「ああ」
エレベーターが来て、扉が開く。「悪いけど……」
「いいわよ」
と、美沙は肯いて、「明日の夕食、どう?」
「明日?」
「あの女のこととは別に」
と、美沙は言って、「また電話するわ」
と手を振って行ってしまった。
「おっと!」
危うく乗りそこなうところだ。
〈25〉を押して、フッと息をつく。——美沙と夕食か。
もちろん、互いに話は尽きないだろう。昔なじみで食事をしても、おかしくはない。
しかし——今、山上には別に気がかりなことができた。三神という男が、どうにもうさんくさいという、あの情報だ。
もし、あれが事実なら、美沙も騙されているのかもしれない。そのときは、大友久仁子から「包み」を取り上げても、却《かえ》って美沙のためにはならないかもしれないのだ。
とりあえずは、三神のことがもう少しはっきりするまで待っていよう。——山上はそう決めた。
二十五階でエレベーターを降りると、
「山上様でいらっしゃいますか」
タキシード姿の支配人が待っている。
「そうです。娘が——」
「あちらでお待ちでございます」
案内されて行くと——食前のカクテルを飲むコーナーに、確かにエリがいた。
しかし……「友だち」というから、一人かと思ったのだが……。
「パパ!」
と、エリがソファからピョンと立って、駆けて来る。「私のクラスの子なの、みんな!」
十人……いや、十五人もいるだろうか。
一斉に女の子たちが、
「今日は!」
と、挨《あい》拶《さつ》するので、山上は圧倒されてしまった。
この店のケーキは、たぶん早々に「品切れ」になること、間違いなしだろう。
「ご案内申し上げます」
と、支配人が笑顔で言った。
「ああ。じゃ、みんな、中へ入ろう」
「すみません!」
「ごちそうになります」
と、口々に言って、
「私、三つ食べよう」
「私はダイエットしてっから二つ」
「それじゃ、同じでしょ」
と、話しているのが、山上の耳に届いて来た。
一つ千円のケーキね……。
フルコースの料理でなくて良かったよ、と山上は半ば本気で考えたりしていた……。