「それで、どうしたんだい?」
と、朝也が訊《き》いた。
しかし、倫子の方は、素知らぬ顔で、コーヒーなど飲んでいる。
「ねえ、それから——」
「いいお天気ねえ、今日は」
と、倫子は窓の外に目をやった。
朝也はため息をついた。
「僕がゆうべ眠っちまったからって、そう意地悪しなくてもいいじゃないか」
「あら、だって、大して興味がないんだと思ったの」
そこへ光江が、
「倫子さん」
と、声をかけて来た。「小池さんをいじめるのはいい加減になさい」
「いいのよ、遊んでるんだから」
「だって、気の毒じゃないの」
「そう。気の毒だよ」
と、当の朝也が大真面目に言ったので、倫子は、笑い出してしまった。
「結局、何も見付からなかったのよ」
「なんだ、そうだったのか」
——倫子と朝也、それに羽佐間夫婦が、遅《おそ》い朝食を取っている。
あの「トンネル」の捜索を終えたときは、もう、空が白みかけていたのである。
「——食事、終ったら、行ってみようか?」
と倫子が言った。
「あの穴に?」
「トンネルよ」
「OK。じゃ、早速——」
「レディが食事を終えるまで、待っててちょうだい」
悠《ゆう》々《ゆう》と、倫子はパンにバターをつけた。
「——あなたはお出かけ?」
と、光江が羽佐間に訊いた。
「いよいよ、あさってだからな」
と、羽佐間が肯く。「色々、段取りをつけておかんと……」
あさって。——そう。あさって、問題の「タイム・カプセル」が掘《ほ》り出される。
高津智子殺しの、何か重要な手がかりが、そこに納められているのだろうか?
「——しかし、三十年後になって、まだ、見付かっちゃまずいものって、何だろう?」
と、ホテルの外へ出て、朝也が言った。
「そうね。——たぶん——」
「凶《きよう》器《き》?」
「持主がはっきり分るような、ね」
「でも、それならどうして石山さんを殺したりしたんだろう? どっちにしたって、カプセルを掘り出せば、分っちまうことじゃないか」
倫子は肩をすくめた。
「ここへ誰も来させないようにするつもりだったのかもしれないわ」
「恐《おそ》ろしくて? でも、それなら、もっとはっきり、そう分るようにするんじゃないか?」
「どうやって?」
と、倫子は訊《き》いた。
「そりゃあ——脅《きよう》迫《はく》状《じよう》を送るとか、色々あるじゃないか」
「そうねえ」
——朝也の言うことにも一理ある、と倫子は思った。
しかし、却《かえ》って、忘れているかもしれない人間に——三十年もたてば、人間、忙《いそが》しさに紛《まぎ》れてしまうものだ——タイム・カプセルのことを思い出させる危険もあろう。
「——あ、こっちよ」
と、倫子が、また林の中へ入って行く。
昨日《きのう》の穴は、そのままになっていた。
警官が一人、退《たい》屈《くつ》そうに穴のそばに座っていた。
「おはようございます」
と、倫子が声をかけると、警官も、
「ゆうべはご苦労さま」
と、にこやかに応じた。
「ちょっと中へ入っていいですか?」
「ええ。じゃ、そのライトを持って行って下さい」
「はい。どうも」
倫子は、ライトを朝也に持たせて、先に穴を降りて行った。
初めて入ったときのスリルは、もうないけれど、こんな「秘密の通路」があるというだけで、倫子は興奮して来るのだった。
「へえ、結構深いんだな」
と、朝也が感心したように言った。
「——さあ、下よ。ここから横穴——というより、通路ね」
広い——といっても、人一人通るには充分という意味だが——通路を、二人はゆっくりと進んで行く。
「長いね」
と、朝也はまた感心の様子。「一体、どうしてこんなものがあるんだろう?」
「分んないわ。そう新しいものでもないらしいけど……。三十年も前からあったとも思えないわね」
