大学のキャンパスは、いつもの通りだ。
昼休み。——学生たちはおしゃべりに余《よ》念《ねん》がない。
しかし、亜由美は一人で芝《しば》生《ふ》に座《すわ》って、まるで見も知らぬ世界にいるような気がしていた。
傍《かたわら》には、ドン・ファンが寝《ね》そべっている。——事《じ》件《けん》のことも、もう学生たちの話題から消え去ろうとしていた。
亜由美は、何だか、突《とつ》然《ぜん》、冷たい現《げん》実《じつ》と顔をつき合わせて、そのショックから、まだ立ち直れないでいたのだ。
大学、講《こう》義《ぎ》、クラブ……。
何もかもが空しく思える。——あんな経《けい》験《けん》をした後では、まるで子《こ》供《ども》の遊びのようだ。
武居が、遠回しに、付き合ってほしいと言って来たが、それも断《ことわ》った。増口からの謝《しや》礼《れい》も、返してしまった。
もう、早く忘《わす》れたいのに、一向に亜由美の中から、重い鉛《なまり》のような苦さは、出ていかないのだった。
この事《じ》件《けん》で得《え》たものなんて、一つもない、と亜由美は思った。——失うばかりだった。
「あ、そうか。お前がいたわね」
増口に言って、ドン・ファンだけを、もらうことにしたのだった。
「亜由美、元気ないね」
と、声がして、聡子が隣《となり》に座《すわ》った。
「聡子か」
「しっかりしなさいよ。亜由美らしくもない」
と聡子は言った。「でも、私もがっかりだわ。推《すい》理《り》はみごとに外れたものね」
「え?——ああ、桜井みどりさんの殺された件ね」
「そう。社会科学部に犯《はん》人《にん》がいると思ったんだけどなあ。——あ、そうだ。あのことだけ未《み》解《かい》決《けつ》よ。私と亜由美が殴《なぐ》られて気を失ったこと。あれ、誰《だれ》だったのかしら?」
「あれは事《じ》件《けん》と関係なかったんじゃない? 何しろクラブ棟《とう》にあなた一人しかいなかったのよ。不《ふ》心《こころ》得《え》者《もの》があなたを襲《おそ》おうとしても、不思議はないじゃないの」
「そうか。やっぱり美女はつらいわ」
と聡子が真《ま》面《じ》目《め》な顔で言うので、亜由美は笑《わら》い出してしまった。そして、ふと気が付くと、
「あら……。ドン・ファン!」
いつの間にか、ドン・ファンがいなくなっている。
「——ドン・ファン! どこなの!」
と呼んでいると、
「キャーッ!」
と女の子の悲鳴が起った。
ドン・ファンが、女子学生のスカートの中へ頭を突《つ》っ込《こ》もうとしたのだ。
「いや! この犬!」
女の子たちが逃《に》げ出すと、ドン・ファンはますます面白がって追いかける。
それを見ている内に、聡子と亜由美は笑い出した。
——キャンパスに、ドン・ファンの吠《ほ》える声と、女の子たちの悲鳴と、そして亜由美たちの笑《わら》い声が響《ひび》き渡《わた》った。