「どこへ出るの?」
「ついてらっしゃい」
と、倫子は歩いて行った。
やがて、トンネルの奥に、白く光が見えて来る。
「あれが出口よ」
「どこなんだい?」
「山の中。ちょっと見ても分らないように、少し上向き加減になってるのよ」
「なるほど。上りになってるね」
「よく考えて作ってあるってことだわ」
「こんなもの、そう簡単には、作れないだろう」
「梅川さんが調べてるはずよ。誰《だれ》が、何のために作ったのか、ね」
二人は、ライトを消し、出口を、半《なか》ば覆《おお》っている草や木の葉を押《お》しのけて、外に出て行った。
「キャッ!」
と、倫子が声を上げた。
「ど、どうした?」
と訊《き》いた朝也も、びっくりした。
目の前に誰かが立っていたのだ。いや——知らない顔ではなかった。
「こんにちは」
と、中山久仁子は言った。
ホテルにいるピアニストである。
「——ああ、びっくりした!」
と、倫子は言った。
「こっちもよ」
と、中山久仁子は言ったが、倫子にはそう見えなかった。
「何をしてらしたんですか?」
「見物よ」
と、中山久仁子は言った。「こんな抜け道なんて、珍《めずら》しいでしょ」
「よくご存知でしたね、この場所を」
「お巡《まわ》りさんに訊いたの。親切に教えてくれたわ」
と、中山久仁子は微《ほほ》笑《え》んだ。
確かに、こういう美人には、親切に教えてくれるかもしれない。
ま、いいや。こっちには「若さ」があるんだ!
倫子は一人でいい気になって、朝也と一緒に山を下って行った。
下りといっても、ほんの少しである。
そこから道に出て、町までは割合に近いようだった。
「すると、秀代さんは、ここから出て、どこかへ行っちまったのかな」
と、朝也が周囲を見回した。
「そうかもしれないわ。でも、秀代さんがどうして、そんなやり方で姿を消すの?」
「そうだなあ……」
「帰ると言えば帰れたのよ。それに、あのカプセルを見に来たんだもの、帰らないと思うけど……」
二人が、町の方角へと歩き出すと、
「羽佐間さん」
と、中山久仁子の追って来る声がした。
「何か?」
「さっき、ハンカチを落としたでしょ」
と、白のハンカチを出す。
「私……。いいえ、落としてません」
倫子は首を振った。
「あら、そう? でも、〈M・H〉ってプリントしてあるのよ」
「ちょっと見せて下さい」
倫子は、そのハンカチを手に取った。とたんに思い出す。
「そうだわ」
「やっぱり、あなたの?」
「ええ。もともとは。私、ちょっと秀代さんに貸してあげたんです」
「じゃ、彼女が落としたんだ」
と、朝也が言った。
「これ、警察へ届けた方がいいかしら」
「そりゃそうだよ。何しろ行方不明者のハンカチなんだから」
「——ほら、パトカーだわ」
道を、パトカーが走って来て、二人の前に停《とま》った。
「やあ、少しは眠れた?」
と窓から顔を出したのは、梅川だった。
「これからどちらへ?」
「学校だよ。羽佐間君も来るだろう」
「じゃ、そのハンカチ——」
と、朝也が、ハンカチを差し出し、言った。
「何だね?」
「実は——」
と、倫子が事情を説明した。
「なるほど」
梅川は肯《うなず》いた。「じゃ、お乗りなさい。学校まで送ります」
「すみません——あら、中山さんは?」
「知らないよ」
——中山久仁子の姿が見えない。
「また、どこかへ消えちゃったんじゃないだろうな」
と、冗《じよう》談《だん》に言って、朝也は倫子にけとばされることになった……。
パトカーが走り出すと、倫子は言った。
「署長さん」
「何か?」
「三十年前の、高津先生が殺された事件のこと、教えて下さい」
と、倫子は言った。
「興味がある?」
「ええ」
「いいでしょう」
と梅川は、肯いて、少し間を置いて、話し出した……。